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『永遠の0(ゼロ)』を観てきました

2014-01-05 13:49:00 | 戯言

一昨日、お正月映画として話題を集めている『永遠の0(ゼロ)』を観てきました。

 

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今回はその感想を書いてみたいと思います。

ただし、かなりの長文になっていますので時間のない方、興味がない方は読まれない事をお奨めしておきます。

この作品、放送作家の百田尚樹氏の同名小説を映画化した作品なのはご存知の通り。。。
小説自体が300万部以上を売上げ、戦争がテーマの作品であるにも拘らず女性読者も多い、という異色のベストセラーですから、映画の観客動員数も初日2日間で43万人 を記録する等、興行的には大成功を収めているようです。
まめ八が出かけた映画館も、文字通り老若男女、ほぼ満席状態でした。

映画を観た感想は。。。
とても良い映画でした。
主演だったV6の岡田准一さんは名演技・・・しかも最高にカッコ良かった。
 この映画が遺作となった夏八木勲さん初め出演者の皆さんも素晴らしかったで
そして真珠湾攻撃や空母赤城、そして零戦の空戦シーンのCGも日本映画でココまで出来るのか?って程に素晴らしい出来栄えでした。
ストーリー自体も解り易く、隣に座っていたまめ八の奥さんも何度もハンカチで涙を拭っていましたし、まめ八自身、グッとくる場面が何度もありました。

でも・・・

映画を観終わって、まめ八の心の中に何か知れぬ違和感が残りました。
上手く言えないのですが、脂っこいモノを食べた後の胃もたれ感のような、消化不良のような不快感が・・・
それが何なのか?
直ぐには解りませんでしたが、時間が経つにつれ、頭の中が整理されるにつれ、そして奥さんとこの映画について語り合うにつれて次第にその不快感の正体がハッキリしてきました。

その不快感の正体とは・・・
家族の元に生きて還ると約束した旧海軍搭乗員宮部中尉の苦闘を描きつつも、結局、映画の冒頭で宮部中尉の同僚が言っていた通り、準主人公である宮部中尉は「海軍一の腰抜けだった」のではないか。。。
つまり、この映画って“零戦を飛ばす技術は優れているケド、戦闘機搭乗員としては最低な(・・・と言うよりも一人の大人として未熟な)男の苦悶の物語を通じて観る人に色々な事を考えさせる映画だったのネ!”という思いだったのです。
主人公を演じる岡田君が余りにもカッコ良過ぎた事と、映画の中での華麗な零戦の操縦技術、そして感動的なエンディングシーンと桑田佳祐さんが歌う『蛍』がジーンと来て、観終わった後の感動が強かった分映画自体の内容とのギャップが大き過ぎて先に述べたようなある種の不快感を覚えたのでしょう。

あっ!
最初に断っておきますが、コレはあくまでも映画を観た感想ですからネ。
まめ八は小説を読んでいないので、映画に描かれていない宮部中尉の深い心理状態や戦闘行為については解りません。(まぁ、宮部中尉自身が架空の人物である以上、その事にあまりこだわる必要もないのですが。。。)
あくまでも映画を観た感想という事でご理解下さい。

さて、上記のような言い方をすれば映画を観て感動された方々から猛反発を食らうかも知れません。
でも、当時の戦史を読み漁ってきたまめ八が行き着く結論は“宮部中尉は腰抜けだった・・・”というトコロに辿り着いてしまうのです。
そう。。。宮部中尉という架空の人物はどう考えても、エンディングで主人公の前を格好よく敬礼しながら零戦で飛び去って行く幻のような人ではなかったという事です。

それでは何故、そのような結論に至ったのか。。。

まず、最初にココだけは是非理解して頂きたいのですが、当時の日本人が皆、軍国主義で洗脳されていた・・・という誤った認識を捨てて頂きたいという事です。
確かに、知覧を初め、各地にある特攻記念館に残された特攻隊員の遺書には、不自然な位に“お国の為に・・・”とか、“天皇陛下の為に・・・”笑って死にます”。。。みたいな事が書いてあります。
でも、コレ等の遺書って全て軍の検閲を受けていたのですよネ。

