gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

エネファームと太陽光発電のW発電。。。果たしてその実力は?

2014-01-08 19:11:00 | 家のこと

我が家を建て替えて早くも一年が過ぎようとしています。
思えば一昨年の春から始まった我が家の建て替え。。。
一昨年の4月末から始まったハウスメーカー選を初め、5月末には住友林業さんに決定。8月後半に仮住まいのマンションへの引越し、9月上旬の着工合意、そして旧宅の解体工事が始まったのが9月に入ってからでした。その合間を縫って毎週末、設計士さんとの打ち合わせ・・・それが11月頃まで続きました。
地鎮祭を経て9月末に新居の着工、10月中旬に棟上げ、昨年の1月25日に引き渡しを迎えましたが、その前日まで工事が行われるというドタバタ状態でした。
また、設計段階から住友林業さんとの間でトラブルが続き、契約破棄しようとさえ思った事もありました。
その顛末は、Gazooブログの方に記事としてまとめてあるので興味のある方はソチラをご覧下さい。【過去記事はコチラ

さて、いよいよ今年の春から消費税がアップしますネ。
その影響で、昨年後半から住宅建設ラッシュになっているみたいです。
恐らく、消費税アップを睨んで住宅建設をぉ考えになっている方の大部分は、既にハウスメーカーと着工合意まで済まされている事でしょう。(現段階で着工合意まで済ませておかないと、今春の消費税アップに間に合わないませんからネ)
ただ、まめ八自身の経験から着工合意はしたものの、ハウスメーカーさんが言われるような期待通りの良い家(省エネ、高断熱、高気密、高遮音はハウスメーカーの営業さんの常套句ですからねェ・・・)になるのだろうか・・・?という不安をお持ちの方が多いと思います。
特に、今流行のW発電(ソーラー発電とコージェネレーションシステムとの組み合わせ)を採用された方は、光熱費がどの程度軽減されるのか?という期待と不安をお持ちではないでしょうか?

そこで、そうした期待や不安をお持ちの方々に参考にして頂く為にまめ八の家の一年間の実績値をレポートさせて頂きたいと思います。
ただし、予めお断りしておきますが、今回挙げた数値はあくまでもまめ八の家固有の数値であって、全ての家屋に当てはまるモノでないという事を申し上げておきます。あくまでも参考として考えて下さい。

なお、ご参考までに我が家のW発電について簡単にご説明したいと思います。詳しくはコチラからどうぞ。。。
太陽光発電機が、平面がUN-119CAでモジュール変換効率14.0%、公称最大出力119w。コーナーモジュールが同じくシャープのNU-062LA/RAでモジュール変換率10.4%、公称最大出力62wです。
太陽光発電量の総出力ワット数は3.5Kwになります。
一方のコージェネレーションシステムの方は東芝燃料電池システム株式会社の燃料電池ユニット「TM1-AD-NP」と貯湯ユニット「FCG-202-DR、所謂エネファームってヤツです。発電能力は定格出力700W。停電時には自立運転によって昼夜を問わず(太陽光発電は夜間の停電時には役に立たない。。。)350Wまでの電気を供給することが出来ます。詳しくはコチラをご覧下さい。

さて、コレ等、W発電の実績は。。。

 

電気・ガス料金.jpg 

 

エクセルで作った表をPDFで保存し、PhotoShopを使ってJPEGで保存し、画像としてアップロードしてあるので数字が小さくなって解り辛くなっている点はご容赦下さい。(まめ八のPCスキルではコレが精一杯でした。。。 )

さて、表の解説を少々しておきますネ。
まず、一番左の列が月になります。九州電力の電気代請求は前月の12日から当月の11日までの電力使用量による請求となります。
従って、この表の月は厳密に言えば前月(例えば表中の9月は、実際には8月になる)のデータである事をご承知おき下さい。

なお、この家の引き渡しが1月末だったことから2月のデータは2月2日~2月11日までの請求となります。


月の列の右がその月の我が家の電気使用量(kWh)になります。
我が家の場合、電気使用量が最も多かったのが9月で301kWh、最も少なかったのが5月の130kWhでした。(先に述べた理由から2月は除外しました。)
3~12月までの我が家の電力使用量を平均すると186kWhになります。


