※参考記録

日本百名山山頂宙返りを敢行中の【雪崩★マン】が綴る社会学的山岳エッセイ!

嬉しい再会♪

2006年08月31日 | 雑感【thoughts】
 以前の職場の後輩二人と久々に逢った

 一人は智美嬢(25歳,♀)、もう一人はS崎(26歳,♂)。

 二人とも僕が在職中にその職場を辞めており、
当時智美嬢は大学生、S崎はフリーターだったが、
共にいまや立派な社会人である。
智美嬢は厳しい広告代理店でOL。
S崎は実家の電気工事会社に就職し、
社長でもあるお父さんの片腕として働いている。

 僕は単純にこの10歳年下の後輩たちに逢って
“先輩風”を吹かせることだけに満足を得る
ただのたちのよくない先輩だ。
しかし、それにもかかわらず
今回は(*以前からそうだが)彼らから誘ってくれた
僕は自分勝手で面倒くさがり屋なので、
自分から人を誘うことは滅多にない。
しかし、僕は好きな人とはこまめに連絡を取り合うという
非常にせせこましいところがあり、
そのおかげで彼らとも交流が保てたのだ。
また、自分の言うのも恥ずかしいが、
僕はなかなか世話好きで面倒見がよく、
その点でも彼らとは親しくなれたのかもしれない。

 しかも今回彼らと会ったのは
やはり同じ以前の職場の同僚で今や
「創作料理の居酒屋」の料理長を勤める
K野くん(32歳)の店でだ。
ついでに紹介しよう。
彼の店はJR中央線国分寺駅北口から徒歩7~8分のところにある
『かくれん房』というお店だ。
店の作りも味も人のよい彼らしい素朴で細やかなものである。

 今回は単純に素直に僕は嬉しかった
僕の歳になると大学時代の同い年くらいの友人たちは
皆忙しく、結婚している者は家事や育児、
家族と過ごす時間が長く、
なかなか僕らと会う時間は無い。
また僕は僕で仕事柄休みは少なく、
おまけに土日が休みではないので
ますます逢う時間は無い。

 今回逢った二人はまだ若い社会人で
そのような制約は無いとはいえ
僕との時間を作るために多少の労力と時間を費やしてくれた。
特に智美嬢は自宅は「目黒」、職場は「神田」なので
国分寺まではかなり遠い。


 約一年ぶりの再会で、
お互いあまりに変わっていないことを確認し合ってから談笑した。
旧知の友と会う機会がめっきり減った僕にとって
気の置けない後輩と会うことは本当に楽しかった。
普段は結構人に気遣いをしている僕だが、
気づくとマイペースで楽しんでおり、
仕事の愚痴などもこぼしていた。
彼らはどうだったか…。

 日常的には
「久々に友達と呑んだ」
程度の出来事だが、
僕が人に生かされている、支えられている
ことを実感した嬉しい一日だった。
同時に
愛すべき彼らを大事にしよう
強く自覚した。


 僕はよく
「独りが好き」
と人に言う。
それは事実だ。
一人で出かけることが多いし、山は常に独りだ。
しかし、人生のなかで
人と一緒にいることで
温かいものや穏やかなもの、充実感を感じてきた。
でも独りでいることに甘えていたのだ。


 まあ、何はともあれ、
僕は大好きな後輩との旧交を温め
また逢いたいなぁ、と言い合い
別れただけという
何処にでもある日常の風景を久々に書いたのだ。

夏は苦しめ!(4)~五竜岳で出会ったすごいやつ

2006年08月27日 | 山【mountain&climbing】
隣りの雪崩★マンと比べると、さすがTさんは黒いなぁ


 小休止のあと、ややきつい登りをクリアしながら
五竜岳を目指す。
そして8時半過ぎ五竜岳へ到着。
ここになかなかすごい先客がいた。

 名前はあえて伏せるが
(*ご本人は写真共に公開してもよいとおっしゃったが)
「Tさん」という方で、
先月仕事を辞め、いまはなんと
上高地から日本海の親不知まで縦走中
という!!
11日間の予定で今日が8日目だそうだ。
以下がその彼の雄姿だが、
一見して、そんな冒険をするような無骨な方には見えず、
それこそオフィスワークが似合う
誠実そうな好青年だった。
「いやぁ、僕はバカですね」と笑う
彼に僕はすごーく好感を持った。