“ホントは死にたくない・・・”
“お母さんにもう一度会いたかった・・・”
“仕方がないから征く・・・”

・・・みたいなことを書いたら遺書すら検閲で撥ねられて家族に届かなかったのです。
ですから、遺書を残す側の特攻隊員からすれば形通りの遺書でも、何がしか自分の言葉を家族に残したかった。。。その結果が、あの型にはめたような遺書の文体なんです。本当は、いろんな事を書き残したかったでしょう・・・いや、逆に家族を悲しませたくない、という思いがそうした型にはめたような文章になったのかもしれません。
そういった背景を理解して読まないとコレ等の遺書の悲痛な真意は伝わってこないと思うのです。

意外に思われるかもしれませんが、死ぬことを厭わなかったと思われていた日本兵の本当の心情を理解していたのは他ならない敵である米軍でした。
開戦当時、アメリカ兵の間には人種偏見もあって日本兵の事をある意味、人間離れした化け物扱いする風潮があって、必要以上に日本兵を恐れるデマが広がっていたそうです。
その為、アメリカ軍上層部は、まず敵である日本兵もごく普通の人間?である事の証拠を収集し、その日本兵とコレから対峙しなければならない自軍の兵士たちにその事実を周知する必要に迫られました。
そこで彼らが目を付けたのが、戦死した日本兵が持っていた日記だったのです。
映画の中にも多少描かれていましたが、当時の日本兵は、周囲の人間に対して決して本音を言えない雰囲気の中に置かれていました。
実際に命を懸けて戦場にいた日本兵たちはそれぞれに色々な事を考え、そして感じていました。
けれどもそれを口に出来ない環境に彼らは置かれていたのです。
だからこそ、当時の日本兵はその本音を自分しか見る事が無い日記に残したのです。
その日記には、どんな苦しい状況下になっても弱音を吐かず、常に高い戦意を持ち続け、必要とあらば死ぬ事を厭わない・・・と言われた日本兵の本音が書き綴られていました。

“家に帰りたい・・・”
“妻や子どもに逢いたい・・・”
“こんなトコロで死ぬのは無念だ・・・”
“もう何日も食事をしていない・・・”
“仲間が次々と死んでゆく。次は自分の番か・・・”
“友軍機を全く見ない。飛んでいるのは敵の飛行機ばかりだ。この戦争は本当に勝てるのか?”
等々。。。

そう!当時の日本兵も今の私たちと同じく、本音では人間らしい弱さを持っていたのです。
アメリカ軍は、コレ等の日記を英語に翻訳して、太平洋戦線で戦うアメリカ軍兵士に配布し、日本兵に対する恐怖心を払拭させることに成功したのです。

ただ、実際に日本兵は先に書いた通り、どんな苦しい状況下になっても弱音を吐かず、常に高い戦意を持ち続け、必要とあらば死ぬ事を厭わない態度を最後の最後まで貫き通します。

その理由は・・・
洗脳?
教育?
殴る蹴るが当たり前の厳しい訓練?
時代や風潮?

いえいえ・・・そうじゃないと思うんですよ。
その理由は、現代に生きる私たち日本人の中にも綿々と引き継がれているとまめ八は思うのです。

例えば・・・
東日本大震災の時を思い出してみませんか?
津波で大切な人を失った人たち・・・
家や財産を全て失ってしまった人たち・・・
未だに避難生活を余儀なくされている人たち・・・

外国人は皆、それらの苦痛にじっと耐える日本人の我慢強さに驚嘆していましたよネ。
でも、我々日本人からすれば“辛いのは自分だけじゃない・・・。皆、辛いんだから自分一人文句を言ったら申し訳ない。。。”って考えちゃいますよネ。。。
恐らく、この日本人特有の思考が当時の日本兵の心情だったと思うのです。
“自分一人が辛いんじゃない。戦友が、そして銃後の国民(家族)も辛いんだから、ココで弱音を吐くわけにはいかない。。。”

それに加えて、当時日本を取り巻くアジアの国々が欧米諸国や日本の植民地にされ、それらの地域の人たちがどのような状況に置かれていたのかを知っていたならば、日本の敗戦=日本の植民地化と考えるのは極当たり前の事で、絶対に負けられない・・・という切迫感が当時の日本人にはあったのでしょう。