電気使用量の右が電気料金(つまり九州電力からの買電分)になります。
電気料金の右列が、我が家の太陽光発電量(kWh)です。
最高値が5月の386kWh、最低値が12月の199kWh、月平均269kWhでした。3月~12月の我が家の電力自給率は120%。。。つまり買電量より売電量の方が大きかったという事です。
元々、太陽光発電を導入した動機が「電気を自給したい」というモノでしたからそういった意味では十分当初の目的は達成できたという事です。


さて、太陽光発電量の列の右が、太陽光発電で発電した電気の売電金額です。
我が家はW発電なので太陽光発電だけの売電価格(1kW=43円)より安い金額(1kW=34円)になってしまいます。ただし、西部ガスのW発電キャンペーンにより、差額分の9円は西部ガスさんが補填してくれることになっています。


そして、その右列が売電金額から買電金額を引いた差額。。。すなわち我が家の売電による黒字分です。
コレを見ると、年間を通じて売電金額が買電金額を下回った事はありませんでした。3月~12月間の我が家の黒字金額は54,557円 
しかも、この金額は1kWh=34円での金額ですから、西部ガスからの差額補填分を入れて計算すれば81,206円の黒字になります。 

トコロが、その81,206円が丸々懐に入るかとワケではありません。
世の中、そう甘くはないのです。 

そう・・・
先に挙げた我が家の電力消費量にはエネファームによる発電量が含まれてれていないのです。
電力会社の陰謀?によって、エネファームで発電した電気は電力会社に売電することが出来ません。
従って、W発電では、エネファームで発電した電気をまず自家消費分に回し、それでも不足する分を太陽光発電と電力会社からの買電で賄うというシステムになっています。
従って、我が家の実際の電力消費量は、エネファームの発電量に九州電力から通知されてきた電力消費量を加えた数値になる訳です。勿論、電力消費量が極端に少ない深夜にもエネファームは発電を続けているのでエネファームで発電した電気が100%使われている訳ではありません。(つまり無駄になっているって事です。ただし、貯湯タンクが満杯になった段階で発電は停止します)
ただ、エネファームによる発電の経済効率を考えるならばこの無駄に発電されている電力は自家消費電力として考えなければならないでしょう。


表中右から4列目がそのエネファームの発電量(kwh)です。
こうして月単位のデータで見ると、定格出力が低いにもかかわらずエネファームが健闘している事が解ります。
3月~12月の総発電量を比較すると太陽光発電とエネファームは殆ど同じです。
特に、お湯を使う冬場には太陽光発電の出力が落ちる事もあってエネファームの発電量が太陽光発電のそれを大きく上回っています。
しかも、エネファームで発電した際に生じたお湯を使って我が家は床暖房を入れていますが、コレがとても暖かくてエアコンやストーブを一切使っていません。
これには住宅の断熱性能も大きくかかわっていると思います。ちなみに我が家は住友林業さんお得意のキャンペーンを利用してサービスで断熱性能をⅢ地域(東北南部~信越地方)にまでグレードアップしてあります。
また、我が家の電力使用時間帯のピークは一年間を通じて夜間(日没後)にあたります。したがって太陽光発電で発電した電力の大部分は九州電力への売電に回されているワケで、経済効率から言えば確かに期待以上の結果になっているのですが、“電気の自給”という意味でいえば余り役に立っていない事になります。
つまり、電力会社が売電を受け付けなくなったり、売電価格を大幅に下げてしまったら太陽光発電の利点は一気に下がってしまいます。
その点、エネファームは一般的な家庭で最もお湯を使う時間=お風呂の時間(夕方から夜間にかけての時間)に最も発電を行うワケですから、電気を最も必要とする時間帯に最も発電量が多い、つまり厳密な意味で電気を自給している事になります。
ちなみに我が家のエネファーム単体による電力自給率は66%です。
そういった側面からもエネファームの実力は侮れないモノがあると思うのです。


