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しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

アベノミクスがなんだって?

2014-11-30 12:59:00 | くらし、商品
 アベノミクスが大成功をおさめているって?
 だれが言ってるの?
 アベさん?
 そりゃあ、本人はそう言うわナ。

 年金生活者のぼくらにはっきりしていることはただ一つ。
 消費税は上がるは、物価(とりわけ食料品)は上がるは、で日々の暮らしが目に見えて窮屈になっている、その一点。
 お先灰色。
 これ、アベさんの政策と日銀の政策の二重の政策がぼくらにもたらした現実の経済効果。

 世間を見渡しても、大きな企業のサラリーマンはたしかにベアとボーナスの恩恵は受けているけど、小さな企業の社員となると、わずかなベアも物価上昇に超されてしまって、結局はベースダウン。
 金持ちはどんどん厚くし、貧しいものからはどんどんはぎ取る。
 はてしない格差拡大。
 アベ暴走。

 やっぱり民主党や共産党や生活の塔なんかにがんばってもらわんと。
 今度の総選挙では、ぼくはこの三党のなかから候補者を選ぶつもり。

そば湯はどこへ行った

2013-06-13 18:18:00 | くらし、商品
 神戸の三宮かいわいには何軒か「家族亭」というそば屋さんがあります。
 ぼくの好きな店なのです。
 とりわけざるそばは、神戸ではここの店が最高だとつねづねぼくは思っています。
 少し黒みがかった色はそば粉の配合が絶妙なことをあかしています。
 それを濃いめのつゆでいただきます。
 わさびとねぎがたっぷりなのも、心を豊かにしてくれます。
 
 昔どおりにそば湯がおしまいに出てくるのも、この店の味わいです。
 出し方がいいのです。
 あとちょっとで食べ終わるなという段に、すばらしいタイミングで出てきます。
 「そば湯です。よかったら、どうぞ」
 勘定書きもこのときにそっと添えられてくるのです。
 ほんとうに、そっと、です。
 味が主役で、お金はついてくるものです、という店の思いが控えめな作法にあらわれます。
 
 それで550円は、どう考えても安いです。

 さて、ぼくがよく行くのは高架鉄道の北側にある店と地下街の南端にある店の2店です。
 どんぶりものなどのメニューも豊富で、なにを注文しても、今までに裏切られたことはありません。
 その「家族亭」がポートアイランドにもできていると知ったのは、この人工島の市民病院へ通うようになってからのことでした。
 病院の少し南に、落ち着いた、品のいい店を構えています。
 帰りに一度は入りたかったのですが、なにしろ歯の根っこを8本ばかり抜くための通院でしたから、そばを食べるどころではなかったのです。
 それが、きょう晴れての無罪放免。
 さっそくその病院南の「家族亭」へお邪魔しました。

 いうまでもなく、まずはざるそば。
 間違いなくいい味です。
 じゅうぶん満足したのです。
 ところが、そこからあとがどうもいつもの段取りと違うことになったのです。
 そば湯が出てこなかったのです。

 見れば、勘定書きも最初からテーブルの上にありました。
 ひょっとしたらそば湯はこの店ではらち外なのか、とむろんすぐにそのように考えました。
 しかし、器の底に残ったつゆにそば湯をそそいで、ゆっくりといただくあの醍醐味。
 ぼくには至福の時間です。
 貴重な儀式だといってもそう間違いではありません。

 もう少し待ってみるか、とまだ未練がましく座っていました。
 2分ばかりたちましたが、いぜん出てくる気配はありません。
 忙しそうに立ちまわっている店員さんをつかまえてお願いするのも気がひけます。
 とはいっても、やっぱりそば湯なしでは立ち去りがたく、タイミングを待つことにしたのです。
 するとさらに2分ばかりして男の店員さんが、どうやら頼んでもよさそうな雰囲気でそばを通りかかってくれました(店長さんかもしれませんが、それは確かめていないのでわかりません)。
 「すみません、そば湯をお願いします」
 「少々、お待ちください」
 それが店員さんの答えでした。

 ところが、です。
 そのそば湯が来ないのです。
 ああいうものは間髪いれずに出てきてこそ、すっとそっちへ乗り移ることができるのです。
 二分も三分も待たされるのは、間抜け面もいいとこです。
 それに料金を払っていただくものならまだ格好がつきますが、もともとタダのものですから、なにかしら、どうも、もの欲しげで、その格好悪さが時間とともにいっそう強くじぶんに見えてくるのです。
 そば食いとしてはどんどんメンツが壊れていく気分です。
 とうとういたたまれなくなりました。
 そこで席を立ったのです。

