外国語習得や文学、哲学、歴史をはじめとする文科系の学問の意義が見えないと「英語力は学力ではない」などという見解が出てきます。この発言の「英語力」は実際は英語力ではないし、「学力」も本当の学力ではないでしょう。
昔から受験界では「人気の関東。実力の関西」という言い方がありました。一般の人にとっては何のことかと思うでしょうが、英語や国語の入試問題を日々分析する立場からすれば、実は、この言い方は非常に正しいと言わざるを得ません。京大や阪大、同志社の英国の問題は、東大や慶応、早稲田の問題より明らかに高度です。東大の英文和訳問題は非常に優れていて、毎年どの予備校の模範解答例も零点になっているくらいですが、何せ配点が少な過ぎる。「東大は英語のできない奴が行くところ」という言い方がそう言えば一橋大学では昔からあったそうですが、その一橋の英語の問題も最近は幼稚なものになってきている。筑波大学の国語など笑えるくらいの程度の低さです。中央大学法学部の英語の問題は今でも優秀ですから、一部の例外はありますが、関東の大学は英国に関しては明らかに学力不足でしょう。私の大学時代の教官も「早稲田や慶応の人達は本当に勉強していないな」と明言していましたよ。「英語力は学力ではない」は関東の大学環境の中で育った人の発言ではないでしょうか?安倍の「文科系学部廃止」論もありましたね。
外国語力や文章読解力の究極目的は一言で言うと、ロゴスの体現です。効用は人と人、集団と集団の間に日々生じるトラブルの解決。序でに女性にも凄くもてるようになるし、喧嘩もかなり強くなという側面もありますが、これは完全に余談。世界の物理的側面の仕組みを詳しく分析した上で、試行錯誤を重ねながら人の力でそれを再現できるようにすること、これを本質とする理系も勿論大いに価値がありますが、文科系学部の価値はそれ以上でしょう。
文章読解の際に起こっているのは明らかに霊的な現象です。何千年も前の遠い外国のある偉大な人物の思想に触れるというレベルではなく、明らかにその人自身が今ここに現れて来るのです。このような意味での読書体験のある人から「英語力は学力ではない」などといった発言は決して出てこない。
因みに、このような文章読解も、確かに非常に高度ではありますが、ある事柄には遠く及ばない。このこともここで付け加えておく必要があるでしょう。それは、イエスや釈尊などといった偉大な霊魂との生前に於ける直接対話です。そのような体験ができる幸運な人は非常に非常に非常に限られている。ですから、読書の価値はその分だけさらに大きくなる。演劇や音楽もまた、上のような意味での読書に含まれる価値と同様の価値が、読書よりもっと分かりやすい形で含まれている。
昔から受験界では「人気の関東。実力の関西」という言い方がありました。一般の人にとっては何のことかと思うでしょうが、英語や国語の入試問題を日々分析する立場からすれば、実は、この言い方は非常に正しいと言わざるを得ません。京大や阪大、同志社の英国の問題は、東大や慶応、早稲田の問題より明らかに高度です。東大の英文和訳問題は非常に優れていて、毎年どの予備校の模範解答例も零点になっているくらいですが、何せ配点が少な過ぎる。「東大は英語のできない奴が行くところ」という言い方がそう言えば一橋大学では昔からあったそうですが、その一橋の英語の問題も最近は幼稚なものになってきている。筑波大学の国語など笑えるくらいの程度の低さです。中央大学法学部の英語の問題は今でも優秀ですから、一部の例外はありますが、関東の大学は英国に関しては明らかに学力不足でしょう。私の大学時代の教官も「早稲田や慶応の人達は本当に勉強していないな」と明言していましたよ。「英語力は学力ではない」は関東の大学環境の中で育った人の発言ではないでしょうか?安倍の「文科系学部廃止」論もありましたね。
外国語力や文章読解力の究極目的は一言で言うと、ロゴスの体現です。効用は人と人、集団と集団の間に日々生じるトラブルの解決。序でに女性にも凄くもてるようになるし、喧嘩もかなり強くなという側面もありますが、これは完全に余談。世界の物理的側面の仕組みを詳しく分析した上で、試行錯誤を重ねながら人の力でそれを再現できるようにすること、これを本質とする理系も勿論大いに価値がありますが、文科系学部の価値はそれ以上でしょう。
文章読解の際に起こっているのは明らかに霊的な現象です。何千年も前の遠い外国のある偉大な人物の思想に触れるというレベルではなく、明らかにその人自身が今ここに現れて来るのです。このような意味での読書体験のある人から「英語力は学力ではない」などといった発言は決して出てこない。
因みに、このような文章読解も、確かに非常に高度ではありますが、ある事柄には遠く及ばない。このこともここで付け加えておく必要があるでしょう。それは、イエスや釈尊などといった偉大な霊魂との生前に於ける直接対話です。そのような体験ができる幸運な人は非常に非常に非常に限られている。ですから、読書の価値はその分だけさらに大きくなる。演劇や音楽もまた、上のような意味での読書に含まれる価値と同様の価値が、読書よりもっと分かりやすい形で含まれている。
>文科系学部の価値はそれ以上でしょう。
当方、国立某大学文科系卒です。
これから文系の大学を減らす云々、ニュースで読んだ気がしますが・・・
数学も美しい学問だと思うけど、これはナンセンスなことですね。
特に哲学は学問の頂点に立つものなので、高等教育を受ける人は、全員学ぶべきと思っています。
>文章読解の際に起こっているのは明らかに霊的な現象です。
ここまで究極な言葉は初めてです。でも本当にそうですね。
(上智大学名誉教授で、英語学者だった故 渡部昇一先生からもそのような言葉はなかったような・・・)
絵画等の芸術品を鑑賞する人が、なにをどう感じているか、それらをなぜよいと思い、好きなのか、
私にはさっぱりわからないのですが、ただ、私がよい文章を見つけたとき、映画等でよいセリフが出てきたときに感じる思いを、その人たちは感じているのだろうと思っています。
私の場合、哲学研究の一環として、今は、世界と日本の本当の歴史の解明に取り組んでいます。こんな私でも気軽にその分野についてのコアな情報にアクセスできる時代になりました。考えてみれば大変なことです。近いうちに法隆寺に再び行って中宮寺の半跏像が観音なのか弥勒なのか見てきたいと思います。
お住まいは大都会東京なのでしょうか?持っておられる才能を全て発揮して使命を果たすことができたらいいですね。私も頑張ります。