Soul Musicと日本人、そしてAfrican-American

2005年12月14日 | soul,r&b
吉田がSoul Musicに入門したのは以前も書いた通り中3の冬休み、つまり1976年の冬である。最初に聞いたのはK.C.&The Sunshine Band/Sound Your Funky Horn、最初に買ったLPはThe Stylistics/Thank You Baby、最初に買ったEPはさすがに覚えてないな。
当時はSoul=Disco Soundと言える程Discoが流行っていた'75年~'76年はKANG-FU/HUSTLE/BUS STOP等のステップが大全盛!。商業的に'77年あたりからEuro(Munchen/ドイツが中心)Discoがどんどん進出してくる。みんなが知っているABBAやDonna Summer(アメリカ人だがドイツで成功)、ジンギスカン、ソウルドラキュラ、Disco Fever、怪僧ラスプーチン等のEuro Discoがヒットチャートを賑わして、さらに日本ではSexy Bus Stop/ソウルお富さん/ソウルこれっきりですか?(山口百恵のヒット曲のカバー)なども登場し、かなりヒットした覚えがある。本国USAではThe StylisticsやThe Blue Magic等のBallad系Vocal GroupもDisco Soundを意識したサウンドに移行せざろう得ないことになる。このあたりからPhilly Soulの衰退が始まり、そのバックのオーケストラであったMFSBの主要メンバーを新興のSalsoulレーベル(多数のDisco Hitを輩出)に引き抜かれ、ついには倒産してしまう。
元々50'sのR&B=Rhythm&Bluesと呼ばれてた時代から黒人音楽はDance Musicであった。これはそのRootsがAfricaにあることに起源していることで容易に解るであろう。BluesやJazzはもともとDance Musicでもあったりする、そしてSwing Jazzは白人たちが踊るためにあったものである。要は30's~50'sのAmerican Musicは確実に白人の為にあった音楽である。50'sに入ると黒人達は白人に真似できないようなRhythmや新しい理論でJazzを表現して行く、それがBe-Bop、さらにHard-Bop/Funky/cool等と進化して行くのであった。

黒人文化はどんどん進化していく、特にAfrican-Americanのそれは目を見張るものがある。彼らはきっと最も優れた人種のひとつなのであろう。Africaと言う文化の発展しにくい地域に生まれたのはきっと神のいたずらであろう。事実USAではことスポーツ、音楽の部門では明らかに黒人が引っ張っているのは紛れも無い事実だ。我々日本人が対抗できるとすれば、日本古来の慎ましさ、繊細さであろう。身体能力的には平均的に考えると全く及ばない。同じ土俵ではなかなか勝負にならない。そこに挑戦して結果を残しているのはMBLのICHIROや松井秀喜らであり、さらに狭き門と言われているNBAに挑戦している田臥勇太であろう。175cm(実寸173cm)70kgそこそこの体躯で、平均200cm/100kgを超えるようなNBAに挑戦している。これは本当に凄いことだ!今はNBAの下部組織、D-Leagueにいるが、きっと彼はNBAに戻ってくると私は信じている。
何を言いたいかと言うと、日本人でもSoulを歌えるはずだと言うこと。もちろんUSAで成功するには言葉のハンデがあるが、技術的に考えると全く可能である。言語の特性のハンデは大きいが、決して無理ではないのは確かである。スポーツであろうが音楽であろうときっと我々に出来ないことはないと言うこと。

70's Soulの話に戻るが、当時は音楽の進化の上で最重要な時期であった。Rock’RollはThe BeatlesやElvis PresleyらによってRockと言うジャンルが形成され、それは70'sに完成されて行く。R&BはSam Cooke,Liittle Richard,Otis Redding,Ray CharlesそしてMotown SoundなどによってSoul Musicの基盤が作り上げられて行った。そのあとに出現する(注目を浴びる)Stevie Wonder,Marvin Gaye,Curtis Mayfeild,Donny Hathaway、そしてPhilly Soundは70's Soulを語る上で絶対外せないポイントである。

次回はもっと掘り下げて語っていくことにするね。みんなこれを見て何か意見や質問があったら是非書き込んで下さい、よろしく!


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