過去記事にコメントを下さった方がいらっしゃいます。桓武天皇直系子孫の一般人と自称される方です。その方のコメントに以下のような返信をしてみました。
「コメント、ありがとうございます。アルトさんへのコメントと拝見しました。皇位の簒奪があったのか?それとも、皇位の簒奪はなかったが、傀儡化してしまっているのか?簒奪によって成立した皇室だから、現皇室には何の価値もないと考えるべきか?それとも、簒奪によって成立した皇室だったとしても、皇室としての正当な価値を依然として帯びていると考えるべきか?...色々と重大な問題が出てくる話題だと思います。
私としては、百済王家(ウラルトゥ王家)が旧天皇家である秦氏改め藤原氏によって、新天皇家として戴かれた背景には、ウラルトゥとヘブル及びイスラエルとの、古代中東以来の深い関係があるのだろうと予想しているところです。キリスト教或いはイエスメシア教も、歴史的には決して孤立した神権などではなく、神権を帯びた特別な宗教であることには違いがないにしろ、飽くまでもウラルトゥとの太古からの関係性の中で出て来た、ウラルトゥがなければ決して成り立ち得なかった、そんな神権だったのではないかと睨んでいます。
かくも重大なウラルトゥ即ち百済、従って、物部氏とは、更には、藤原北家とは、一体何だったのか?私の問題意識はそこにあります。
また、コメントしてください」
この回答に再びコメントを下さったので、再度詳しい回答を差し上げることにしました。それを今回は、記事としてアップしたいと思います。
以下引用。
>お恥ずかしい話ですが、最初の一行を見てませんでした。
アルトさんと unknown さんとの対話が成立したら、色々と生産的になるかも知れませんね。
聖武天皇について、私自身今は勉強中で、アルトさんが示唆してくださることは、その私からしたらまだまだ、想像も及ばないことになってしまっています。しかし、想像が及ばないだけで、恐らくは大部分が正しい筈だ。研究が進めば自分もちゃんと理解できるようになるだろうと、ちゃんと感じさせてくれる内容になっています。但し、私の歩みは余りにも時間がかかり過ぎます。それでアルトさんには、随分と歯痒い思いをさせてしまっているかも知れません。が、私にはそれ以上の取り扱いは無理と割り切る以外に何もできないと感じています。大切なのは、自分のこれまでを踏まえつつ、その瞬間その瞬間に最も必然的な一歩を重ねて行くことだと信じています。
>このブログは私の知らないことが載っていてとても参考になります。
何人かの研究者の著作を同時進行で吟味し、それぞれに厳密な表現形式を与えながら古代史の全体像を構想する。そうやって同時に空白部分を発見しては、自分でそれを埋めて行く。こういう作業を繰り返した結果、少しずつ形になってきた認識です。それが誰かの役に立っているなら、筆者としてこれ以上の名誉はありません。嬉しい限りです。
>だからこそ新世界秩序が現実性帯びてきているような気がします。
古い世界が壊れる時は、新世界秩序が必要になってきます。新しい世界を一人一人が確信を持って生きて行く為の新しい共通の世界像こそが、新世界秩序というものになる筈だからです。問題は、現在ある人達から提示されている特定の「新世界秩序」なるものが、我々には絶対に受け入れられない内容を持っているということです。私達は独自で、私達自身の新世界秩序を建設しなければなりません。その為に先ず、歴史認識を出来るだけ精確なものに磨いておかなければならないという訳です。私達自身の新世界秩序において、キリスト教をはじめとする諸宗教や天皇家はどのような位置を占めることになるのか?これが、その際には問題の中心となる筈です。
>桓武天皇が仏教に傾倒した理由が分からないのですが、私自身も百済王家には、秦氏やペルシャ、ゾロアスター教との関わりがあると予想しています。