 まもなくやってきたUさんと3人で暫し談笑したあと
それぞれの無事を祈って再出発した。
このあと僕にちょっとした
アクシデントが起こるのだが…。

夏は苦しめ!(3)~五竜岳へ

2006年08月23日 | 山【mountain&climbing】
早朝、特製ゴーヤラーメンを食す。しかしこれが後に悲劇を…。


 8月8日、
午前3時頃、近くのテントが騒がしくなった。
大学生たちのテントだ!
山岳部かW.V.部の連中で、
昨日は夕方みんなでラジオを聴きながら
天気図をつけていた。
18時前には夕食を済ませ、19時過ぎには静かになったが、
いくら山では「早発ち」が基本とはいえ、
3時は早すぎるだろ!!
まだ真っ暗だし、みんな寝ているぜ、おいッ!!


よほど注意しようと思ったが、気分よく山行を送りたいし、
どうせすぐに出発していなくなるだろうと思っていたので
腹を立てつつ“二度寝”した。
次に目を覚ましたときは5時。
僕は「早発ち」の基本は守れなかった…。

 出発したのは6時過ぎ
すでに小屋の前には小屋泊まりの
お客さんの多くも出発し始めていた。

 前日のバスで偶然同乗した小屋泊まりの
東大和市のUさんと会い話したら
Uさんは台風が近づいているという情報を得ており、
八峰キレットを越えて扇沢へ下りるという計画を変更し、
五竜岳に登ったら、五竜山荘まで戻り、
遠見尾根を下って、今日帰京するという。

 お互いの無事を祈って出発した。

 五竜山荘までは「1時間半」かからずに到着した。
こんなに早く着くなら昨日ここまで来て
テントを張ってもよかったなぁ。
ちなみにここ(唐松岳頂上山荘→五竜山荘)は
コース標準タイムは「2時間半」である。
相変わらずの自身の健脚ぶりに自画自賛

夏は苦しめ!(2)~唐松岳へ

2006年08月21日 | 山【mountain&climbing】
唐松岳をかすめる夕陽


 天候はますます悪くなり、時折小雨も降り始めた。
ちょっと歩調を速め、先を急いだ。
そして稜線に出てまもなくの16時前、
唐松岳頂上山荘に着いた。

 “予定通り”、コース標準タイム(*昭文社「山と高原地図」参考)
「3時間半」のところを「2時間弱」で着いた。
 今日はここのテント場でテント泊の予定だが、
出来れば五竜山荘まで行きたいと思っていた。
小屋の人に聞けば「約2時間」という。
うーん、その時間内で行く自信はあるが…。
ここで泊まろう…。

 テント場は小屋の西斜面を下ったところにある。
雪渓の豊富な水量のよい水場があるが、
難点はトイレを利用の際、
小屋へ向けて何十mも登らなければならないこと!
でも静かに過ごしたいのであえてテント場の一番下にテントを張った。
逆に水場には一番近いのだよん
設営後、唐松岳に登り、優雅な夕刻を過ごした。

 しかし17時過ぎに激しい雷雨が降り、
僕は心細く独りテントの中にいた。

夏は苦しめ!(1)~プロローグ

2006年08月21日 | 山【mountain&climbing】
八方池を臨む。天気悪し…。

 夏はアルプス!
僕はそう思っている。

 冬山の魅力のひとつは
その“自由”さだろう。
夏は歩けないいたるところがルートになる。
雪の上に自分だけのトレースを付け、
「自分だけの道」を振り返るとき、かすかな喜びを感じる。
スノーシューやテレマークスキーなど、
楽しみ方もたくさん用意できる。

 季節が変わり、雪が消え、登山道が姿を現す。
すると僕らは自由を奪われる。
登山道以外を歩くことは基本的には許されない。
それは山が僕らに課すルール。
保守的な田舎で育った僕は校則(拘束)、ルール…
そういったしがらみに馴染んでいる。
いや、むしろそれらが好きである♪
ちょっとマゾ的に…。

