すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

時間切れの問いになって

2010年08月04日 | 雑記帳
 ここ数年続けて参加している弘前の「鍛える国語教室」に、今年も足を運ぶことができた。
 メイン講師の野口先生の他に照井、堀両先生という豪華な顔ぶれであったが、ゲスト?のお二人の講座時間が短く、少々惜しい構成だと感じた。テーマや内容設定などに意見できる立場にはないが、せっかくの…という気持ちを抱いてしまった。

 ともあれ、様々な情報を吸収できた会であったことは例年に劣るものではない。
 特に主たる内容の「伝統的な言語文化」についてあまり検討する機会もないままにいたので、いい勉強になった。
 いわゆる古文・漢文から詩歌だけでなく、神話、民話まで広く考えられることを再確認した。先取りのような形でここ数年音読や暗唱に取り組んできたことと実際の授業をどう絡ませていくか、今後の課題となっていく。

 野口、照井両先生にはそのためのいいモデルを見せてもらったということだ。
 素養の部分の勉強が必要になってくることは確かだが、それで腰が引けてしまっては進まないだろうし、逆にあまり難しく考えない方が得策のように思えてきた。

 堀先生のビデオ講座?は、ホームページ等で書かれていた「現物」を見られたということが収穫。小学校担任ではかなり限定されるだろうが、かなり似ていることをやってきた自分にとっては、いい刺激になった。溜めてあるビデオに手をつけてみなくては、と思わされる。

 会の最後は恒例となった野口先生の「修業講座」であるが、何度聴いても何度頷いても近づけない自分を感じる。だからこそ、そこにいると言うべきか。
 同じ話題は繰り返し聴いてきたが、その度に新しい逸話や警句を折り込んでおられるところ…これはリピーターでなければ発見できないのである。

 最後に「問う」ことをしようと思ったら、時間切れで打ち切られてしまった。参観歴二十数年の私にとってはかなりインパクトある言葉だった。

 「40代の時より、70代の今の授業の方がいいと思っている」
 
 具体的にどこがいいのか自己評価をお聞きしたかった。

 質問があったのですが…と最後に挨拶してきたし、年末にお招きするときにでも直接お伺いするつもりだが「えっ、そんなこと言ったけ」などとはぐらかされる気もしている。

 そんなふうに予想できるところがまた、野口先生の先生たる所以のように思えてくる。