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しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

がんばれイガワくん

2008-03-03 22:58:22 | ノンジャンル
 大リーグのイガワくんが、大学チームとの練習試合で、学生の選手に満塁ホームランをかっとばされましたねえ。
 プロのボクサーがアマチュアのボクシング選手にアッパーカットを食らってのびてしまったのと同じですねえ。

 イガワくんはどこまでブザマなかっこうをぼくらに見せてくれるんでしょうね。
 今年も楽しみですねえ。

 阪神タイガースは今年もあまり期待できるようには思えませんけど、そのぶん、イガワくんが踊ってくれることでしょう。
 がんばれイガワくん。
 もっと笑わせてくださいね。

すばらしいことが

2008-01-01 18:20:13 | ノンジャンル
 あけましておめでとうございます。

 宇宙波動関数の考え方に従えば、わたしたちの考えるような時間はこの宇宙には存在しないわけで、さすれば、新しい年が始まるなんてのもわたしたちの共同幻想にしか過ぎないわけですが、まあ、幻想は幻想として、今日はおめでとうと言い交わすのがエチケットでありましょう。

 エチケットを尊重して、新年おめでとうございます。

 みなさまの身と心に、そしてわたしたちの身と心にも、すばらしいことが起こりますように。

 編集委員会一同、つつしんでごあいさつ申し上げます。

いい年を!

2007-12-31 22:16:53 | ノンジャンル
 このブログにお立ち寄りいただいている皆さま、2007年はありがとうございました。

 2008年が皆さまにとって、幸運でぎゅうぎゅうに満たされた年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

 実生活の上でも精神生活の上でも追い詰められた気持ちに立たされることの多いここ何年かの日々ですが、負けないで進みましょう。
 
 泣くことがあっても、泣きながら進みましょう。

 ポロポロ涙がこぼれても、ポロポロ涙をこぼしながら進みましょう。

 ねっ。

坂東大蔵のお夏狂乱―澄んだ哀しさ

2007-06-17 19:09:02 | ノンジャンル
 坂東大蔵さんはお城の町の姫路を拠点に活動を続けている舞踊家です。ことし77歳になるという大ベテランです。大蔵さんが主宰する一門の「おどりの会」が姫路市文化センターで開かれました。

 大蔵さんは「お夏狂乱」(常磐津)を踊りました。お夏というのは、清十郎という恋人との仲を引き裂かれたために気がふれて、姫路の城下をさまよい歩いたと伝えられる商家の娘のことなのです。井原西鶴が「好色五人女」で採り上げて、近松門左衛門も人形浄瑠璃にしています。大蔵さんは坪内逍遥の台本(大正2年初演)をベースにして、もとは独舞と群舞で構成されている作品を、お夏の独り踊りに再構成して演じました。

 とてもかわいくて、そして哀切なお夏ができあがりました。お夏が清十郎との恋に破れたのは17歳か18歳のころのことといわれてますから、思えばその4倍もの年の、それも男性の舞踊家が踊ったわけですが、そんなよけいなことはいっさい考えさせない、ひたすらに哀しいお夏の世界が舞台の上に現れました。目に鮮やかな赤の衣装が、なんとういういしく見えたことでしょう。

 舞踊というのは時空を超える魔法ですね。

 もっとも大蔵お夏のその澄んだ美学は、大蔵さん生来のまっすぐな心がシンにあってのことでしょうね。計算高い世俗の風に染まっては(40年、50年、60年と、ふつうはどんどん染まっていってしまうのですが…)、あの透明な哀しみは出てきません。

 やっぱり、精神、なんですね。
 

名流舞踊の会(第56回)

2007-03-18 13:39:11 | ノンジャンル
 兵庫県の日本舞踊をリードする重鎮や実力派師匠が出演して舞台の美を繰り広げる「名流舞踊の会」が神戸国際会館こくさいホールで開かれました。今年は56回目。主催は兵庫県舞踊文化協会と神戸新聞社です。