 カウンターには中年の女の店員さんがにこにこと待っていました。
 店を黙って出てもよかったのですが、黙って出るとたぶん夜中まで裏切られた気分が続きますから、ついひとこと彼女に言ってしまうことになりました。
 「そば湯をお願いしたのですが、きませんでした」
 すると、なにを勘違いしたのか、彼女はいっそうこぼれるような笑いを浮かべて、
 「ありがとうございました」
 と言うのです。
 「そば湯を頼んだのに、こなかったのです」
 すると、今度ももっと明るい笑顔になって、
 「それはそれは、ほんとうにありがとうございます」
 とまたそう繰り返すのです。
 要するに、こちらのいうことをなにも聴いていないのです。
 ただ感謝の言葉と笑顔とを、おそらくはマニュアル通りに、前よりもっと懸命に繰り返すだけなのです。
 「いえ、そば湯が来なかったのです」
 さすがに今度はそば湯という言葉だけは届いたらしくて、前よりは近い返事になりましたが、近づいただけ、なおさら逆なでされるような言い方になったのでした。
 「そば湯ですか。申しつけてくださればお持ちいたしましたのに」
 もちろんこぼれるような笑顔です。
 「いえ、さっき男の店員さんにそば湯をお願いしたのですが、持ってきてくださる気配がないんです。しびれを切らして、あきらめました。忘れてしまわれたのでしょう」
 そこでようやく彼女はわかったようでした。
 「どうしましょう」
 もっと笑いながらもっと明るい声をしてこう申されたのでした。

 どうしましょう、と言われても、ぼくにはどうしようもありません。
 たじろいでしまう始末です。 
 もう絶句するばかりです。
 すると彼女はなおも笑い続けながら言いました。
 「今からお持ちしましょうか。席に戻っていただけたらお持ちしますが」
 今となってはそば湯にこだわっていることじたいが、なかなか、けっこう、みじめなのに、そのうえさらに恥の上塗りをさせられそうな雲行きです。
 大声で捨てぜりふを怒鳴って出るには、そこはそこ、やはりそれなりの訓練が要るわけで、そんな作法を習得していないこの身では、まぬけ面に半端な笑いを浮かべながら退散するほかありません。

 …まあ、ブログ向けにちょっとおもしろい話ができた。
 これで、いっか。

 それにしても、新しい店というのはだんだんこんなふうになるのでしょうか。
 いつまでも大切にしたい店なのですが。

小さな心の大きな痛み―死に脅えるこどもたち

2011-07-31 19:06:00 | くらし、商品
 幼稚園が夏休みで、孫が泊まりに来てましてね。
 かわいいんですよ。
 孫がかわいいというのは、たぶん遺伝子にすりこまれてるんでしょうね。
 理屈ではない。

 その孫が晩ごはんを食べていて、言うんです。
 猫ちゃんが死んでしまった、って。
 ママの実家の猫ちゃんが老衰で旅立ったらしいんです。

 みんなにかわいがられて、ありがとうっていいながら天国へ行ったよ、って慰めたんですが…。

 それで終わってたら、まあ、それで終わりだったんですが、そこで孫が言ったんです。
 わたし、死ぬの、こわい。
 ちょっと涙を浮かべましてね。
 びっくりしました。

 まだ5歳で、もう死のことに心を痛める。
 あわてましたよ。
 あなたにはまだまだ数えることもできないほど先のことで、そんなこと今はぜんぜん考えることなんかない、とかなんとかワイワイ言って。
 正直にいえば、ごまかして、まるめこんだというわけで。
 ほかにどうしようもないでしょう。

 だって、ありのままをいえば、こどもが小さな心で死のことをひとりで考えているときのその深い孤独、その深い孤独はどんな大人であっても手のほどこしようがないですから。
 どんな手も届かない。
 人間が生まれながらにしてもっている根源的なつらさ、といえばいいか。

 そして、ああ、そうだった、と思い出しもしたんです。
 そういえば、ぼくも幼稚園のころに死をとても恐れていたな、と。
 母親がね、よく言ってたんです、
 お母ちゃんはほんとうは死んでしまいたい、って。
 おまえがいるから仕方なしに生きてるけど…。