先の大戦で亡くなった軍人・軍属(空襲や原爆などで亡くなった民間人を含まないという事です)は390万人と言われています。
この390万人には、家族や愛する人たちがいて宮部中尉同様に絶対に生きて還りたかったはずです。
中には、父親に早くに死なれ(その父親も中国との戦争で戦死していたそうです)、自分以外に男手がいない農家出身の兵士などは“オレが帰らないと年取った母ちゃんと妹たちが困るから絶対に生きて還る”と言いながらも、無謀な突撃であっけなく米軍の銃弾で撃ち殺された方もいるのです。
また間違いなく死ぬ事が解っている切り込み隊に選ばれた戦友に、「オレが死んでも悲しむのは妻と子どもだけ。お前が死ぬと年老いたご両親と、妻、子ども、それに幼い兄弟5人が困るだろう。同じ死ぬなら悲しむ人間が少ない方がいい・・・」と言って、その戦友の身代わりに志願して戦死された方もおられます。(これらのエピソードはいずれも実話です)

こういった史実を知るまめ八は、どうしてもこの「永遠の0」の宮部中尉の行為はやはり「腰抜け・・・」の誹りを受けても仕方がない事のように思えるのです。

しかも、宮部中尉は小隊長と言う立場にありながら、列機2機を従えたまま空戦から退避する行為を続けています。
昭和17年のソロモン群島付近の空戦では、日本軍は連合軍に対して常に数的劣勢を強いられていました。
そのような状況下にあって、自分の都合で部下の2機まで巻き込んで戦闘を回避していた宮部中尉の行為は絶対に許されるべきことではありません。
確かに、空戦の戦術の一つに、乱戦を避けて一旦戦闘空域から離れ、有利な位置から戦況を冷静に観察した上で攻撃し易い敵機だけを狙って一撃を仕掛け、そのまま戦闘空域から離脱するという“一撃離脱戦法”というやり方があります。
世界最高の撃墜王と言われるドイツ空軍のエーリッヒ・ハルトマンを初め、第二次世界大戦を生き残ったエースパイロットは殆どこの戦法に徹しており、日本軍の中で最も多くの敵機を撃墜したといわれる岩本徹三氏も“一撃離脱戦法”を多用した搭乗員でした。
トコロが、映画の中の宮部中尉は、一撃離脱戦法ではなく戦闘空域から明らかに逃げ出していました。戦闘行為自体に参加していないのです。
コレは明らかな敵前逃亡で重大な罪です。
なぜなら、例え3機でも味方が減れば、それだけ目が届かない空域が増えるワケで、その結果、ソコにつけ込んだ敵機によって死ななくても良い味方搭乗員が撃墜されて死ぬことになる訳ですから・・・

映画の中の宮部中尉のセリフの中に、こんな言葉がありました。

「自分が死んでも戦局の大勢には影響ないが、残された家族にとっては死活問題になる・・・」

そりゃ、そうでしょう。
でも、戦争に行く人たちってそれを解った上で、覚悟をした上(覚悟したくなくても・・・)で戦争しているワケですよネ。
もし、このセリフを理解できるって方がおられるなら、例えは悪いかも知れませんが、会社の同僚が「オレが休んでも会社には大した影響がないが、オレがいなければ家族が楽しみにしている旅行にいけなくなるから・・・」と言って、会社の命運がかかっている状況下であるにも拘らず有給休暇を取る人を快く認めることが出来ますか?

“私は、妻と娘の元に生きて還らなければならないのです”

そう言って戦闘行為から逃げ続けた宮部中尉。。。
もし、彼の言葉とその行動に涙するなら、その思いを胸にしまって、黙って死んでいったその他大勢の真面目に戦った人たちに対して、一体、私たちはどのような慰めの言葉を掛ければいいのでしょう?
皆、死にたくないのに黙って死んでいったのです。
宮部中尉の行動を認めることは、宮部中尉と同じ位に絶対に生きて家族の元に帰りたいと言う気持ちを胸に秘めながら、真面目に戦って無念の戦死を遂げた方々にある意味、とても失礼であるような気がするのです。