「仏教」とは第一に、創造主と、三神と、神々で溢れるインドの風土の中で、人間としてあるべき最も高貴な生き方を追求したシッダールタの教えと影響のことを意味しています。それに対して、シッダールタを仏陀のひとりと見做し、神格化し、大日や弥勒といった多くの神格からなる一種のコスモロジーの一要素として数え上げて、その上でそれぞれの神格を崇拝するというのは、従って、第二義的な意味でしか「仏教」とは言われないことになる訳です。この場合の「仏教」とは、我々が「諸宗教」と呼んでいるものと実は、同義なのではないか?これら全ての宗教が、私の信念によれば、ある一つの原始的な宗教とその秘教組織の統制の元に生成したものに違いない。この意味ではイスラエルや、キリスト教或いはイエスメシア教も、間違いなく、「諸宗教」と同義である限りのこの「仏教」のひとつであると見做すことができる訳です。この概念は、仏教とキリスト教、東洋と西洋、といったステレオタイプな構図に基づいて考察することをやめない限り決して、手に入れることができません。私達は、世界が根源のところではあらゆる意味でひとつであるということを、余りにも長いこと忘却してしまっていたのです。
そもそも、かの一つの原始的な宗教とその秘教組織のことをあからさまに認識するなど、そうすることで対象の本質を損なうことにもなる訳ですから、元より不可能なことと言わなければなりません。しかし、そういったものが確実に存続し、全てを統制していること。ウラルトゥやゾロアスター教、ミトラス教、密教が、そこに極めて近接した事象となっていること。これらのことに恐らく、間違いはないのでしょう。
「桓武天皇の仏教への傾倒」とは従って、かの一つの原始的な宗教とその秘教組織との連携の元で、当時の列島内にあった様々な宗教を新たに統合し直すこと以外の何も意味しなかったのだと思います。桓武天皇が傾倒したものを我々はイメージで仏教と呼んでしまっているだけで、それは実は、第一義的な意味での仏教とは違うものだったのです。例えば、四方拝と燔祭の儀礼を行ったということが言われていますが、これなどは第一義的な意味での仏教ではないでしょう。飽くまでもゾロアスター教やイスラエル教に類似したものであって、仏教とは、第二義的にしか言うことが出来ないものでした。しかもこれは当時、唐鮮卑が則天武后の指導の元、中原で行っていたことと同じ内容のことでもありました。つまり、外交上の必然的な流れに素直に追随したという側面もあった。...こういうことだったのだろうと、私は思います。
註:あの賀茂氏もまた、ミトラス教の暗号に満ちています。例えば、ミトラス教の秘教組織の中核は烏と称されるそうですが、それは賀茂氏の八咫烏と同じです。また「カモ」とは、アラム語で「水による洗礼を受けて浄くなったもの」の意味で「神」もまたそこから派生した語であるらしい。等々です。
ところで、八幡神を皮切りに列島で仏教と神道が習合していった訳ですが、このことも、上と同じような解釈ができると私は思います。イスラエル教やユダヤ教、イエスメシア教、キリスト教が意外と古くから神道として定着していた列島に、かの一つの原始的な宗教とその秘教組織がインドを中心に新しく起こした潮流が、第二義的な意味での「仏教」として遅れて入ってきて、それら既存の諸宗教を神道として自らに習合していったというのが、神仏習合ということの実態だった。...このような解釈です。
百済王氏の列島における最初の有力者として知られているのは、敬福です。その息子のひとりが、あの道鏡とのこと。その道鏡には皇位を狙うに相応しい血統上の資格があったに違いないという内容の古い論文(喜田貞吉著)をこの間、偶々読みましたが、その道鏡の皇位継承の動きを妨げたのが神仏習合の第一号とも言っていいあの宇佐八幡宮から出された御神託だった。この事実もまた、その背景を調べたら何か重要なことが出て来るのではないか?私にはそう思われてなりません。
引用以上。