 のちになって母から聞いたところでは、そのころ、父親が浮気してたり、祖母との仲がうまくいかなかったり、経済的に苦しかったりで、母親自身が追いつめられていたようなんです。
 それで5歳の長男にぐちをこぼしていた。

 でも、こどものほうは本気で聞きますからね。
 あしたにでも不意に母親が死ぬのではないか。
 母親が家を留守にしたりしてると、もう死んだんじゃないかと思えてきて、泣きだしてしまうんです。
 ワアワアと大声で。
 思えば、近所迷惑なことでした。
 
 それに、自分が母親の重荷になっていると思いこんで、なにかヒリヒリするような日々を送ってたなあ、と。
 
 とにかく身につまされる気がします、こどもが死に心を痛めている姿というのは。
 5歳にして味わっているどうしようもない根源の孤独。
 孤独という言葉さえ知らないのに。

 いや、ぼくの孫だけじゃないですね。

 大震災と原発災害で苦しんでいる東北には、そのようなこどもたちがいっぱいいるんです。
 大人たちが復興へ没頭しているときに、こどもたちはそれぞれの深い孤独にひっそりと耐えている。
 今の日本の大きな不幸ですね。

 こどもが死におびえなくていい国へ。
 それはぼくら大人の責務ですね。

コスいのも才能

2010-04-09 23:11:00 | くらし、商品
 ウチの近所の駐車場がゴミだめになりつつあるんです。
 ムヒヒヒヒ…。

 ゴミを出す日ではないのに出したり、既定の袋に入れないで無料のビニール袋に入れて出したり、規格外のデカいゴミを出したり…、そういう人が夜中にそっと置いていくんでしょう。
 まあ、人が10人いれば、確実に一人はそういう人がいるんです。
 主体性がないから、他人が見ていなければ、やってしまうわけですね。
 これは、年端のいかない幼児から、いい歳こいたおとなまで、同じです。

 でも、面白いじゃないですか。
 それが人間(この場合は日本人ですが)の社会というものです。
 コスイことをするのも、その人の才能のひとつです。

 最初はちょっと腹立たしく思いましたがね。
 いまは、いつになったらゴミの山ができるか、そこを通るたびに楽しみに見ています。
 ムヒヒヒヒ…。

賀川豊彦の精神どこに―神戸・コープの墜落

2009-09-22 13:12:00 | くらし、商品
 神戸の青谷にコープミニ青谷という店があるんですが。
 今年はこれで2回も商品棚の表示価格と違う値段を請求されました。
 いえ、たいした品物ではないんですがね。
 コープ自身が発売しているカン入りのトマトジュース(食塩添加分)。

 棚の表示価格が68円だったので、200円の梨といっしょにカウンターに出したら、278円の請求が来たんです。
 あっ、ぼくが棚で見間違えたんだ、とそのときはそういうふうに思って、言われるとおりに払いましたが、どうもシックリしないので、帰りにもういちど棚を見にいったら、やっぱり68円なんですね。

 ああ、またか、と思いました。
 ちょっと前にも同じようなことがありましたから。
 組合員向けにけっこう大きく割り引いたくだものが売り出されましてね。
 で、ぼくは組合員証を出してそれを買ったんですが、店員さんが求めたのは一般の顧客向けの高い金額だったのです。
 ずいぶん額が違いましたから、そのときはもう一目瞭然(いちもくりょうぜん)で、すぐ訂正してもらいましたが、けど、気がつかないでいたらそのままですよね。

 今回はたった10円のことだったし、お客も混んでいたので、店員さんに口で注意しただけで、そのまま帰ってきましたけどね。

 店員さんがタルんでいるのか、それともコープもムリな合理化を進めて、人員不足から目が届かなくなっているのか。

 コープというのは、もともと神戸で貧民の救済に専念した賀川豊彦(神戸生まれ)が、貧しいひとびとの生活を守るために創設したものです(1920年、神戸購買組合)。
 神戸では生活協同組合(灘神戸生協、コープ)といえば、市民の尊敬さえ受けてきたのです。
 長年にわたって神戸市民がコープを支えてきたのは、単に商品が安く手に入るというだけではありませんでした。
 そこには賀川豊彦の精神に対する深い敬意が脈々と流れていたのです。

 じっさい、神戸ではまだ多くの市民が「コープさん」とサンづけで呼ぶほどです。

 しかし、コープが全国規模になって、いまや不祥事も珍しいことではなくなってしまいました。
 信用をどんどん食いつぶしている格好です。

 昔の生協を知るものには、今のこのテイタラク、さびしいかぎりです。
 賀川豊彦は資本主義の暗部と懸命に闘いましたが、いまのコープは、賀川が闘ったその資本主義の暗部に巻き込まれていく気配です。