 話題はなんといっても神戸を代表する2人の舞踊家、花柳芳五三郎さんと若柳吉金吾さんの顔合わせとなった「角田川」。狂ったように我が子を捜す母親の火のような心の内と、静水のような穏やかさでそれに対応する船頭の心の内。それが、“動の踊り”の吉金吾さんと“静の踊り”の芳五三郎さんによって見事に表現されました。花の咲きほころぶ川辺での2人の姿はさながら錦絵のようでした。

 小寺一登代さんのリンとした「あやめ浴衣」、坂東大蔵さんのしゃだつな「四季の山姥」など目を引き付ける舞台の多い会でしたが、若柳作香さんの「神田祭」はスキッとした踊りで江戸の粋を存分に発揮、藤間莉佳子さんの「文売り」も神経の行き届いた表現で、繊細な美をたんのうさせてくれました。

 花柳吉叟さん、淳叟さん、吉小叟さんによる「鶴亀」も祝儀の曲にふさわしく荘重に、典雅に踊られ、なにか神聖な空気さえ漂いました。

 なおもう少し絞った評をこのブログの姉妹ページ「Splitterecho」Web版でも掲載しています。ご覧ください。
 「Splitterecho」Web版 http://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/

藤田佳代舞踊研究所の創作実験劇場を見て

2007-03-12 13:54:21 | ノンジャンル
 ダンスでどこまでのことが表現できるか、ダンサーをしているかぎりはそれをとことんやってみよう。その冒険心と自負心と責任感こそが、藤田佳代舞踊研究所が「創作実験劇場」というユニークな試みをこんなにも忍耐強く続けているエネルギーの源でしょう。この春は西宮の兵庫県立芸術文化センターで行われ、8人の振り付けで10の新しい作品が上演されました。

 舞台の完成度や美しさという基準でみればここで報告するのとはまた違った作品の並べ方になるでしょうが、「実験」という視点からみれば、菊本千永(ちえ)さんの「GIFT」(贈り物)がダントツに際立っているように思えました。
 この感覚の鋭いコレオグラファー(振付家)は、ここのところ、確かに同じ存在でありながらしかし微妙に違う存在である2人の自己、という極めてデリケートな人間の内的構造を浮き彫りにしてきているように読めるのですが、今回はそれがまたいちだんと的確な表現と繊細な陰影に深まっているように見えました。
 人はひとりひとり「運命」というGIFTを贈られてこの世に生まれてくるといいます。でも今のこの私の生き方は、そのGIFT通りのことなのだろうか、もしそうだとしてじゃあ明日にはどんな設計図が潜められているのだろう…。パンドラの箱のような「運命」の箱をめぐって、2人の私が問いかけ合い、希望をかきたて、不安をかきたて、慎重に遠ざかり、衝動的に接近し、そうして舞台はやすみなく緊張を高めていくのです。
 とりわけこの2人の「同じでいながら違う」自己が、限りなく接近しながら完全には重ならない、しかし重ならないながらほとんど重なる、そのえもいえない微妙な境地は、舞踊ならではの最高の美、といわずにおれないものでした。

 鎌倉亜矢子さんの「スパイラルな夜」も、夜のとばりの中でいろんな想念を繰り広げる、いわば夜との踊りを連想させる作品でしたが、語りかけようとすれば語りかけられ、聴き取ろうとすれが聴き取られ、踊ろうとすれば踊らされ、回そうとすれば回され、隠れようとすれば隠される、まるで螺旋構造(二重螺旋!)のような夜の正体がくっきりと見えてきて、いろんな思いを喚起させられるダンスでした。

 それと向井華奈子さんの「ばらはだんだん咲かなくなった」。この人の踊りには何かに憑かれているような凄みがあって、コンセプトや観念やイデーを超えて、直接感覚に訴えてくるデモーニッシュなエネルギーがあります。舞踊が舞踊の原点で勝負しているようで、見るほうもいきなり骨が揺すられます。


 なお藤田佳代舞踊研究所の公演については、これまでの作品評を本ブログの姉妹ページ「Splitterecho」Web版のKOBECAT0004,0008,0010、およびCahierなどに掲示しています。ご参照ください。Web版はhttp://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/


香りを飲む

2007-03-06 02:08:28 | ノンジャンル
職場の後輩が今朝コーヒーをいれてくれた。なんでも勤め先で余ったものを貰ってきたという友だちからのお裾分けなのだそうだ。