ただし、エネファームは太陽光発電とは違って燃料となる水素を取り出すための天然ガス(都市ガス)が必要になります。つまりガス代がかかるという事です。
上の表中、エネファーム発電量の右列が我が家のガス料金になります。
ちょっとビックリの金額ですよネ。
エネファームを導入した場合、ガス会社から特別な料金割引制度を適用して貰えるので1㎥あたりの単価は一般料金に比べて安くなっているのですが、それでもコレだけのガス料金がかかってしまいます。
もっとも我が家では家庭用調理器はガスを使用していますし、エネファームで生じるお湯の温度が40℃なので冬場のお風呂の追い炊きにもガスを使っていますので、ガス料金の全てがエネファームのコストでない事を申し添えておきます。

それでは、最終的に3月~12月の間の我が家の電気・ガス料金はどれ位になるのか?
上記表中の一番右列が、ガス料金と電気料金の合計になります。
我が家の場合、電気料金は売電金額が買電金額を大きく上回っていますから、具体的に言うとガス料金から売電による黒字分を引いた金額になるわけです。
ただし、先ほども述べましたが、表中の売電金額は西部ガスによる補填金額が含まれていません。
そこで、その補填金額も含めて計算するとどうなるか。。。
3月~12月のガス料金の合計が143,908円。
同じ期間の売電による黒字分が81,206円。
ガス料金から売電の黒字分を引くと62,702円となり、これが同期間の我が家の電気・ガス料金になるワケです。
この62,702円を10ヶ月で割ると1か月あたり6,270円になります。
旧宅時代の光熱費が月平均で約12,000円程かかっていましたからその差額は約6,000円、年間で72,000円程になります。
加えて、旧宅時代の光熱費で見逃してならないのが灯油代。。。
九州在住のまめ八の家で昨年まで一冬約30,000円程度かかっていましたが今年の冬は灯油を全く購入していません。
それも含めて考えると、W発電によって我が家の場合は光熱費の節約に成功したと考えることが出来るようです。

ただ、エネファームやソーラーシステムの初期投資費用を含めたトータルコストで考えれば決して黒字は期待できないでしょうネ。
良くてトントンというところでしょうか?
まめ八がW発電を導入した時期には政府や地方自治体による補助金や、住友林業さんと西部ガスさんの提携キャンペーン等もあり初期投資がかなり安く済んだ事や売電価格も現在よりは多少高かったのでトントンで済んでいるのかも知れません。

エネファームには始動して10年後にタイマーが働いて自動停止します。(その間は保証が付いているのでメンテナンス費用は不要。)自動停止した時点でメーカーの点検を受けて継続使用する事になりますが、エネファームの寿命はせいぜい20年位だろうと言われています。(現在使用されているエネファームで20年以上の使用実績を有する機器は当然存在しませんからコレよりも長持ちするかも知れないし、20年持たないかも知れません)

ただ、エネファームの寿命がきた場合(簡単に言えば壊れてしまった場合)の買い替えの際には、割引価格が適用される上に家財保険の適用も受けられるようです。

従って、これからW発電の導入を検討されておられる方々も、こうした保証や家財保険等を上手に運用する事によって、長期的な視野で見れば少なくとも導入して無駄だった・・・という後悔はしなくて済むと思いますし、地球環境の保全に多少なりとも貢献しているという自己満足は得られると思いますよ。


『永遠の0(ゼロ)』を観てきました

2014-01-05 13:49:00 | 戯言

一昨日、お正月映画として話題を集めている『永遠の0(ゼロ)』を観てきました。

 

b1d9efc9.jpg 

 

今回はその感想を書いてみたいと思います。

ただし、かなりの長文になっていますので時間のない方、興味がない方は読まれない事をお奨めしておきます。

この作品、放送作家の百田尚樹氏の同名小説を映画化した作品なのはご存知の通り。。。
小説自体が300万部以上を売上げ、戦争がテーマの作品であるにも拘らず女性読者も多い、という異色のベストセラーですから、映画の観客動員数も初日2日間で43万人 を記録する等、興行的には大成功を収めているようです。
まめ八が出かけた映画館も、文字通り老若男女、ほぼ満席状態でした。