「コメント、ありがとうございます。アルトさんへのコメントと拝見しました。皇位の簒奪があったのか?それとも、皇位の簒奪はなかったが、傀儡化してしまっているのか?簒奪によって成立した皇室だから、現皇室には何の価値もないと考えるべきか?それとも、簒奪によって成立した皇室だったとしても、皇室としての正当な価値を依然として帯びていると考えるべきか?...色々と重大な問題が出てくる話題だと思います。
私としては、百済王家(ウラルトゥ王家)が旧天皇家である秦氏改め藤原氏によって、新天皇家として戴かれた背景には、ウラルトゥとヘブル及びイスラエルとの、古代中東以来の深い関係があるのだろうと予想しているところです。キリスト教或いはイエスメシア教も、歴史的には決して孤立した神権などではなく、神権を帯びた特別な宗教であることには違いがないにしろ、飽くまでもウラルトゥとの太古からの関係性の中で出て来た、ウラルトゥがなければ決して成り立ち得なかった、そんな神権だったのではないかと睨んでいます。
かくも重大なウラルトゥ即ち百済、従って、物部氏とは、更には、藤原北家とは、一体何だったのか?私の問題意識はそこにあります。
また、コメントしてください」
この回答に再びコメントを下さったので、再度詳しい回答を差し上げることにしました。それを今回は、記事としてアップしたいと思います。
以下引用。
>お恥ずかしい話ですが、最初の一行を見てませんでした。
アルトさんと unknown さんとの対話が成立したら、色々と生産的になるかも知れませんね。
聖武天皇について、私自身今は勉強中で、アルトさんが示唆してくださることは、その私からしたらまだまだ、想像も及ばないことになってしまっています。しかし、想像が及ばないだけで、恐らくは大部分が正しい筈だ。研究が進めば自分もちゃんと理解できるようになるだろうと、ちゃんと感じさせてくれる内容になっています。但し、私の歩みは余りにも時間がかかり過ぎます。それでアルトさんには、随分と歯痒い思いをさせてしまっているかも知れません。が、私にはそれ以上の取り扱いは無理と割り切る以外に何もできないと感じています。大切なのは、自分のこれまでを踏まえつつ、その瞬間その瞬間に最も必然的な一歩を重ねて行くことだと信じています。
>このブログは私の知らないことが載っていてとても参考になります。
何人かの研究者の著作を同時進行で吟味し、それぞれに厳密な表現形式を与えながら古代史の全体像を構想する。そうやって同時に空白部分を発見しては、自分でそれを埋めて行く。こういう作業を繰り返した結果、少しずつ形になってきた認識です。それが誰かの役に立っているなら、筆者としてこれ以上の名誉はありません。嬉しい限りです。
>だからこそ新世界秩序が現実性帯びてきているような気がします。
古い世界が壊れる時は、新世界秩序が必要になってきます。新しい世界を一人一人が確信を持って生きて行く為の新しい共通の世界像こそが、新世界秩序というものになる筈だからです。問題は、現在ある人達から提示されている特定の「新世界秩序」なるものが、我々には絶対に受け入れられない内容を持っているということです。私達は独自で、私達自身の新世界秩序を建設しなければなりません。その為に先ず、歴史認識を出来るだけ精確なものに磨いておかなければならないという訳です。私達自身の新世界秩序において、キリスト教をはじめとする諸宗教や天皇家はどのような位置を占めることになるのか?これが、その際には問題の中心となる筈です。
>桓武天皇が仏教に傾倒した理由が分からないのですが、私自身も百済王家には、秦氏やペルシャ、ゾロアスター教との関わりがあると予想しています。