美人から受けたブベツのまなざし

2009-08-08 22:21:00 | くらし、商品
 帰りのバスでのことです。
 座席で本を読んでいたんですが、何かが肩にドスンドスンとあたるんです。
 見上げると、20代のはじめか半ばくらいかなあ、と思われる女性がそばに立っていて、彼女が腕にかけている大きなバッグが(デカいピンクのバッグ!)、バスの揺れとともにぶつかってくるんです。
 それでも、まあ、ワルギでそうしているわけではないんだし、そのうち気づいてくれるかもしれないし、と思って、本を読み続けていたんです。

 ところが、ぼくのバスは三宮から六甲山の山すそへのぼっていく2系統で、途中からかなりの急坂のカーブ続きになるんです。
 で、バスが傾くたびに、バッグがドスンドスン。
 もう本を読んでいるどころではなくなって、言ったんです。
 「おじょうさん。バッグがぼくの肩に当たるんです。当たらないようにしていただけませんか」

 すると、そのおじょうさまが、ジロリとぼくを見おろしたんです。
 なんだ、このオッサン、という顔です。
 もちろん、すみませんのひとこともありません。

 見れば、なかなかの美人です。
 きっと自分でも美人なのを誇りにしているにちがいありません。
 目を見ればわかります。
 美しさこのうえないこの私に、あんたのようなオッサンが何か言う権利でもあると思ってるの、身のほど知らずが、と見くだしている目なのです。

 いやあ、ちょっと弱っちゃったなあ、という気になって。
 2系統の青谷線というのは沿線に海星や松蔭といった昔からのお嬢さん学校なんかもあって、ふだんはけっこうデリカシーのある娘さんたちと乗り合わせているものですから、なんか、調子はずれになってしまって。

 でも、バッグは当たらないように少し腕をあげてくれましたから、まっ、いいか、と。

 オッサンはオッサンですから、このオッサンとブベツ(侮蔑)の目を向けられて、いや、それは違う、とも言えませんし…。 

あたたかい息子夫婦

2009-03-19 23:15:00 | くらし、商品
 息子夫婦が誕生日祝いだといってプリンを贈ってくれましてね。
 2歳の孫が部屋へ持ってきてくれて。
 うれしかったですねえ。

 ぼくらの世代はたぶん多くがそうなのだと思いますけど、親に誕生日を祝ってもらったことなどないんですね。
 誕生日のお祝いなんてのは、一部のお金持ちの家のことだと思ってました。
 それだけになにかちょっと恥ずかしい気持ちもあるんですが、こうしてあたたかい気持ちに触れますとねえ、よけいうれしくって。

 ありがたいですねえ。
 大げさではなく、世界観が変わりますよ。

悪徳企業と政府のウルワシきハーモニー…汚染米転売

2008-09-17 23:00:00 | くらし、商品
 食品会社の三笠フーズが、政府(農林水産省)から買い入れた汚染米(メタミドホス米、発がんカビ米)を、食用として酒造業者や菓子業者に転売したことについて、会社の担当者はこんなふうに言っています。
 「もうけるためだった。食べたからって、それでどうってこともないんですから」

 農林水産大臣の太田さんは、汚染米でつくられた焼酎(しょうちゅう)について、こんなふうに言いました。
 「実際の毒性はほとんどないんだから、私はジタバタしていない」

 悪徳業者と政府のなんとみごとなハーモニーでしょう。
 会社は、もうかるんだったら、法律など破ってしまえ、という考えです。
 太田大臣は、実害がなかったら、少々法律を破っても見逃してあげましょう、という考えです。

 死に体首相の福田さんは、消費者を保護するためにナントカいう省庁をつくるとさかんに言っておられますが、できたところで、ただ何かやっているというカッコウだけじゃないですか。
 むしろ、業者(会社)を守るためのカモフラージュじゃないですか。
 
 首相が表向きナンと言おうと、おそらく太田大臣の言ってることのほうが政府(自民党政府)のホンネでしょう。

 あの小泉さんが首相になってからというもの、産業界のなかでも政府のなかでもモラル(倫理性、道徳性)が壊れていくばかりで、もう今の自民・公明の政権では救いようがないんじゃないですか。