映画を観た感想は。。。
とても良い映画でした。
主演だったV6の岡田准一さんは名演技・・・しかも最高にカッコ良かった。
 この映画が遺作となった夏八木勲さん初め出演者の皆さんも素晴らしかったで
そして真珠湾攻撃や空母赤城、そして零戦の空戦シーンのCGも日本映画でココまで出来るのか?って程に素晴らしい出来栄えでした。
ストーリー自体も解り易く、隣に座っていたまめ八の奥さんも何度もハンカチで涙を拭っていましたし、まめ八自身、グッとくる場面が何度もありました。

でも・・・

映画を観終わって、まめ八の心の中に何か知れぬ違和感が残りました。
上手く言えないのですが、脂っこいモノを食べた後の胃もたれ感のような、消化不良のような不快感が・・・
それが何なのか?
直ぐには解りませんでしたが、時間が経つにつれ、頭の中が整理されるにつれ、そして奥さんとこの映画について語り合うにつれて次第にその不快感の正体がハッキリしてきました。

その不快感の正体とは・・・
家族の元に生きて還ると約束した旧海軍搭乗員宮部中尉の苦闘を描きつつも、結局、映画の冒頭で宮部中尉の同僚が言っていた通り、準主人公である宮部中尉は「海軍一の腰抜けだった」のではないか。。。
つまり、この映画って“零戦を飛ばす技術は優れているケド、戦闘機搭乗員としては最低な(・・・と言うよりも一人の大人として未熟な)男の苦悶の物語を通じて観る人に色々な事を考えさせる映画だったのネ!”という思いだったのです。
主人公を演じる岡田君が余りにもカッコ良過ぎた事と、映画の中での華麗な零戦の操縦技術、そして感動的なエンディングシーンと桑田佳祐さんが歌う『蛍』がジーンと来て、観終わった後の感動が強かった分映画自体の内容とのギャップが大き過ぎて先に述べたようなある種の不快感を覚えたのでしょう。

あっ!
最初に断っておきますが、コレはあくまでも映画を観た感想ですからネ。
まめ八は小説を読んでいないので、映画に描かれていない宮部中尉の深い心理状態や戦闘行為については解りません。(まぁ、宮部中尉自身が架空の人物である以上、その事にあまりこだわる必要もないのですが。。。)
あくまでも映画を観た感想という事でご理解下さい。

さて、上記のような言い方をすれば映画を観て感動された方々から猛反発を食らうかも知れません。
でも、当時の戦史を読み漁ってきたまめ八が行き着く結論は“宮部中尉は腰抜けだった・・・”というトコロに辿り着いてしまうのです。
そう。。。宮部中尉という架空の人物はどう考えても、エンディングで主人公の前を格好よく敬礼しながら零戦で飛び去って行く幻のような人ではなかったという事です。

それでは何故、そのような結論に至ったのか。。。

まず、最初にココだけは是非理解して頂きたいのですが、当時の日本人が皆、軍国主義で洗脳されていた・・・という誤った認識を捨てて頂きたいという事です。
確かに、知覧を初め、各地にある特攻記念館に残された特攻隊員の遺書には、不自然な位に“お国の為に・・・”とか、“天皇陛下の為に・・・”笑って死にます”。。。みたいな事が書いてあります。
でも、コレ等の遺書って全て軍の検閲を受けていたのですよネ。

“ホントは死にたくない・・・”
“お母さんにもう一度会いたかった・・・”
“仕方がないから征く・・・”

・・・みたいなことを書いたら遺書すら検閲で撥ねられて家族に届かなかったのです。
ですから、遺書を残す側の特攻隊員からすれば形通りの遺書でも、何がしか自分の言葉を家族に残したかった。。。その結果が、あの型にはめたような遺書の文体なんです。本当は、いろんな事を書き残したかったでしょう・・・いや、逆に家族を悲しませたくない、という思いがそうした型にはめたような文章になったのかもしれません。
そういった背景を理解して読まないとコレ等の遺書の悲痛な真意は伝わってこないと思うのです。

