※参考記録

日本百名山山頂宙返りを敢行中の【雪崩★マン】が綴る社会学的山岳エッセイ!

大雪山系大縦走!(2)~黒岳へ

2006年09月30日 | 山【mountain&climbing】
*紅葉の進み具合は10%といったところか(9/11時点で)


 標高がまだ低いせいか
歩き始めると北海道とはいえ暑い!
あっという間に汗だくになった。
今日の夜から5日目の朝までの食料の入ったザックが
ずっしりと身体に食い込む(+_+)
それでも途中時計を見たら
コース標準タイム(*昭文社「山と高原地図:大雪山」参考)
の70%の時間で進んでいる。


 順調に進み15時には黒岳を制覇。
15時半に今日の宿泊地、黒岳石室に着いた。
石室とはいえ管理人の駐在する立派な避難小屋。
僕は小屋の前でテント泊だ。
この小屋には用を足したあと“自転車を漕ぐ”
バイオトイレがある!!!

翌朝まで都合二回自転車を漕げ、楽しかった♪

大雪山系大縦走!(1)~プロローグ

2006年09月28日 | 山【mountain&climbing】
*登り始めてすぐにシマリスくん登場!


 僕の身体には道産子の血が流れている

 僕の祖母(母方)は北海道旭川の出身だ。
僕と僕の両親、そして父方の祖父母、母方の祖父は
みな僕の田舎愛媛県新居浜市の出身だが、
その祖母だけが北海道。
というのも戦争中住んでいた満州(中国)大連で
祖父と知り合い結婚。僕の母もそこで生まれた。
直後に終戦。そして祖父の田舎である愛媛県新居浜へ帰国し、
そのままもう何十年も住んでいる。

 僕は素朴で可愛らしいばあちゃんが大好きだ。
現在90歳で元気だが、
残念ながら重度の認知症でもう僕のことはわからない。


 北海道の地はずっと訪れようと
憧れ続けていたが叶わず、
昨年はじめて訪れた。
もちろん“山のため”に。
旭岳からトムラウシ山への縦走を企てたが
悪天候のため白雲岳避難小屋で停滞し、
トムラウシ山を制覇できずに下山した。
 そこで今回は
昨年登った北海道最高峰の旭岳は登らず、
反対側の層雲峡から入り、黒岳をまず制覇しテント泊。
翌日高根ヶ原を通り、ヒサゴ沼で泊まり、
三日目に百名山のトムラウシ山を制覇。
十勝岳への縦走路へ入り双子池でテント泊。
四日目はオプタテシケ山を経由して
百名山の十勝岳を制覇して吹上温泉へ下山という
総延長50km超のロングトレイルだ!!

 昨年はじめて北海道の地を踏んだときも感じたが、
何だか知らない土地にきた気がしなかった
昔から知っているような、
いや知らないのだが何だか居心地のよい雰囲気、
そういうものを感じた。
山が好きだからではない。
何度も訪れている上高地に着くと
気分はよいが、やはりそこは非日常の場所であり
ある種の高揚を感じる。
しかし、旭川に降り立つと
何だかのんびりした気持ちになる
のだ。
今回は下山後の五日目、
それを象徴する出来事が起こった。
ただ、東京では感じられない涼しさは
いつも感じるのだが。

 今回も市街へ向かうバスに乗ると
僕はすぐに眠ってしまった。



 9月11日、
東京は前夜から雷を伴う激しい雨が降り始めていた
朝4時、3時頃就寝したのでほとんど寝ていないが
それはいつものことだ。
5時、家を出る。
すっかり日は短くなり、まだ暗い。しかも激しい雨。
すでに最寄りの駅に着いたときはびっしょりだ。
羽田を7:35発旭川行きのエア・ドゥ031便で発った。
雨の東京を離れ、雲を劈き、
僕は北海道への帰路についた。
のんびりした気持ちになれる土地へ行くとはいえ
機上ではこれから迎える楽しみを前に興奮している。
仙台上空を過ぎた辺りから雲が晴れ、
青森辺りからは北海道の地形が
地図を見ているように上空からはっきりと認識できた。
空から見ると札幌と旭川って意外と離れていないのね~

 旭川空港からは“いつもの”バスに乗り旭川駅へ。
一年ぶりの駅前を散策し、
層雲峡行きのバスの発車までの時間を潰した。
ここから層雲峡までは2時間弱とかなり遠い。
着いたのは12時半過ぎだ。

