昨年は塗装まで終えた完成作品が2作品しかありませんでした。(組み立て済み未塗装作品はもう一つあるのですが・・・)
このヘッツァーはその内の一つです。
さて、いつものように実車解説から始めます。
第二次世界大戦も1943年頃になると、米英空軍によるドイツ本国への爆撃が激しくなり、ドイツの兵器生産工場も大きな被害を蒙るようになります。
1943年11月にはⅢ号突撃砲を生産していたアルケッテ社の工場が壊滅的な被害を受け、それに伴ってⅢ号突撃砲の生産は一時的に生産停止に追い込まれてしまいます。
そこでドイツ兵器局は、チェコのBMM社に対してⅢ号突撃砲の生産を打診しました。しかし、BMM社の生産施設ではⅢ号突撃砲の生産は難しかったことから、それに代わって開発が進められたのがヘッツァーでした。
このヘッツァーの開発にあたったBMM社は、38t軽戦車の発展型として開発されたもののⅡ号戦車L型(ルクス)との競争に敗れて生産が見送られていた38(t)n.A.戦車の車体を利用してわずか4ヶ月で試作車を開発。制式採用された1943年末から生産が始まります。
武装は、Ⅳ号戦車やⅢ号突撃砲と同等の威力を持つ48口径75㎜砲と車内からの操作が可能なMG34機銃を装備。装甲は前面が60mm、側面が20㎜というものでした。
ただ、このヘッツァーの最大の特長は、生産性の良さと機械的信頼性の高さ、そして2.17mという低い車体高を始めとした小さな投影面積でした。
ヘッツァーの一両当たりの価格はⅣ号戦車の半分に過ぎず、生産が容易で1年足らずの期間に約2600両が生産されています。
装甲車両の不足に常に苦しまされてきたドイツ軍にとって、このヘッツァーの生産性の高さは魅力的であり、最優先生産車両に指定されるほどでした。
しかも、信頼性の高いエンジンと簡素な足回りを採用していた事から本車の稼働率は高く、故障修理中の車両が多かったドイツ軍装甲車両の中にあって常に動ける車両として実戦部隊では重宝されました。
ただ、このヘッツァーは多くの欠点も持ち合わせていました。
傾斜した装甲のせいで車内はきわめて狭く、4人の乗員が搭乗すると身動きが取れない状態になりました。
車体の中心軸から右にずらした位置に装備されていた主砲と前面装甲の関係から車体重量バランスが悪く、幅の狭い覆帯や非力なエンジン出力と相まって路外での機動力はさほど高くない上、操縦が難しい車両でもありました。しかも、車内レイアウトの関係から車両の右側前方が死角になってしまい、戦闘室後方に着座する車長からの視界はかなり制限されていました。
そのため、ヘッツァーは単独で戦闘を行うと装甲の薄い側面に回りこまれて簡単に撃破されてしまったようです。
こうした理由から、前線での兵士からの評判は芳しい物ではなく、“火葬装置付き棺桶”とまで呼ばれる始末でした。
ただ、旋回砲塔を持たない本車のような駆逐戦車は、本来待ち伏せ戦術で使用されるべきもので、対戦車砲と同様、小隊単位で互いの死角を補い合い、単一の敵に集中砲火を浴びせ確実に仕留めていく「パック・フロント」戦術こそが正しい本車の戦術でした。
この戦術に徹する限りにおいて、ヘッツァーはその小さな投影面積、適度な前面装甲、そして比較的強力な武装という特性を生かして連合国軍にとって恐るべき強敵となったのです。
このヘッツァーは、大戦末期に登場したドイツ軍車両の中では最も成功した物の一つとされ、生産性の高さ、低価格、強力な武装と機械的信頼性の高さなどから戦後もチェコやスイスで生産が続けられ、それぞれの国で1960年代まで使用され続けました。
今回ご紹介したヘッツァーはタミヤの中期生産型のキットです。
作りやすさ、プロポーションの正確さ、細部に至るまでのディテール等、タミヤ・スタンダートの名に恥じない傑作キットの一つでしょう。
願わくば5年前に出していればもっと販売実績も上がったでしょうに・・・
装備品のクランプ類を追加した以外は全くの素組みです。
フィギュアはジャンクパーツから探してきたドラゴン社製のものを腕などを取り替えて使用しました。
塗装は、大戦末期のドイツ軍車両に見られた木漏れ日迷彩にしてみました。
基本塗装はアクリル塗料で、墨入れとドライブラシ、ウォッシングはエナメル塗料で行いました。
最近、細かい塗装の際に目が霞んで塗りにくくなってきました。
これってもしかして“老眼!?”
