※参考記録

日本百名山山頂宙返りを敢行中の【雪崩★マン】が綴る社会学的山岳エッセイ!

タイ人襲来!(赤潮発生)vol.2

2002年04月02日 | 文化・生活【culture&life】
 焼きあがったもんじゃとお好み焼きを前にした弟が
おもむろにテーブル端の薬味のスタンドに手を伸ばし、
『七味唐辛子』を取り、テーブルに置いたのだ!
そのとき、御江戸のtraditional foodを
私一人では守りきれないことを瞬時に悟り、私は落胆した。そう!二人は

 もんじゃとお好み焼きの表面に、
七味唐辛子のスコールを降らせたのだ!


 「緊急警報!赤潮発生!全漁民は直ちに帰港せよ!」

 幸い、もんじゃ達は小分けされていたので、
私のもんじゃは“汚染”されずに済んだ。
しかし、彼らの“潮溜まり”は見事な橙色を醸し出し、
その波間にのた打ち回る鰹節は、
さながら呼吸困難で暴れる養殖鰹!鰹達の断末魔を聞いた気がし、
思わず目頭を押さえてしまった。実際、辛さは目に染みる…。

 そう言えば弟が言っていた。
食べ物に対するタイ人の美味さの基準は「辛さ」であると。
彼も3年近いタイ滞在で見事に“タイナイズ”され、
汚染されたもんじゃを平気な顔して平らげている。
やはり生体は環境の変化に適応し、身体を変化させるのだ。
“汚染もんじゃ”を食べる弟を見て、
私は『種の進化』を学ぶ生きた標本を目の当たりにした気がした。

 食後、不忍池周辺を散歩し、桜を眺めた。「もんじゃ」の後は「花見」だ。
いやァ、俺もよいプランを考えるな、と自画自賛。
好天の休日とあって屋台も人も多く、バンコクの街の情景と重なった。
ユットさんもこの光景を楽しんでいるらしく、
「カメラをスーツケースに入れたままにしてきた」と悔やんでいた。

 余談だが、私はタイが大好きで、住みたいと思っているくらい。
今年2月にタイを訪れており、バンコクの街並みは記憶に新しい。
簡単な会話くらいならタイ語だって話せちゃうのだ。
もちろんユットさんと談笑できるレベルではなく、
すっかりタイ語を自由に操れるようになっている
弟の通訳を介して彼と話したのだが。

 彼らは夕方の飛行機でタイへ帰るので、
3時過ぎに東京駅から成田エクスプレスで成田空港へ向かった。
別れ際、二人と固い握手を交わし、
ユットさんに、またタイを訪れることを約束した。

 はたしてユットさんはもんじゃを楽しんでくれたのか?
そういえば食べ始めるとき、

「これは“トレーニング”だ」

とつぶやいていたな…。


 「まあ、オッちゃんが言うのも変やねんけど、異文化コミュニケーション、
ちゅうのもええと思うねんな…」♪

タイ人襲来!(ユットさん現る)vol.1

2002年04月02日 | 文化・生活【culture&life】
 一昨日、弟が東京へやってきた。彼は某製紙会社の社員で、
3年ほど前から転勤でタイへ赴任している。
今回は出張で福島へ来て、タイへの帰路の途中、東京に立ち寄ったのだ。
彼の傍らにはタイ人の「ユットさん」が立っていた。
今回弟と一緒に出張した会社の同僚らしい。
サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ似の彼。
人懐っこい笑顔に安心。

 我々は御徒町で待ち合わせ、早速昼食に向かった。
私は以前東京に遊びに来た両親を連れて行った、
もんじゃ・お好み焼き屋「てんこ森」へ行った。
私と弟は四国の愛媛出身。
弟は東京に住んだ経験がなく、もんじゃも初体験。
ましてやユットさんは言わずもがなである。
やはり“お上りさん”や外国人には
御江戸のtraditinal foodをご馳走せにゃ!

 この店にはベテラン(もんじゃを焼くことに関して)のオバさん店員がおり、
以前私が来店した際は、オバさんが「食べ方わかります?」と聞くので、
両親と一緒だった私は「わかりませェ~ん」と答えた。
すると彼女は手際よく解説を加えながら
もんじゃを一玉、目の前で焼いてくれたのだ。
であるからして今回も彼女に甘えて、「日本の伝統芸」を
ユットさんに見せてあげようと思っていたのだ。
しかし、注文を取りに来た店員は東南アジア系のアルバイト風の女性店員。
「ゴッチューモンハ?」
と聞く。ありゃりゃ?
おまけに隣りのテーブルには欧米人(白人)の4人組が座り、
何処からともなくやってきたオバさん店員は彼らに係りっきり。
かくしてユットさんに伝統芸を披露する役目は、
もんじゃ経験1~2回の私が担うことになったのである。

 お好み焼きは何度も焼いたことがあるので、
もんじゃはその要領で水分が多いことを考慮し、
一玉を2回くらいにわけて焼いたほうがよい。そう考え、早速一玉目を焼く。
かなり一生懸命の私。
なすすべもなくそれを見守る二人。彼らを気遣い、
なんとか会話もしなければ、と思うのだが、
手と口と頭は上手く連動してくれないものだ。
なんとか一玉目を焼き終える頃、
弟は合わせて注文していたお好み焼きを焼き始めていた。
もんじゃは二玉注文しており、もう一玉はユットさんにも手伝ってもらった。
二玉目には彼に伝統芸への参加を要請する
余裕も出てきていたのだ。
私は得意満面で「土手」の作り方までレクチャーした。

 さあ、いよいよ食べるぞ!
そのとき、私が危惧していた出来事が起こったのである。