意外に思われるかもしれませんが、死ぬことを厭わなかったと思われていた日本兵の本当の心情を理解していたのは他ならない敵である米軍でした。
開戦当時、アメリカ兵の間には人種偏見もあって日本兵の事をある意味、人間離れした化け物扱いする風潮があって、必要以上に日本兵を恐れるデマが広がっていたそうです。
その為、アメリカ軍上層部は、まず敵である日本兵もごく普通の人間?である事の証拠を収集し、その日本兵とコレから対峙しなければならない自軍の兵士たちにその事実を周知する必要に迫られました。
そこで彼らが目を付けたのが、戦死した日本兵が持っていた日記だったのです。
映画の中にも多少描かれていましたが、当時の日本兵は、周囲の人間に対して決して本音を言えない雰囲気の中に置かれていました。
実際に命を懸けて戦場にいた日本兵たちはそれぞれに色々な事を考え、そして感じていました。
けれどもそれを口に出来ない環境に彼らは置かれていたのです。
だからこそ、当時の日本兵はその本音を自分しか見る事が無い日記に残したのです。
その日記には、どんな苦しい状況下になっても弱音を吐かず、常に高い戦意を持ち続け、必要とあらば死ぬ事を厭わない・・・と言われた日本兵の本音が書き綴られていました。

“家に帰りたい・・・”
“妻や子どもに逢いたい・・・”
“こんなトコロで死ぬのは無念だ・・・”
“もう何日も食事をしていない・・・”
“仲間が次々と死んでゆく。次は自分の番か・・・”
“友軍機を全く見ない。飛んでいるのは敵の飛行機ばかりだ。この戦争は本当に勝てるのか?”
等々。。。

そう!当時の日本兵も今の私たちと同じく、本音では人間らしい弱さを持っていたのです。
アメリカ軍は、コレ等の日記を英語に翻訳して、太平洋戦線で戦うアメリカ軍兵士に配布し、日本兵に対する恐怖心を払拭させることに成功したのです。

ただ、実際に日本兵は先に書いた通り、どんな苦しい状況下になっても弱音を吐かず、常に高い戦意を持ち続け、必要とあらば死ぬ事を厭わない態度を最後の最後まで貫き通します。

その理由は・・・
洗脳?
教育?
殴る蹴るが当たり前の厳しい訓練?
時代や風潮?

いえいえ・・・そうじゃないと思うんですよ。
その理由は、現代に生きる私たち日本人の中にも綿々と引き継がれているとまめ八は思うのです。

例えば・・・
東日本大震災の時を思い出してみませんか?
津波で大切な人を失った人たち・・・
家や財産を全て失ってしまった人たち・・・
未だに避難生活を余儀なくされている人たち・・・

外国人は皆、それらの苦痛にじっと耐える日本人の我慢強さに驚嘆していましたよネ。
でも、我々日本人からすれば“辛いのは自分だけじゃない・・・。皆、辛いんだから自分一人文句を言ったら申し訳ない。。。”って考えちゃいますよネ。。。
恐らく、この日本人特有の思考が当時の日本兵の心情だったと思うのです。
“自分一人が辛いんじゃない。戦友が、そして銃後の国民(家族)も辛いんだから、ココで弱音を吐くわけにはいかない。。。”

それに加えて、当時日本を取り巻くアジアの国々が欧米諸国や日本の植民地にされ、それらの地域の人たちがどのような状況に置かれていたのかを知っていたならば、日本の敗戦=日本の植民地化と考えるのは極当たり前の事で、絶対に負けられない・・・という切迫感が当時の日本人にはあったのでしょう。

先の大戦で亡くなった軍人・軍属(空襲や原爆などで亡くなった民間人を含まないという事です)は390万人と言われています。
この390万人には、家族や愛する人たちがいて宮部中尉同様に絶対に生きて還りたかったはずです。
中には、父親に早くに死なれ(その父親も中国との戦争で戦死していたそうです)、自分以外に男手がいない農家出身の兵士などは“オレが帰らないと年取った母ちゃんと妹たちが困るから絶対に生きて還る”と言いながらも、無謀な突撃であっけなく米軍の銃弾で撃ち殺された方もいるのです。
また間違いなく死ぬ事が解っている切り込み隊に選ばれた戦友に、「オレが死んでも悲しむのは妻と子どもだけ。お前が死ぬと年老いたご両親と、妻、子ども、それに幼い兄弟5人が困るだろう。同じ死ぬなら悲しむ人間が少ない方がいい・・・」と言って、その戦友の身代わりに志願して戦死された方もおられます。(これらのエピソードはいずれも実話です)