確かに当時の日本軍は人命を軽く扱う風潮でした。
5銭の葉書一枚で招集した兵隊は鉄砲よりも安い・・・という言われ方もしていたそうです。
この映画が、そうした当時の風潮を批判したかったが故に宮部中尉という人物を登場させた、というならば理解できる部分もあります。
けれども、当時も今も、軍隊という組織は上層部が決定した作戦がいかに無謀であろうが、意味が無かろうか、それに従わなければならないのです。(コレは人命を大切にするアメリカ軍だって同じ事です)

自分が生き残ろうと無理をすれば、結局、自分と同様に死にたくない他人が死ななければならない・・・
自分が、妻と子どもの元に帰るために生き残ろうとすると、結局は他人を殺してしまう。。。
宮部中尉は最後の最後になってその事に気が付きます。
いえ、戦争という個人ではどうにもならない巨大な運命の歯車がその事を思い知らせるまでに彼を追いこんでいきます。
だからこそ、苦悶の果てに、宮部中尉はあれ程拒否していた特攻隊に自ら志願したのでしょう。

戦争って、議論とか、理性とか道徳や、個人の力ではどうにもならない状況なんですよネ。自分以外の何か得体の知れないモノによって人の運命が左右されてしまう。。。
それがまめ八が戦記を読み漁った結果、知り得た戦争の姿です。

それなら、そんな戦争なんてやらなければいい。。。
そうなんですよ
その通りなんですよ。
だからこそ、そんな時代を経験した人たちは“戦争放棄”という事を憲法に盛り込みました。(右翼系の人たちは、今の日本国憲法をGHQの押しつけだ!なんて言いますが、制定までの経緯は確かにそういった側面も否めませんが、憲法施行から68年間に渡って改正しようと思えば改正できたのに、一字一句変わらずに存続しているって事は、“押しつけ”だけで片付けられる事では出来ないとまめ八は思うのです)

一部の人たちによって知らない間に決められた政治や軍事作戦によって、自分にとってかけがえのない人たちの命が奪われる事を許せないなら戦争はやってはいけません。
もし、戦争を許すのであれば大切な人を失っても、それに耐え忍ぶ覚悟が必要だと思います。

“積極的平和主義”ですか?
賛成される方はそれも良いでしょう。
ただ、まずご自分自身が、もしくはご自分のご子息に面と向かって自衛隊に入るように説得され、南スーダンでもソマリアでもアフガニスタンにでも行かせるが宜しい。

尖閣諸島?
自分の子どもの命と引き替えにしても、将来の日本の為に一戦交えるか否か・・・
ネット上で“中国の出方によっては開戦止む無し・・・”を述べられる方はその覚悟があっての事なのか?
少なくとも、私は自分の息子を無人島を巡る戦いに行かせたくない。。。
何処の誰とも解らぬ他人様の命令一下、死を命じられるかも知れないような人生を歩ませたくはない。

もし、どうしても行かなければならないならば、足手まといになろうが何だろうが、まめ八自身が息子の代わりに行きます。

「永遠の0」を製作した方々の本意にはそぐわないかも知れませんが、この映画を観てまめ八はそんな思いを強く持ちました。
そして、皮肉ではなくて、こんなに色々な事を考えさせてくれた素晴らしい映画だったと思います。

主人公の佐伯健太郎が、ラストシーンで零戦に乗って飛び去る宮部中尉の幻を見て涙するシーンがありました。
その涙の意味を素直にとるのであれば、厳しい戦争の時代を自らの信念を貫き通そうと必死に生きた祖父の生き様に感動したモノとして捉えることが出来るでしょう。
ただ、祖父母、父母ともに戦争経験世代で、戦争の実体験話を聞かされてきたまめ八は、ただ、ただ悲しい涙のように見えて仕方ありませんでした。

亡き父の口癖。。。

「戦争はイカン。軍人ばかり威張りやがって、無茶な事ばかり言って。。。言いたいことも言えんかった。やりたいことも出来んかった。食い物が無くて、腹減って、腹減って・・・。何にもない時代だった。何にも悪い事をしてない善良な人が訳も無く突然死んでしまって・・・あんな時代は二度とゴメンだ」