 冬山は危険で夏山は安全なんて誰が決めた?!
もちろん冬には夏に無い危険がいっぱいあるが、
夏にだって厳しさはあるんだい!
毎度述べているように、“非日常”を山に求める僕は
この季節、自分に厳しいルールを課して夏山をマゾ的に楽しむ♪
だから僕の夏の山行は『アルプステント泊縦走』が基本なのだ!!
テントやらシュラフやら食料やらを大きなザックに詰め込んで、
重い荷物と急登に喘ぎ、危険な岩場に身をよじり、
「コース標準タイム」の7割以下の時間で歩き(走り)、
3,000mの頂を目指す。

それが僕の夏山の楽しみ方。


 「後立山連峰」
なんて素敵な名前だろう。
「立山の後ろ」にあり、
それはつまり「立山が主役」であることを意味する。
しかし、四国は愛媛県新居浜市出身の僕にとって
山とは“後ろ”にあるものである。
我が実家は、北は眼前に広がる瀬戸内海、
南は石鎚山を中心とした超巨大な四国山脈を抱える。
海が母だとすれば、山はどっしりと広く後ろに構える父である。
つまり「立山」にとっての“父”は「後立山」である。
また、信州の人にとってはまさに後ろに構える父は「後立山」だ。
立山の室堂にヒールの高い靴を履いた観光客や
山をやらないラブラブカップルが集う一方、
後立山には山ヤしか入れないといったところも
黙して多くを語らない父のような偉大さを感じさせる。
こりゃあこの夏の“マゾ的”山行にはうってつけの山だぜぃ!!

 今回は二泊三日のテント泊
唐松岳から五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳を経て
扇沢へ下りるというプランだ。


 8月7日、新宿から白馬八方行きの高速バスに乗り込んだ。
新宿のバスターミナルには富士山五合目行きのバスも数台停車しており、
どの車両もほぼ満席状態。
一方こちらは乗車率60%くらいでゆったりだ。
しかし雲行きは怪しく、中央道からの八ヶ岳も南アルプスも
ほとんど見えなかった。

 12:30過ぎ、終点の白馬八方に着いた。
長野五輪では原田の大ジャンプに沸いたジャンプ台が見える。
バスターミナルでトイレに行き、身支度を整える。
ここから約10分で「八方アルペンライン」の八方駅に到着。
ここから4人乗りのゴンドラと大型リフト二台の
計3つの乗り物に乗り継いで標高約1,820mの第一ケルンまで上がる。
ここまでは楽しい楽しい♪
いくらマゾ的山行が好きとはいえ、
楽に高度が稼げるのは嬉しい。
楽して上がってきて登山開始は14時前頃だった。

 約30分歩くと八方池に着いた。
観光客はほとんどここまでしか来ない。
ぐっと人が減り、歩く“喜び”が増す。
あとは唐松岳まで徐々に高度を上げていくのみだ。

雪を求めて(12)~最終章

2006年08月12日 | 山【mountain&climbing】
*吸い込まれそうな北穂沢。この写真を撮った直後表層雪崩に巻き込まれた。

 後立山連峰縦走から帰ってきたが、
なんとまだ5月の“雪山”編を書き終えていなかった。
早く書こう。


 翌5月10日、やや雲は多いが日差しは強い。快晴!
朝も北穂の山頂から数枚写真を撮り、
8時前にのんびりと下山を開始した。
すっかり真昼のような日差しだが、
まだ朝なので昨日登ったときより雪は硬く歩きやすい。
登る際苦労した分、下りは楽をしてやろう。
よっしゃ、シリセードぢゃー!!
20~30m滑っては止まり、滑っては止まるの繰り返し。
時々スピードがつき過ぎたので、
滑落停止姿勢で止まるという練習もできた。

 “滑り”始めて10分も経っていない頃、
「サラサラサラ…」という昨日聞いた音が背後から。


んん?!どっひゃー、表層雪崩だがやぁーっ!!

 対応する間もなく、一気に呑まれてしまった。
どうする、雪崩★マン?!
このまま雪のモンスターに食べられてしまうのか?