こういった史実を知るまめ八は、どうしてもこの「永遠の0」の宮部中尉の行為はやはり「腰抜け・・・」の誹りを受けても仕方がない事のように思えるのです。

しかも、宮部中尉は小隊長と言う立場にありながら、列機2機を従えたまま空戦から退避する行為を続けています。
昭和17年のソロモン群島付近の空戦では、日本軍は連合軍に対して常に数的劣勢を強いられていました。
そのような状況下にあって、自分の都合で部下の2機まで巻き込んで戦闘を回避していた宮部中尉の行為は絶対に許されるべきことではありません。
確かに、空戦の戦術の一つに、乱戦を避けて一旦戦闘空域から離れ、有利な位置から戦況を冷静に観察した上で攻撃し易い敵機だけを狙って一撃を仕掛け、そのまま戦闘空域から離脱するという“一撃離脱戦法”というやり方があります。
世界最高の撃墜王と言われるドイツ空軍のエーリッヒ・ハルトマンを初め、第二次世界大戦を生き残ったエースパイロットは殆どこの戦法に徹しており、日本軍の中で最も多くの敵機を撃墜したといわれる岩本徹三氏も“一撃離脱戦法”を多用した搭乗員でした。
トコロが、映画の中の宮部中尉は、一撃離脱戦法ではなく戦闘空域から明らかに逃げ出していました。戦闘行為自体に参加していないのです。
コレは明らかな敵前逃亡で重大な罪です。
なぜなら、例え3機でも味方が減れば、それだけ目が届かない空域が増えるワケで、その結果、ソコにつけ込んだ敵機によって死ななくても良い味方搭乗員が撃墜されて死ぬことになる訳ですから・・・

映画の中の宮部中尉のセリフの中に、こんな言葉がありました。

「自分が死んでも戦局の大勢には影響ないが、残された家族にとっては死活問題になる・・・」

そりゃ、そうでしょう。
でも、戦争に行く人たちってそれを解った上で、覚悟をした上(覚悟したくなくても・・・)で戦争しているワケですよネ。
もし、このセリフを理解できるって方がおられるなら、例えは悪いかも知れませんが、会社の同僚が「オレが休んでも会社には大した影響がないが、オレがいなければ家族が楽しみにしている旅行にいけなくなるから・・・」と言って、会社の命運がかかっている状況下であるにも拘らず有給休暇を取る人を快く認めることが出来ますか?

“私は、妻と娘の元に生きて還らなければならないのです”

そう言って戦闘行為から逃げ続けた宮部中尉。。。
もし、彼の言葉とその行動に涙するなら、その思いを胸にしまって、黙って死んでいったその他大勢の真面目に戦った人たちに対して、一体、私たちはどのような慰めの言葉を掛ければいいのでしょう?
皆、死にたくないのに黙って死んでいったのです。
宮部中尉の行動を認めることは、宮部中尉と同じ位に絶対に生きて家族の元に帰りたいと言う気持ちを胸に秘めながら、真面目に戦って無念の戦死を遂げた方々にある意味、とても失礼であるような気がするのです。

確かに当時の日本軍は人命を軽く扱う風潮でした。
5銭の葉書一枚で招集した兵隊は鉄砲よりも安い・・・という言われ方もしていたそうです。
この映画が、そうした当時の風潮を批判したかったが故に宮部中尉という人物を登場させた、というならば理解できる部分もあります。
けれども、当時も今も、軍隊という組織は上層部が決定した作戦がいかに無謀であろうが、意味が無かろうか、それに従わなければならないのです。(コレは人命を大切にするアメリカ軍だって同じ事です)

自分が生き残ろうと無理をすれば、結局、自分と同様に死にたくない他人が死ななければならない・・・
自分が、妻と子どもの元に帰るために生き残ろうとすると、結局は他人を殺してしまう。。。
宮部中尉は最後の最後になってその事に気が付きます。
いえ、戦争という個人ではどうにもならない巨大な運命の歯車がその事を思い知らせるまでに彼を追いこんでいきます。
だからこそ、苦悶の果てに、宮部中尉はあれ程拒否していた特攻隊に自ら志願したのでしょう。