「仏教」とは第一に、創造主と、三神と、神々で溢れるインドの風土の中で、人間としてあるべき最も高貴な生き方を追求したシッダールタの教えと影響のことを意味しています。それに対して、シッダールタを仏陀のひとりと見做し、神格化し、大日や弥勒といった多くの神格からなる一種のコスモロジーの一要素として数え上げて、その上でそれぞれの神格を崇拝するというのは、従って、第二義的な意味でしか「仏教」とは言われないことになる訳です。この場合の「仏教」とは、我々が「諸宗教」と呼んでいるものと実は、同義なのではないか?これら全ての宗教が、私の信念によれば、ある一つの原始的な宗教とその秘教組織の統制の元に生成したものに違いない。この意味ではイスラエルや、キリスト教或いはイエスメシア教も、間違いなく、「諸宗教」と同義である限りのこの「仏教」のひとつであると見做すことができる訳です。この概念は、仏教とキリスト教、東洋と西洋、といったステレオタイプな構図に基づいて考察することをやめない限り決して、手に入れることができません。私達は、世界が根源のところではあらゆる意味でひとつであるということを、余りにも長いこと忘却してしまっていたのです。
そもそも、かの一つの原始的な宗教とその秘教組織のことをあからさまに認識するなど、そうすることで対象の本質を損なうことにもなる訳ですから、元より不可能なことと言わなければなりません。しかし、そういったものが確実に存続し、全てを統制していること。ウラルトゥやゾロアスター教、ミトラス教、密教が、そこに極めて近接した事象となっていること。これらのことに恐らく、間違いはないのでしょう。
「桓武天皇の仏教への傾倒」とは従って、かの一つの原始的な宗教とその秘教組織との連携の元で、当時の列島内にあった様々な宗教を新たに統合し直すこと以外の何も意味しなかったのだと思います。桓武天皇が傾倒したものを我々はイメージで仏教と呼んでしまっているだけで、それは実は、第一義的な意味での仏教とは違うものだったのです。例えば、四方拝と燔祭の儀礼を行ったということが言われていますが、これなどは第一義的な意味での仏教ではないでしょう。飽くまでもゾロアスター教やイスラエル教に類似したものであって、仏教とは、第二義的にしか言うことが出来ないものでした。しかもこれは当時、唐鮮卑が則天武后の指導の元、中原で行っていたことと同じ内容のことでもありました。つまり、外交上の必然的な流れに素直に追随したという側面もあった。...こういうことだったのだろうと、私は思います。
註:あの賀茂氏もまた、ミトラス教の暗号に満ちています。例えば、ミトラス教の秘教組織の中核は烏と称されるそうですが、それは賀茂氏の八咫烏と同じです。また「カモ」とは、アラム語で「水による洗礼を受けて浄くなったもの」の意味で「神」もまたそこから派生した語であるらしい。等々です。
ところで、八幡神を皮切りに列島で仏教と神道が習合していった訳ですが、このことも、上と同じような解釈ができると私は思います。イスラエル教やユダヤ教、イエスメシア教、キリスト教が意外と古くから神道として定着していた列島に、かの一つの原始的な宗教とその秘教組織がインドを中心に新しく起こした潮流が、第二義的な意味での「仏教」として遅れて入ってきて、それら既存の諸宗教を神道として自らに習合していったというのが、神仏習合ということの実態だった。...このような解釈です。
百済王氏の列島における最初の有力者として知られているのは、敬福です。その息子のひとりが、あの道鏡とのこと。その道鏡には皇位を狙うに相応しい血統上の資格があったに違いないという内容の古い論文(喜田貞吉著)をこの間、偶々読みましたが、その道鏡の皇位継承の動きを妨げたのが神仏習合の第一号とも言っていいあの宇佐八幡宮から出された御神託だった。この事実もまた、その背景を調べたら何か重要なことが出て来るのではないか?私にはそう思われてなりません。
引用以上。
(それに実家が寺だったので父は住職の仕事で中国に行っていただけのような気がしますし…。)
秦氏とは何なのか、私は何者なのか、
父が亡くなった今、それらの真相は分かりません。
桓武天皇の直系子孫は結構いるのでしょうか?
真相が知りたいので時々ブログにお邪魔します。