旭川空港からは“いつもの”バスに乗り旭川駅へ。
一年ぶりの駅前を散策し、
層雲峡行きのバスの発車までの時間を潰した。
ここから層雲峡までは2時間弱とかなり遠い。
着いたのは12時半過ぎだ。

 ロープウェイ乗り場のレストランできのこパスタを食べた。
山行中はフリーズドライ中心なので
向こう4日間は新鮮なものは食べられない。
心して食べた。
オニオンスライスがいっぱい入っていたのは北海道風か?
ここでも前回の「後立山縦走」と同じく
ロープウェイとリフトを乗り継いで
登り始めたのは14時だった。

夏は苦しめ!(9)~終章

2006年09月26日 | 山【mountain&climbing】
*鹿島槍を振り返る。


 今回の山行のキーワードは
「夏は苦しめ!」のはずだった。
事実、二日目の午後に吐き気を覚え、
キレット小屋のトイレに吐いた。
しかし、荷物は軽量化を心がけた結果15kgを切ったし、
二日目の宿泊を冷池山荘テント場から
キレット小屋素泊まりに切り替えたので
行程自体は楽で、おかげで三日目は快調に“飛ばし”た。

 ところが本当に苦しかった山行はこのあと待っていた。
それは先週9/11から行なった
「大雪山系大縦走」だった。
縦走距離50km超のロングトレイルで
しかもそれを4日間で“駆け抜け”た!!!
その模様は近日中にアップする。

 どうも僕は山に関しては完全なマゾで、
きつくないと、辛くないと喜びを感じないようだ。

夏は苦しめ!(8)~下界へ

2006年09月25日 | 山【mountain&climbing】
*キレットを越える雲たち。お前たちは何処へ行く…。


 難所を越えたあとは先行グループを次々に抜き、
7時前に鹿島槍ヶ岳北峰(2842m)、続いて吊り尾根を越えて
より高い鹿島槍ヶ岳南峰(2889.1m)をあっさり制覇。
それぞれの山頂では人に逢わず、
またしても山頂宙返りの写真は撮れず。
でももちろん敢行した。

 10時前には爺ヶ岳を制覇。
南峰ではついに冷池山荘に宿泊していた人たちにも追いついた。

 10時半に種池山荘を通過。
そしてハイスピードのまま、
12時半前には扇沢に下りてきた。
またも目標通りに
コース標準タイムの70%の所要時間で走破した。

 扇沢のレストランで定食を、
2時間後には大町温泉郷の「薬師の湯」に入ったが、
その前に近くの蕎麦屋で「天せいろそば」(2枚!)も
ペロリと食べてしまった。
2時間で“大盛り”の食事を二食食べた。


夏は苦しめ!(7)~早朝発

2006年09月25日 | 山【mountain&climbing】
*キレット小屋を5時半に発つ。 


 夏の香りのする文章は早く書き切ってしまおう!


 翌8月9日、快晴(のはず)!
早朝4時過ぎには目が覚め、窓の外を眺める。
剱の八ツ峰の岩たちが頬を橙色に染めた

 “いつもの”早茹でパスタを食べて、
5時半にキレット小屋を出発。


 まず朝一で最大の難所「八峰キレット」を越える!
心してキレットに突入したが、
剱の「カニのタテバイ・ヨコバイ」、
槍・穂の「大キレット」に比べると
高度感もそれほどなく、肝を冷やすようなことはなかった。
ただしガスっているとかなり気を遣うところだろう。
先行グループもいたのでゆっくりと
約30分弱で通過。
その後は順調に歩を進める。

タイってところvol.2

2006年09月24日 | 社会学【socilogy】
 タイはこの50年間ほどで
10回以上クーデターを起こしている
国だ。
前述の通り、軍と警察が異常なほど権力を握っている国。
つまり、政治家、要するに首相よりも軍のほうが強い。
その首相を軍が退陣させたことは自然だし、
言い換えれば、この国はクーデターによってしか
政治改革を行なえない
のだ。

