すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

サルが書くオオカミの事②

2019年10月09日 | 読書
①よりつづく~
 中島みゆきの詞にも「なんとかしようと思っていたのに」というフレーズがあり、ナンパをイメージさせる。ただそれは限られた一部分であり、語られているのは社会や時代の閉塞感であることは間違いない。それを打ち破る存在としての「オオカミ」になりたいのである。一見、破壊的、略奪的願望に見えるが実は…。


 オオカミを「悪」の象徴として捉えている人は多い。しかし研究によると想像するよりかなり知的な動物であり、しかも「狡猾で打算的なものとは、ずいぶん質が違う」という。さらに「オオカミの社会は闘争ではなく、協力によってなりたっている」とまで記されている。かなり誤解され嫌悪対象とされてきた。


 オオカミ研究から導き出されたキーワードは「好奇心」「探求心」「即興的で柔軟な知恵」である。「好戦的」「狂暴」といったイメージとはほど遠い。それは自らの獣性、例えば貪欲、肉欲、欺瞞といった罪を背負ってくれる対象を求める人間の本性がそうさせたのだろう。邪悪な心はオオカミの真の姿に眼を背けた。


 その歴史はキリスト教的世界観に端を発するようだ。詳しくはさておき、オオカミの持つ精神性を表わす小説があるという。それはヘルマン・ヘッセが著した『荒野のおおかみ』。そこで描かれるオオカミの「魂」とは、「社会によって決して飼い慣らされることのない鋭い批判力と知性」を備えているとされている。


 思い入れ読みと笑われそうだが、『狼になりたい』と若者が立ち上がれば、世界は変えられるかもしれない。古来日本では「オオカミ」とは「大神」であった。しかし実際の狼も海外からのウィルスと毒物により絶滅させられた。言うまでもなく教育はオオカミ性を排除している。その筋で語られたのが『反教育論』だった。