12人来たぞ。
おかげで5×5ができた。
ただ、俺の体調が悪くて、最後は休ませてもらった。
ゲームのほうは相変わらず動けなくて、シュートも入らなかった。
休憩の番の時にみんなの動きを見ていたら、ボールをもらっても慌てずゆっくり動いているように見えたので、次のゲームでそれを心がけてみた。
まだまだだったけど。
今日は肩も痛くて、シュート練習でもほとんど入らなかった。
ゲームでは0本。
次回がんばろう。
月曜の早朝に親父が亡くなって、そのまま葬儀会社と葬儀の打ち合わせ、お寺に連絡して日程調整。
その日の夜はバイトして、昨日の夜にお通夜。
俺は喪主を務めた。
お通夜には余り人を呼ばず内々でやろうと決めたけど、町内会の人や、仕事関係の人が個々に連絡を取り合ってくれちゃって、予定よりも大幅に弔問客が増えてしまった。
いいような悪いような・・・・
俺は喪主だから、葬儀全般に目を配らなくちゃならなかったし、全ての弔問客に挨拶をしてかなり忙しかった。
しかも、告別式では最後に喪主の挨拶が待っていたので、その文面を覚えるのに必死だった。
雛形はあるけどそれをオリジナルにアレンジした。
通夜、葬儀中、そのことばかりが気になって、悲しいとか辛いとかまったくなかった。
通夜の晩は葬儀場に泊まったけど、結局2時間も眠れなかった。
寝不足のまま告別式を迎えて、いよいよ出棺の前に喪主挨拶。
完璧に覚えたぞ!
緊張もしてないぞ!
「それでは、喪主様よりご挨拶がございます。」
のアナウンスに促されて、マイクの前に。
一礼して顔を上げた瞬間、忘れた。
必死に思い出しながらしゃべったけど、噛みまくり。
グダグダの挨拶になってしまった。
不覚にも、そのとき少しだけ涙が。
とりあえず、挨拶も終わり、出棺前に、棺の中に思い出の品や花を入れる。
もちろん、明け方に俺が取ってきた、親父の帽子、軍手、メガネ拭きも。
俺が帽子を親父の胸元に置くとき、隣にいたお袋に、「これは親父がいつもかぶって・・・・・」と説明したときブワッと涙がこみ上げた。
でもそれもなんとかこらえた。
初めてベンツの霊柩車に乗った。
すごいなぁ。
高級車だナァ。左ハンドルだし。
火葬場までの間、運転手さんと免許の話をした。
この車、1種免許でいいんだって。遺族を乗せてても。
そんな間に火葬場について、いよいよ荼毘に。
窯の中に棺が送り込まれるのを見たとき、
「これでもう、完全にお別れなんだナァ・・・・」
と思った。
このときも、グッと来た。
控え室で精進落としの食事をする時にまた挨拶。
ここは身内だけなので気楽に済ませる事ができた。
「献杯!」
焼かれて出てきた親父の遺骨を骨壷につめ、再び葬儀場へ。
このまま初七日の儀をおこなう。
そして最後にまた喪主の挨拶。
これは、ホールのスタッフに「なさいますか?」と聞かれてので勢いづいていた俺が
「やります。」と自らやった。
これは雛形も何もなく、まったくのアドリブで乗り切った。
がんばったナァ。俺。
遺骨、遺影、位牌を自宅に持ち帰り、2日間の緊張の時間が終わった。
2日間、受付、会計を手伝ってくれた仲間に感謝。
焼香に訪れてくださった、全ての人に感謝。
連絡を取り合ってくれた仕事の仲間に感謝。
しかも、静岡からも来てくれて、その日のうちに帰った人もいた。
感謝。
親戚一同にも感謝。
喪主として、色々動き回った2日間だけど、結局はあの挨拶の事をずっと考えていたので、悲しくもならなかったし、あまり疲れなかったし、記憶にもない。
ただ、寝不足と疲労は溜まっていたようで、帰ってきてから仕事を始めたけどどうにも眠くて、このままだと明日寝込むな、と思ったから少し仮眠した。
そして、夜はバスケに。
寝不足が影響してか、体調が悪くて、あまりできなかったけど。
さて、これから少しゆっくり寝て、明日は仕事が忙しいぞぉ。
親父は入院してからも、ずっとがんばってたナァ。
もう、苦しくないだろう。
こっちの事は俺に任せて、ゆっくりしてくれ。
さようなら。また逢える日まで。