 僕はタイのこの単純さが好きで、
ルーズでイージーな国民性が好きなのだ。
日本人の感覚からすれば
クーデターとはドラマチックでダイナミックで
まあ、“NHKスペシャル”的な内容であるものだと
思い込んでいるようだが、
タイにおけるクーデターは
そのセンセーショナルさでは
郵政民営化に反対した議員を公認しない
プロ野球球団を買収するためにコミッショナーと対決する
といった類いとあまり変わらないのだ。
 それに国民はクーデターを期待していたし、予想していたし、
首相への期待が裏切られた分、軍への期待も大きかった。
“微笑みの国”は実は軍事国家なのだ!
つまりは政治的には非常に未成熟な国で
その意味ではある種の『危険性』はあるが、
それが世間で言う「危険な国」という意味では全く無く、
むしろ諸外国の中では非常に過ごしやすくて安全な国の一つである。

 昨日の僕の日記はそういったタイの事情を
よく理解して書いたつもりで、
なおかつ研究者はともかくとして
一般人としては最上級のレベルの高い見解とユーモアを
述べたつもりである。
ま、ネットで日記を公開している以上
ある程度のアクションは期待しており歓迎だが、
どうも的外れな、レベルの低い見識とユーモアを解しない
批判があったので削除した。
今後も批判は大いに結構だが、
僕とまともに語り合えるレベルを望む。

タイってところ

2006年09月22日 | 文化・生活【culture&life】
*数年前タイを訪れた際の僕の何気ない日常生活のひとコマ


 タイでクーデターが起こり、
幸いなことに“無血革命”になりそう。
このクーデターの背景はタイにおける
根深い「政治不信」である。


 事件の標的はいうまでもなくタクシン首相
3月にも一度この関連の日記は書いたが、
彼は事実上タイ一の金持ちで、政党を買収して政治家になった。
その後は合併という名の買収を繰り返し、
ついに彼の政党は第一党になる。
その後も彼は辣腕を奮い、
自分の関連企業や家族に有利な政策を実行していく。
タイは伝統的に軍と警察が手を組んで権力を行使している国で
彼は警察出身で、奥さん家族は軍の関係者。
彼は他にもテレビ局の買収まで始め
とうとう言論統制までし始めちゃったというわけ。

 その後はご存知の通り
不正な株取引の発覚により
一気に支持率を低下させ、
ついには“身内”である軍によって失脚させられた
というのだ。

 しかしねぇ、タイってところに
クーデターは似合わないし、
それを盛り上げようという国民性もない

したがってクーデターは成功すべくして成功したし、
(喜ぶべきことだが)歴史的に有名な他のクーデターと比較して
ドラマチックではない。


 僕には二つ年下の弟がおり、
彼は仕事の関係で数年前までタイの首都バンコクに住んでいた。
今は帰国しているが、タイ語は自由に操れる。
彼を訪ねてタイに滞在したのは4年前。
そのとき以来タイは日本の次に好きな国になってしまった。
「いつかまた行きたい」という想いを抱きつつ
今日まで過ごしてきたが、
当時圧倒的支持率を誇っていたタクシン首相が
失脚するとは隔世の感がある。

 ちなみにバンコクは略称で、実は世界一長い名前の都市で
その正式名称は

クルテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・
マヒンタラーアュッタヤー・マハーデッロッカポップ・
ノッパラッタナラーチャタニーブリーロム・
ウドンラーチャニウエットマハーサターン・
マモーンピーンアワターンサティット・
サッカタットティヤウィサヌカムプラシット


日本語訳は

天使の偉大なる都、帝釈天の戦争なき平和な、
偉大な輝かしき大地、九種の宝石の如く心楽しき王の都、
多くの王宮に富み、神が化身となり(国王が)すみたまう、
帝釈天が建築の神ヴィシュカルマに
命じて造りたまった神聖なる住処


である。

生還報告

2006年09月18日 | 山【mountain&climbing】
 サクッと「生還報告」

 無事北海道山行から生還しました。
通常(*登山者の標準)、5~6日間かける行程を
4日間で走破し、自身の体力の技術の充実を革新した。
一方であまりに過酷な山行だったため
体重が2.5kg減ったことを合わせて報告する。

低反発枕

2006年09月09日 | 雑感【thoughts】
 低反発枕を買った。
今日買ったばかりなので、
今夜寝心地を試してみたい。
押した感じはなかなか「グーッ!!」である。

 高反発なドラ息子をお持ちのご両親におすすめ

やはり北海道へ

2006年09月07日 | 山【mountain&climbing】
 そういえばお知らせをしていなかったが、
今年も北海道へ行きます!!

