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稽古とは、深い言葉だ

2009年06月03日 | 雑記帳
 相撲大会で主催者の挨拶を聞いていて、ふと耳に留った言葉がある。

 稽古 

 ごく普通の言葉ではあるが、学校では「練習」としか使っていない気がする。似たような意味ではあるのだが、稽古という文字が思い浮かんで、「古」というからには古くからの形式に則ってということだろうと予測がついた。では「稽」は何だろう?
 はてなではこう書かれていた。
 
 念のために、手元の漢和辞典を引いてみる。
 「あるところまでとどいてとまる。とどまる。」が最初に載っていて「つぎつぎと思いをめぐらす。かんがえる」は二番目となっている。
 「いにしえに思いをめぐらすこと」が稽古の語源ならば、やはりある意味で「精神論」「形式」が強く押し出されることになる。
 「およそ『日本的』な習い事」を指すことが多い」はいかにも的を射ている。

 稽古事などほとんどせずに齢を重ねた自分にとっては、やはりそうした世界にある種の憧れを感じてしまう。それは何か、稽古を繰り返したことによって内部に蓄積されただろう「古」。
 それは揺るがないものだろうし、いつでも戻ってよい、迎えてくれる場所のイメージがある。
 初めて知ったが、千利休はこんな歌を残しているという。深いなあ。

 稽古とは一より習い十を知り、十よりかへるもとのその一