 とにかく、自民党という政党には政治の哲学がないですからねえ。

政府のヘマから始まった―汚染米転売

2008-09-15 22:37:00 | くらし、商品
 そりゃあ、農林水産省と三笠フ-ズはグルだと、そう考えたほうが自然ですよ。
 そう思うでしょう? あなたも。
 だって、農水省の担当官というのは、農産物のプロですよ。
 べらぼうな量の米(汚染米)を三笠フーズに売っておいて、その全部が約束どおり工業米に回されるなんて、ハナから思っちゃあいませんよ。
 工業用にはそんな大きな需要がないってこと、それはじゅうぶん承知のうえで売ってるはずですからね。
 供給と需要の関係は、流通のABCだし、行政のABCですよ。

 農水省にしてみれば、自分たちのヘマで中国から買わされた汚染米ですからね。
 税金をドブに捨てるようなことをしたんですから。
 国民に知られる前に早く売り払ってしまいたい。
 コソッと売ってしまいたい。
 そこに三笠フーズが現れた。
 渡りに舟ですよ。

 もちろん、これは食用にしてはならない米です、ってひとまずは言いますよ。
 三笠フーズも、わかりました、と答えるでしょう。
 でもおたがいにハラはわかっている。
 ハラ芸ですね。
 ハラにデカい顔をかいてペコポコ踊る、あのハラ芸とは違いますよ。
 あっちは罪がないけれど、こっちは悪徳商人と悪代官が、「ゴゼンさま…」「ウム…」と言ってニヤリと笑う、アレですね。

 だから、あとの検査だって形だけになって当然のことでしょう。
 お目こぼしに次ぐお目こぼし。

 しかし考えてみれば、なかなかスゲエ作戦ともいえますね。
 農水省の失敗をゼーンブ国民の胃の中に隠してしまおうってんですから。

 それに、腐った官僚と腐った企業の結託(けったく)ですからね。
 魚心と水心で、腐った関係も深まります。
 農水省の担当課長が三笠フーズの社長から飲ませてもらったり食わせてもらったりしていたっていうんでしょう。
 あって当然のことですよ。

 接待は1回とか2回とか、わずかだったといってますがね、ごくふつうに考えて、そんなことありえないでしょう。
 防衛省の事務次官もひどかったじゃないですか。
 金だって動いたのではないか、とそう推測するのがふつうでしょう?

 法律的にどのくらいの罪になるかというと、これには明らかな証拠が残っていないとだめですから(消せる証拠はぜんぶ消されちまってます)、結局はあいまいな結果になるかもしれませんし、陰では政府の圧力も働くでしょうから、なかなか全体像は出ないでしょうが、ここはやっぱり国民のごくふつうの判断と常識的な推測がマトを突いている、とそういうふうに思いますね。

農水省の担当官は何をしていた?―毒入り輸入米

2008-09-08 22:26:00 | くらし、商品
 毒入り輸入米を三笠フーズに売った農林水産省は、米が食用に回されないように立ち合い検査をしていたというんですがね。
 なら、よけい悪いじゃないですか。
 農林水産省の担当官は何を調べていたんです?

 政府はこのさい三笠フーズだけを悪者にしようとヤッキですがね、しかし中国政府から大量の毒入り米を買わされて、とほうにくれていた政府にとっては、三笠フーズはいいお得意さまだったわけでしょう。
 国民の税金で中国からアホな買い物をして、なんとかそれをゴマかしたかったというのがホンネのところでしょうから。
 まあ、きたない米をめぐって、魚心と水心、ってわけですよ。
 監視だってとうぜんマアマアになっちまう。

 国民のことなんか頭になかったと思いますよ。

 それとも目の前で起きていることすら見えないような、そんなフヌケが担当官になっているんですか。

 これが今の日本の役人の姿か、企業家の姿か、と思うと、日本人であることがなさけないですね。

 醜い自画像がどんどん出てきます。
 もう見るのがつらいです。
 なんとかしなきゃあ。

 (注) 政府・農林水産省は最初、要らん混乱が起こるからという国民をバカにした理由で、毒入り輸入米を使って焼酎を売り出した酒造会社の名前を伏せていましたが、ぼくら国民の批判をかわしきれないとわかって、公表に動き始めました。焼酎メーカーには打撃でしょうが、これはともかく健康と職業倫理の基本的な問題です。ごまかし通すことはできません。やはり批判は批判としてスジを通してすべきべすね。