あれっ?ちょっと楽しいじゃん

 表層雪崩は小規模で、それに“乗って”シリセードできるほどだった。
もちろん注意を要することには間違いないが
僕の身体を“持って行く”ほどの威力は無く、
雪崩に抗して立つことも可能なほどだった。
涸沢まで登りは3時間半かかったが、
下りはなんと45分で着いてしまった!

 この時間的なアドバンテージを活かして
昼前には上高地へ戻り、
「上高地温泉ホテル」で長湯してしまった♪


 「山に登る」という行為自体の非日常性に惹かれるから
“僕ら”は山に登る。
下界では日差しの強さが増し、街には半袖姿の人々が目立つ時期、
10mを超す積雪の山へ行くという行為は
日本で僕たちが手軽に味わえる究極の非日常であろう。
その意味で僕はこの三日間興奮しっ放しだった!

 夕方、日に焼けた腕や顔にほてりやら痛みやらを感じながら
職場への土産を買うために僕は松本駅の土産物売り場にいた。
これから「あずさ」に乗り東京へ向かう。
数時間後にはもう自宅に着いているはずだ。
そして明日は仕事。
そう!非日常を感じるための日常が始まるのだ。
ほんのちょっとブルーな気分になった。

 僕は再び土産物に目を転じ、職場の人たち一人一人の顔を思い浮かべた。
うーん、やっぱ和菓子がいいかな……。

格闘技について…えっ?亀田興毅!?

2006年08月05日 | スポーツ【sports】
 先日仕事から帰宅後テレビをつけたら
「K-1」が開催されていた。
もちろん放映されることは知っていたけど…。

 格闘技に関して『セミ・プロ』の僕が
K-1を“斬る”ことには意味がある


 K-1の創成期にはよく見ていた。
会場に足を運んだこともある。
1993年の第一回の大会では優勝候補の大本命、
モーリス・スミスがKO負けし、
無名のブランコ・シカティックが全試合KO勝ちで優勝!
日本からはファンの期待を背負って、
空手界のエース、佐竹雅明が出場したが敗れる。
それにしても当時から出場している
ピーター・アーツやアーネスト・ホーストがいまだに活躍しているのには
本当に頭が下がる。

 当時のK-1には「ハラハラ、ドキドキ感」があった。
一般の人(*僕は一般の人ではない)には馴染みの無い
キックボクシング系の格闘技は派手でセンセーショナルだった。
打撃系で馴染みのあるものはボクシングで、
フルコンタクト空手は一部の格闘技愛好者や競技者の間だけのものだった。
もちろん「極真空手」もそうだったし、
「正道会館」なんて一般の人は誰も知らなかった。
キックボクシングも沢村忠に熱狂した年配者には馴染みがあったが、
若い世代にはまだまだ一般的ではなかった。
とにかくあの頃のK-1は一流の娯楽だったし、
エンターテインメントとして通用した。

 ただし、お粗末な点も多かった。
アナウンサーは技の名前を知らず
間違った技の名前を連呼するので
僕はテレビ局へ抗議の電話をしたこともある。
創成期から解説を努める谷川貞治氏も打撃系、
特に蹴り技に関しては僕よりはるかに知識は浅く、
テレビを見ながら彼の解説ぶりに僕は閉口していた。

 それでも選手たちのレベルは高く、
また、マッチメークもよかった。
全ての試合が真剣で、メインイベントを張る
価値、レベル、内容だった。

 しかし、僕は年々その内容に疑問を感じ始めた
きっかけはボブ・サップの登場だ!!

 彼らは他の分野のアスリートとしては優れていた。
曙に関してはあの相撲、伝統と格式のある相撲、
あれだけ大勢の力士がいて、厳しい環境の中で
横綱という頂点を極めた数少ない力士の一人なので
大いに期待していたし、きっとK-1でも勝ってくれるだろうと
信じていた。
ところが…。

 ボブ・サップは惚れ惚れするような体格とパワーで勝ち、
一気に頂点まで登りつめるような勢いがあった。
曙とは逆で、彼は格闘技経験者ではないので(アメフト出身)、
僕は期待していなかったし、
K-1はそんな“素人”が勝てるようなレベルのところではないと
思っていた。
また、格闘技界の一人としてそういう結果を望んでいた。
しかし彼は勝った。しかも派手に勝った。
ところがその後はアーネスト・ホースト戦のように
彼の桁外れのパワーを発揮することなく、
歴戦の兵のK-1戦士たちのテクニックの前に惨敗を繰り返している。

