すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

場や副音声や田舎住まいや

2011年01月24日 | 読書
 『話の後始末』(立川志の輔・天野祐吉 マドラ出版)

 中古書店で手に入れた2001年刊の本であるが、とても面白かった。
 志の輔の落語があって、その後二人のトークという形式。「大人の学校」とか「江戸大学」などと記されている章もあって、そうした催しの書籍化ということだろう。

 志の輔は富山出身、天野も厳密にいうと江戸ではないらしいが、双方とも何か江戸っ子気質で世相を斬りまくっている感じがして、読んでいて気持ちがいいし、また妙に納得させられることも多い。

 本とかラジオとかテレビというのは、場を犠牲にする代わりに、広く同じように行き渡せる(天野)

 東大出というのは、一人でいるととても頭がいいんだけれど、集まると馬鹿になる(志の輔)


 床屋で文字の読める人が新聞を客に読んでやる時代、置き薬屋が家に来て様々な情報を知らせる時代…そうした時を経て、どんどんコミュニケーションの場は少なくなっていた。
 そして同時に「自分で考える」という習慣が失われ、誰かにどこかへ誘導されている現実になかなか気づきにくい。

 本当に考えや思いをぶつけ合える「場」ということを考えてしまう。
 ネットにその可能性がないわけではないが、伝え合える情報量の「少なさ」は対面しているときの比ではないし、やはりその自覚が大事だと思う。
 意識的に残す、作る姿勢を崩してはいけない。

 この本でもう一つ納得したのは、メディア的な比喩だが「副音声」ということ。
 こうした音声切り替え的な発想は、今の閉塞感を打ち破るヒントになるのではないか。
 では今、具体的に自分がしていること…うーん少しはあるかな。


 さて、雑な感想以上にこの本を読んで強く思ったこと。志の輔の生の落語をもう一度見たいなあ。
 田舎住まいを悔しく感ずるのはこんなときである。