今回、以前記事でご紹介したヘッドルーペを使用して塗装した所、作業がかなり楽になり、こんな事ならもっと早く購入しておけば良かったと思いました。
それにしても、年々、細かい作業をすると手先がプルプル・・・、目が霞むといった老化を感じるようになりました。
山と積まれたキットの在庫を見て、あと何年模型が作れるのかな?と心配になるまめ八でありました。
コメント
- EP82-SW20 [2010年3月7日 13:20]
- こんにちは。
このモデルは買いましたw
しかし、いまだ手付かず(苦笑)
ヤクパンやヤークトティーガーの車長席が車体右側前方に設定されているのは、この右前方死角対策なのでしょうかね。
Ⅲ・Ⅳ号突撃砲やラングは、左後ろ設定。
他の大戦中~後期の戦車も左側設定ですよね。
でも、キューポラを使って一段アイポイントを高く設定してやれば、対応できるような気も・・・。 - おぺ [2010年3月7日 23:27]
- こんばんは。
丁寧な塗装で重厚感がでてますね~。迷彩もうまく馴染んでいてモデル的にとても素晴らしいデキです。木漏れ日迷彩なんて言葉も覚えてしまいましたw。1枚目と真横からの写真がこの戦車の特徴がわかりやすいショットになるんですね。いつもながら解説付きでみると面白いですね。 - さんじ18 [2010年3月9日 1:09]
- 塗装も巧すぎです。
バックもとても良いです。 - まめ八 [2010年3月9日 19:45]
- EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。
右前方の死角の問題は、ヘッツァーの主砲が車体右側に寄せて搭載されていた事による物で、ヤクパンやヤークトティーガーの乗員配置とは余り関係が無いようです。
このヘッツァーをはじめ、駆逐戦車と呼ばれる車両にはキューポラを装備したものがありません。
恐らく駆逐戦車という待ち伏せ攻撃が主任務の車両の性格上、戦車や突撃砲などに比べると四周の視界確保に余り熱心ではなかったからだと思います。(しかもキューポラ型にすると精密光学機器であるペリスコープもたくさん必要となり生産に手間がかかる上、高価になる)
ただ、これはドイツ人特有の駆逐戦車=機動戦の必要が無い=キューポラはいらないという硬直化した思想と脆弱な生産力の結果であるとも考えられます。
その証拠に、戦後スイスで生産されたほぼ同型のG13駆逐戦車はキューポラを装備しています。 - まめ八 [2010年3月9日 19:55]
- おぺさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き有難うございます。
お褒めの言葉を頂き恐縮です。
私としてはもう少しウェザリング(汚し)をした方が良かったかな?と写真をみて感じております。ウォッシングのお陰で使い込まれた感じは出せたとは思うのですが、車両が小さいので迷彩のバランスが難しく、その点には気を使いました。
“木漏れ日迷彩”は別名“光と影の迷彩”とも呼ばれており、森林の下で待ち伏せする車両にはかなり有効な迷彩であったみたいです。ドイツ軍は迷彩に関して天才的な能力を発揮しており、敵対する軍隊にとっては極近くまで寄らないと発見できなかったようです。
現在は一般化している迷彩服なども当時のドイツ軍の戦闘服(というか迷彩ポンチョ)をモデルにしてありますし、戦車などの迷彩もドイツ軍のものを真似ているケースも多々見られるようです。 - まめ八 [2010年3月9日 20:00]
- さんじ18さん、こんばんわ。
コメントを頂きまして有難うございます。
私としては塗装に関してまだまだ未熟だと思っています。今後とも色々な塗装法に挑戦していきたいと思います。
バックに関しては、さんじさんから初めて合格を頂けましたね。o(^▽^)o
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