戦争って、議論とか、理性とか道徳や、個人の力ではどうにもならない状況なんですよネ。自分以外の何か得体の知れないモノによって人の運命が左右されてしまう。。。
それがまめ八が戦記を読み漁った結果、知り得た戦争の姿です。

それなら、そんな戦争なんてやらなければいい。。。
そうなんですよ
その通りなんですよ。
だからこそ、そんな時代を経験した人たちは“戦争放棄”という事を憲法に盛り込みました。(右翼系の人たちは、今の日本国憲法をGHQの押しつけだ!なんて言いますが、制定までの経緯は確かにそういった側面も否めませんが、憲法施行から68年間に渡って改正しようと思えば改正できたのに、一字一句変わらずに存続しているって事は、“押しつけ”だけで片付けられる事では出来ないとまめ八は思うのです)

一部の人たちによって知らない間に決められた政治や軍事作戦によって、自分にとってかけがえのない人たちの命が奪われる事を許せないなら戦争はやってはいけません。
もし、戦争を許すのであれば大切な人を失っても、それに耐え忍ぶ覚悟が必要だと思います。

“積極的平和主義”ですか?
賛成される方はそれも良いでしょう。
ただ、まずご自分自身が、もしくはご自分のご子息に面と向かって自衛隊に入るように説得され、南スーダンでもソマリアでもアフガニスタンにでも行かせるが宜しい。

尖閣諸島?
自分の子どもの命と引き替えにしても、将来の日本の為に一戦交えるか否か・・・
ネット上で“中国の出方によっては開戦止む無し・・・”を述べられる方はその覚悟があっての事なのか?
少なくとも、私は自分の息子を無人島を巡る戦いに行かせたくない。。。
何処の誰とも解らぬ他人様の命令一下、死を命じられるかも知れないような人生を歩ませたくはない。

もし、どうしても行かなければならないならば、足手まといになろうが何だろうが、まめ八自身が息子の代わりに行きます。

「永遠の0」を製作した方々の本意にはそぐわないかも知れませんが、この映画を観てまめ八はそんな思いを強く持ちました。
そして、皮肉ではなくて、こんなに色々な事を考えさせてくれた素晴らしい映画だったと思います。

主人公の佐伯健太郎が、ラストシーンで零戦に乗って飛び去る宮部中尉の幻を見て涙するシーンがありました。
その涙の意味を素直にとるのであれば、厳しい戦争の時代を自らの信念を貫き通そうと必死に生きた祖父の生き様に感動したモノとして捉えることが出来るでしょう。
ただ、祖父母、父母ともに戦争経験世代で、戦争の実体験話を聞かされてきたまめ八は、ただ、ただ悲しい涙のように見えて仕方ありませんでした。

亡き父の口癖。。。

「戦争はイカン。軍人ばかり威張りやがって、無茶な事ばかり言って。。。言いたいことも言えんかった。やりたいことも出来んかった。食い物が無くて、腹減って、腹減って・・・。何にもない時代だった。何にも悪い事をしてない善良な人が訳も無く突然死んでしまって・・・あんな時代は二度とゴメンだ」

明けましておめでとうございます。~そして・・・大滝詠一さんの死を悼んで~

2014-01-02 10:52:00 | 音楽

​明けましておめでとうございます。

皆様方におかれましては穏やかなお正月をお迎えの事とお慶び申し上げます。

まめ八にとって昨年は、自分を取り巻く環境が大きく変化した、人生の大きな節目の年で逢ったような気がします。

今年は、昨年大きく変化した環境を自分の中で消化し、落ち着いた生活を取り戻したいと願っております。

ブログについては、こうした私生活、並びに仕事の変化によって気力・体力ともに消耗していた事から、コメントを頂いた方々にもリコメすらできずに本当に申し訳なく思っています。重ね重ねの非礼について、この場を借りて心からお詫び申し上げます。

今年、自分を取り巻く環境が劇的に変化する事は考えにくいのですが、少しずつでも良い方向へ持っていきたいと考えておりますので、今後とも宜しくお願い致します。

 