いつも乱暴な言動で職場のおじちゃま方を驚かせてくれる彼女。普段から賞味期限にも無頓着で、油のまわったようなすごい臭いを放つスナック菓子でも平気で食べてしまう。そのあまりの臭いに危険を感じて廃棄するよう説得したことも度々あるのだが、そんな彼女がいれてくれたコーヒーなのである。一瞬「どうしたものか」と思った。が、せっかくいれてくれたのだからと勇気を出し、カップから立ちのぼる湯気に恐る恐る鼻を近付けてみた。すると意外なことに、まろやかな甘さに心地よい苦さをプラスしたコーヒー豆の豊かな薫りがした。「美味しそう」なのである。そして薫りに誘われるまま一口すすると、私が以前まで気に入って通っていた喫茶店のコーヒーによく似た旨味が、口の中に広がったのである。後味も残っているのはほどよい苦みと甘みだけで、不味いコーヒーにありがちな不快な酸味は全く残らなかった。「コーヒーいれるの得意なの?」と尋ねると「普段はインスタントしか飲まないから適当にいれたけど」と返ってきた。

幼い頃、いつも祖父が土産に持たせてくれたのは某菓子メーカーの商品だった。特にピーナッツチョコの徳用大袋が私の大好物で、一粒ずつキャンディ包みになっている包装と芳ばしく煎ってあるピーナッツの味が恋しくて、時にはお小遣いをはたいて自分で購入していたくらい思い入れ深いお菓子だった。
しかし、そんな思い入れを裏切るような事件(消費期限切れの材料を使用した生洋菓子の販売などずさんな衛生管理)が発覚した。その後も異物混入など次々と発覚し直ちに全ての商品が売り場から撤去された。
そして先日、パン業界大手の製パン会社支援のもと、一部の商品から製造を再開することとなり手始めにメーカーを代表するマスコットを型どった焼き菓子が復活した。販売当日、売り場には長蛇の列が出来ていたらしい。近いうちにあのピーナッツチョコの製造も再開されるのだろう。だが何か釈然としない。私はそんなに簡単に許すことはできない。恐らく二度とあのピーナッツチョコを買うことはないだろう。新聞の記事を読みながらそう考えていた。

今朝のコーヒーは飲み終えたあともカップから甘い薫りが漂っていた。名残惜しくカップを手に眺めているとそれは取っ手まできれいに洗ってある「清潔なカップ」だった。

特別な日

2007-02-12 02:57:10 | ノンジャンル
今から40年ほど前なら家庭で洋食を作るのもちょっとした贅沢だったのではないだろうか。現在ならインスタント食品や冷凍食品で手軽に食べることの出来るシチューやマカロニグラタンでさえも珍しいものだったに違いない。当時、普段家庭では作れないと思われていた本格的な洋食(西洋料理)を有名ホテルの料理長が手解きしてくれていた料理番組があった。NHK『きょうの料理』である。もちろん番組は今も健在であるが、視聴者がよせる信頼の度合いは今と昔とでは雲泥の差である。もしも家庭で本格的な「ハンバーグステーキ」を手軽に食べたいとお思いなら一度このソースをお試しいただきたい。

材料・・・
ケチャップ、コンソメスープ(湯にコンソメスープの素を溶かしたものでも可)、ブランデー(又は白ワイン)、粗びき黒胡椒、小麦粉(焼く前のハンバーグに予め軽くまぶしておくと後でソースのトロミになる)

作り方・・・
1.ほどよく焼いたハンバーグを一旦フライパンから取りだし、そこにコンソメスープ、ケチャップ、ブランデーを入れ分量が半分になるまで強火で煮詰める。
2.煮詰まったら再びハンバーグをフライパンに戻し入れソース全体にトロミがつくまで弱火で更に煮詰めていく(途中、ソースをハンバーグに絡めるようにして煮詰めていく)。
3.仕上げに粗びき黒胡椒で味を調えたら出来上がり。

所要時間は10分足らず。大して手間を掛けなくてもこのソースを絡めればいつものハンバーグもご馳走になるのである。贅沢とは僅かな手間を惜しまないことだと舌で感じことが出来る。特別な日にいかがだろうか。