 彼らにチャンスをむやみに与えすぎたところから
K-1の凋落は始まっていると思う。
特に曙はあれだけ負けまくっているのに次々にビッグカードが組まれる。
まあ、“かませ犬”的な存在になっていることも否めないが、
曙がK-1で戦えるレベルに無いことはもう明らかになっているのに
これ以上あのリングに上げ続けることは
K-1の権威や人気、存亡までも危うくする。

 そこへもってきて先日のボビー・オロゴンだよ!!
“タレント”がテレビではセミ・ファイナルの試合をやっている。
こんなことやっていていいの?!


 さて、そうこう書いているうちに
亀田興毅の試合が行なわれたのだよ。
まあ、結果についてはマスコミが論争をあおっているので
僕の意見は陳腐になってしまうだろうから詳しくは述べない。
もちろん結果は納得し難い

 この結果から僕はあの相撲の
北尾(双羽黒)の横綱昇進問題を思い出すのだ。
世間の横綱待望論に圧される形で
『一度も優勝したことの無い』北尾を横綱に昇進させた。
北尾は体格や身体能力で当時の力士に無い優れたものを持っており、
横綱になれる素質はあった。
ただし、素行が悪かった

 その後、暴行事件を起こし、部屋を飛び出し、
そのまま“廃業”してしまった。

 廃業(引退)後は総合格闘技をちょこちょこやっていたが
今は何をしているのだろう…??

 亀田の勝ちは非常に政治的である。
TBSは年末に亀田の初防衛戦の特番を組んでおり、
どうしても勝たせたかった。
彼のようなカリスマ性のあるボクサーは近年いない。
だからゆえどんなメディアも媒体も彼を利用したい。

 昨日
『平均視聴率42.2%』
とデカデカと書かれた看板の前でポーズをとり
会見に応じる亀田の姿があった。
彼は反省のないテレビ局に利用されたかわいそうな若者かもしれない。


 ボクシング界自体もちょっとオカシイ。
今の採点方法では、必ず
「各ラウンド毎の採点には優劣をつけなければならない」
らしい。
つまり、五分五分かなと思われる内容のラウンドでも
「10対9」という具合に1点以上の差をつけなければならないのだ。
もちろんその基準はあるだろうが、
この決まりごと自体がナンセンスではないか?!

どうしても優劣がつけられないときはどうするのか?
つけ続けた結果、“全体を通して”見て、
明らかに劣っているように見られる側が勝つことはあるのだ。
それが亀田の結果。
それはスポーツなのか?!
ファンは喜ぶのか?!
ジャイアンツ(巨人)が金にモノをいわせて
強引なトレードを成立させた結果、
プロ野球人気が落ちたことをボクシング関係者は
全く知らないのか?

 まだまだ語り足りないが、
ブログとして書いていては
文章にまとまりが無いので
そろそろ筆を置く。

 最後に亀田の実力について。
疑問を感じる点は多いが、
ゴルフの横峯親子、卓球の愛ちゃん親子などの
親子の絆や“愛情溢れる”スパルタは
新鮮だし、もっと評価されてよいと思う。
また結果を出しているので
社会全体がこれらを評価しようではないか。
その意味で、亀田親子の今後に期待するのである。

後立山連峰へ!

2006年08月03日 | 山【mountain&climbing】
 またまた唐突に山へ行きます!

 今回は7日から二泊三日で後立山連峰の縦走。
主な山は
唐松岳、五竜岳(百名山)、鹿島槍ヶ岳(百名山)、爺ヶ岳
である。
3,000m級の高峰のダイナミックな稜線歩きだ。

 途中、「八峰キレット」という日本有数の難所があり、
ワクワクしますなぁ

 3年前に制覇したの槍・穂高連峰の「大キレット」、
その前年の剱岳の「カニのタテバイ・ヨコバイ」
に比べると難易度は1ランク下なので
気は楽だが、とにかく気合を入れて望む!

 今回はテント泊の予定なので、荷物が重くなるので
難所の通過は余計に苦労するだろう。