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桜と絵本と豆乳と

これも表現のエネルギー

2012年09月12日 | 読書
 『みんなで国語辞典② あふれる新語』(北原保雄 大修館書店)

 2009年の刊である。実は自分の携帯電話内に電子辞書?として内容が入っていた。しかし画面でみる習慣はないので、古本で見つけたときに、すぐ買ってしまった。

 それにしても、この造語エネルギーは凄い。
 いったい誰が作っているんだろうと想像してみるが、何か流行らせるための集団がいるのだろうか、訊いて回る役目の人がいるんだろうか…いろいろなことを考えてしまう。
 最終的にはこの辞典の企画で募集していることはわかっているが,どこかで使われているのは確かなようだし…

 さて,第1章の「恋の新語」をぺらぺらと見ながら、仮説がひとつ浮かび上がってきた。

 こんなふうに新語をつくりだすことが、もし今の若者の特徴の一つだとすれば、それはきっと、
「言葉に自分を近づけるのじゃなく、自分に言葉を近づけたい」
「自分(もしくは友人など)の今の状態には、新しい名づけが必要だ」
 そんなふうな思考が底にあるのではないかな。
 簡単に読めない赤ん坊の名づけも、それに近い感覚ではないかな。

 語彙数が少なく、自分が知っている、よく普及している言葉の組み合わせによって、言葉を作り出し意味づけしてしまう…基礎基本を教える職業上の立場からは苦言を呈したいこともあるが、実は若干の羨ましさもある。それは作り出すエネルギーや目のつけどころに新鮮さを感ずることが結構あるからである。

 意味の拡張は、一つの連想である。
 言葉と言葉のドッキングは想像力の一つといってよいし、俯瞰する力も入っているように思う。
 編著者の北原氏は「若者言葉のたくましさ」という。

 ここに収められた約1200語のうち、百分の一も使うことはないだろうし、忘れていってしまうのは当然にしても、まさしく表現のエネルギーが感じられるのは確かだ。

 「オノマトペの新語」を見ていたら、そういえば自分のオリジナルの一つとして、オノマトペを創り出して俳句をつくる実践があったことを思い出した。
 「擬音語で俳句を作っちゃおう」…個人集約を読み返してみる。
 おっ,なかなかいい句ができているではないか。

 ぺらぷらとお世辞止まらぬ母の口

 しゃりしゅると鏡の中で歯をみがく