おめでとうございます

2007-01-01 00:40:49 | ノンジャンル
 新年おめでとうございます。
 神戸では午前零時を迎えると港に入っている船がいっせいに汽笛を鳴らして新しい年の訪れを祝います。
 街の空にひとしきり汽笛の響きが満ち満ちて六甲の山並みにも反射するように聞こえます。
 このときばかりは街の人びとも聞き入ります。
 今年は去年よりたくさんの汽笛の音がありました。
 いい年になるでしょうか。

ドイツ・EUの文化政策

2006-12-11 23:58:56 | ノンジャンル
先日EUインスティチュート関西主催で
ドイツの文化政策の研究者でオペラ演出家・製作者でもある
マティアス・テーオドル・フォークト教授の講演が
神戸大学で行われました。

フォークト教授について紹介を。

ザクセン文化インフラストラクチャー研究所所長、
ツィッタウ/ゲルリッツ大学(ドイツ)経済学部
文化政策・文化史担当教授。
1959年ローマに生まれ、
ドイツで成長。音楽学、哲学、ドイツ文学をミュンヘン(修士)、
パリ、エクサン・プロバンス、ベルリン(博士)で学ぶ。
経済鑑定人、チーフ学芸員(バイロイト音楽祭)、
ドイツ、スイス、オーストリア
(ウィーン国立歌劇場、ザルツブルク祝祭)、
イタリア(ヴェネチアビエンナーレ、
ミラノスカラ座)、ブルガリア、ロシア、中国での
演出家としての活動をはじめ、
5ヶ国語による編著者としての約50作の著書および論文など、
実践と理論を架橋する研究者。

3つに絞ってその内容・感想を書きます。
(1)
講演タイトルは
「旧東ドイツ国境都市ゲルリッツ-ズゴジェレツの文化政策」
私の予想では「ここではこんなことしていまーす」的な
講演かと思いきや、
最初は「政治(政策)」とは?、「文化」とは?
という概念の話。
「政治(政策)」の概念として、有名な?ヘラクレイトスの
「争いは万物の父」について解説。
ちなみにこれは誤訳であるとフォークト教授も
通訳の藤野一夫神戸大学教授も言っていました。
またアウグスティヌスなど古代ギリシャ哲学も引用して解説。
「文化」の概念としてはゲーテの「ファウスト」を例に解説。
とかく政治だの文化だのという言葉を
私達は簡単に使いますが、
概念をしっかりと理解すべきと感じました。

(2)
具体的な話は今EUが進めている「欧州文化都市/首都」に。
1985年から毎年1都市を「欧州文化都市」と定めて
文化政策振興を行っています。
フォークト教授が住んでいるゲルリッツは
ポーランド・チェコと境界を接する都市で
文化遺産も沢山あり、「境界都市」の利点を活かして
パスポート見せるだけで自由に往来出来る
都市づくり・文化政策をしています。
2010年の欧州文化都市に立候補したのですが、
残念ながらエッセンに次いで第二位でなれませんでした。
ちなみに欧州文化都市には
ゲルリッツ(ドイツ)-ズゴジェレツ(ポーランド)として
二つの都市共同体として立候補している唯一の所です。
ゲルリッツ-ズゴジェレツのシンボルマークが
正六角形を二つ並べたマークなのですが
これは二つの都市を表しているとともに
ゲルリッツ-ズゴジェレツがEUの文化都市の中心だという
気概を表したマークでもあります。
私はこれを見てドイツの地理学者クリスタラーの提唱した
「中心地理論」を想起しました。

(3)
EUというと、私達がニュースで見る限りでは
政治経済的な「駆け引き」がされているところが
とかく目に付きます。
確かにそれは一方では事実でしょう。
しかし少なくともヨーロッパの指導者層や知識層は
困難を少しずつ解決しながらも
EUという枠組みを構築しようという方向性を感じました。

最後に余談。
私は関空にフォークト教授と奥様を迎えに行ったのですが
奥様は典型的なゲルマン美人のアートマネージャー。
フォークト教授は髭をはやしているので老けて見えますが
まだ40代です。
葉っぱを自分で紙に巻く紙巻き煙草愛用者。