さて、元旦の新聞を眺めていたまめ八の目に飛び込んできた記事。。。

昨年の12月30日に、和製ロックの草分けの一人であり、日本を代表するミュージシャンであった大滝詠一さんがお亡くなりになりました。

大滝さんは、1970年代に、元YMOの細野晴臣さん、作詞家として有名な松本隆さん、ギタリストの鈴木茂さんらとともに伝説のバンド「はっぴーえんど」を結成し、洋楽全盛の時代に“日本語によるロック”を提唱し活動を続けて来られました。いわば日本のニューミュージックの草分け的な存在で、上記の「はっぴーえんど」のメンバーは勿論、山下達郎、大貫妙子、竹内まりやなどとも親交がありました。

特に、山下達郎さんとは、達郎さんがDJを務めるFM番組、サンデーソングブックの新春特別企画にゲスト出演されて和洋問わない豊富な音楽知識をご披露され、番組を大いに盛り上げておられました。

1980年代~90年代には、過去記事でもご紹介した事がある「A LONG VACATION」や「EACH TIME」、佐野元春さん、杉真理さんとのセッションアルバム「ナイアガラトライアングルVol2」などを次々にリリースされました。またドラマの主題歌としてヒットした「幸せな結末」はご存知の方も多いと思います。

また、楽曲の提供も多く、松田聖子さんの「風立ちぬ」、小林旭さんの「熱き心に」、ラッツ&スターの「夢で逢えたら」なども大滝さんの手によるものです。

 

まめ八は、大滝詠一さんの曲を高校3年生の頃(LPの時代ですよ!)から聴いてきました。

大滝さんの曲って、歌詞はともかく、曲が実に良いんですよネ。

聴いていて元気が出てきます。苦しい時も悲しい時も、大滝さんの曲を口ずさむと少しずつ心が前向きになります。お洒落なラヴストーリーにしても、バラードにしても、CMのBGMにしても・・・そして大滝さんお得意の音頭にしても・・・

豊富な音楽知識から生み出された曲は何度聞いても飽きることがありませんでした。

大滝さんの曲について、口の悪い評論家は“洋楽の良いトコ取り・・・”みたいな事を云う方がおられますが、それも洋の東西、時代を問わない大滝さんの音楽に対する深い知識の現れだと思います。

コレだけジャンル幅の広い曲を手掛け、長い期間にわたって活動を続けたミュージシャンも少ないのではないでしょうか?

 

新聞報道によれば、30日に自宅でリンゴを食べている途中で急に倒れ、救急搬送された病院で息を引き取られたそうです。死因は解離性大動脈りゅう破裂・・・奇しくも、今年亡くなった私の父と同じ病気でした。

享年65歳。。。余りにも若い突然の死でした。

実は、今年のクリスマス前に、どういう訳か大滝さんのアルバム「ナイアガラ・カレンダー」を無性に聴きたくなってそれ以来、年末の大掃除やブログを書く時のBGMとしてずっと聴いていたのです。(コレ、本当です!)

まめ八が「クリスマス音頭」をかけていると、子どもたちが「パパ、変な音楽ばかり聴いているよ・・・」と心配して奥さんに言いつけに来たそうです。

天国の大滝さん、ゴメンなさい。。。

さて、まめ八が敬愛する大滝詠一さんを偲んで、まめ八がナイアガラサウンドの中でも良く聴いていた『青空のように』という曲に、まめ八がコレまで撮り貯めてきた写真の中で“青空”が綺麗なモノをセレクトして編集した動画を作ってみましたのでアップします。

<iframe width="540" height="303" src="/my/sites/0001457380/mamehachi/_layouts/15/videoembedplayer.aspx?site=71dd3312a8fc4db39681ea4834c9f455&web=1833fdd51ef444ef9f5b81de607fece9&list=9c4e508b51704e7da7d6b42fc34f20a1&item=130&" data-duration="0"></iframe> 

 

こうして、大滝さんの声を聴きながら青空の写真を眺めていると、この青空へ大滝さんが帰っていかれたような気がします。

天国でも楽しく音楽活動を続けて頂きたいと思います。

大滝詠一さん。。。コレまで良い音楽を本当にありがとう。

一ファンとして心から感謝申し上げます。

安らかにお休みください。

 

合掌・・・