 昨年9月、
北海道最高峰の大雪山からトムラウシ山への縦走を企てたが、
嵐により、白雲岳避難小屋で“停滞”を余儀なくされ
結局トムラウシを制覇できなかった。
したがって今年はリベンジで、
大雪山からトムラウシ山
さらには十勝岳までの長丁場の縦走を計画した。
期間は今月11日から15日まで。
初日からもう登り始め黒岳でテント泊、
14日夕方遅くに十勝岳山麓の吹上温泉に下山し
テント泊するまで、まる4日間山中で生活する。
当然食料は全て運ぶ必要があるし、
9月なので水の調達も苦労するだろう。
(*雪渓も無くなり、一年で最も山の水が少ない時期)

 もう2ヶ月以上前から計画し、
飛行機のチケットも取っていた。
あとは準備をして羽田を発つのみ。

夏は苦しめ!(6)~到着、そして…

2006年09月04日 | 山【mountain&climbing】
*G4、G5、北尾根ノ頭…?ちょっとしたアトラクション


 1時過ぎにキレット小屋に到着。
コース標準タイムよりは早いが、
予定よりはかなり遅れてしまった。
体調は戻っているが、不安があるので
冷池山荘でテント泊の予定を変更して
ここキレット小屋で素泊まりだ。


 着いて荷物を置いたら
急に喉が渇いてきた。
途中気分が悪かったので行動食を取っておらず
腹も減ってきた。
とりあえず思いっきり冷たいものが飲みたかったので
受付けで400円のペットボトルのお茶(500ml)を買い、一気飲み!

うーん、きもちいい(^0^)v

しかし、これがまずかった。

 寝床に戻り、ちょっと横になっていたら
急に気分が悪くなってきた
今度は我慢できる代物ではない。
一気に吐き気がこみ上げ、
トイレへ駆け込んだ。
そして
吐いた…

 幸い今朝食べたゴーヤラーメンは全て消化し切っていたらしく
出てきたものは先ほど飲んだ“緑色の液体”だけだった。
それにしても400円で買った高い高いお茶を
飲んですぐに“捨てて”しまった。


 その後は急速に腹が減ったので
1時間ほど横になり様子を見た後
自分のコンロでお湯を沸かし、
持参した緑茶とバームクーヘンを暖かく飲んだ。


 激動の一日が終わろうとしている。
剱の向こうに夕陽が沈む。
静かに僕はカメラを構えた。

 体調は戻っている。
そう確信していた。
先ほどお茶とお菓子を食べたばかりなのに
また腹が減ってきた。
小屋ではまもなく夕食だ。
しかし素泊まりの僕は
自炊室で独り、ディナーの準備を始めた。

夏は苦しめ!(5)~突然の不調

2006年09月03日 | 山【mountain&climbing】
*五竜岳から剱岳・立山連峰を望む


 Uさん、Tさんと別れ、歩き始めて5分ほど経ってから
“プロジェクト”(*日本百名山山頂宙返り)遂行を
忘れていたことに気づき
慌てて五竜岳山頂へ戻ったが、誰もいない。
唐松方面からやってくる登山者が見えたが、
ここに到着するまでには10分以上はかかりそう。
仕方なく、独りで遂行した。


 五竜をあとにしてしばらく歩いた辺りから
体調の異変を感じ始めた。
どうも胃がムカムカする
体調が優れないことなど数年に一度あるか否かだし、
風邪なんて5年くらいひいていない僕だが
ちょっと吐きそうな感覚も覚えてきた。
それでもまだ登山者に出会えば
笑顔で挨拶を交わし、談笑するくらいの余裕はあったが
徐々に快調な歩調はなりを潜め、
11時頃には吐くのを堪えながら歩く状態に。

 そして北尾根ノ頭辺りでついに耐えられなくなり
岩稜帯のなかだったが、広めの登山道脇で
座り込んでしまった。
ちょっと体調が戻るまで横になろうと
30分ほど寝転ぶ。
ちょっとウトウトしながら気づいたら40分ほど経っていた。
まあ、寒さで「動かなければ!」と思ったのだが…。
その間僕の横を一人の登山者も通らなかった。

 再び歩き始めたときはまた活力が蘇り、
歩調も元通りになった。

青春の味

2006年09月02日 | 雑感【thoughts】
 埼玉県吉川市の名物は

「なまず」

だそうだ。

「なまずパイ」という銘菓もあるそうで…。

 「なまずパイ」ってなま酸っぱい…??
嗚呼、青春の味