すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

平和の代償が続いている

2019年07月02日 | 読書
 日本史についてはやや興味があるが、世界史・西洋史となると正直チンプンカンプンである。映画などにもあまり興味がない。
 だから塩野七生の高名は知っていても、その著書は読んだことがない。ただ雑誌に掲載された文章、対談記録などを目にすると、ずいぶんと鋭い見方をすると頷くことがたびたびある。

Volume.167
 「私たちがいまニュースなどで見て、『困ったことになっちゃったな』と思うことはすべて、『平和の代償』なのです。」

 本の刊行記念として行われた、読者との対談会。
 ある読者がローマ帝国の瓦解と絡ませ、日本の滅び方について問うたときに発した一言である。

 戦争は「悪ですが、ひとつだけ利点がある」とし、それは人々の願望が安全と食の二つに集約されることであり、長い平和の時代を過ごしてきた我々日本人の欲望は、分散し多様化してきたと説く。


 欲深くなり、勤勉さを失い、結果私たちの社会には「困ったこと」があふれるように出てきた。毎日のニュースやネット記事を賑わしている大半のことが、それを起因としているように思う。
 もちろん、「困った」と感じるかどうかは人様々であり、その種類も存在の根源に関わる問題から、そうでない些末なことに範囲は広い。

 私たちにとって「大したこと」は何なのか。きちんと見極めることが必要だ。
 「代償」であるから仕方ないとは考えず、我々の日頃の一喜一憂の本質を時々見つめてみたい。


 塩野は、こう語っている。
 「私たちはこの七十年の間に、得たものと失ったものをよく認識して、少しずつ微調整していくしかない。

 時々話題にしているつもりだが、はたして得たもの、失ったものを「よく認識」しているだろうか。