※参考記録

日本百名山山頂宙返りを敢行中の【雪崩★マン】が綴る社会学的山岳エッセイ!

オレも履修漏れだった?!

2006年10月31日 | 教育【education】
 参考までに…
僕も高校時代は全く「世界史」の授業は受けていない
しかし、僕が高校生の頃(1986~1988年)は
学習指導要綱が現行の前だったので、
「世界史」が必修だったか否かはわからない
ちなみに「世界史A」、「世界史B」なんて分かれていなかった時代。


 もうひとつ参考までに…
僕の高校は当時、「日本史」が必修で
「世界史」と「地理」を選択していた。
僕は特異だった迷わず「地理」を選択した
なお浪人時代の代ゼミの全国模試で
僕は「地理」において『99点で全国2位』
の成績をとったことがある

下山報告

2006年10月27日 | 山【mountain&climbing】
 『妙高山・火打山』から無事下山しました。
以上!!

 やはり、新宿BT→長野駅→妙高高原駅→赤倉温泉
という交通機関の利用は時間がかかる。
とはいえ、安く早く行くにはこれしかない。
上記は、高速バス、JR信越線、路線バス、と乗り継いだ。
その往復。
今回も避難小屋とテントで泊まったので安くあがった

妙高・火打山へ

2006年10月25日 | 山【mountain&climbing】
 唐突にまた
山へ行きます

 今回のターゲットは新潟の誇る名峰
「妙高山・火打山」
の百名山をダブルで制覇する予定。

 出発は25日の早朝から。
新宿を高速バスで出発し長野駅まで。
JR信越線で長野駅から妙高高原駅まで行き、
路線バスで登山口までというアクセス。
25日は中腹の避難小屋まで行き泊まる予定。
二日目に一気に二つを制して、高谷池ヒュッテ前でテント泊。
三日目はもう下山するだけ。
温泉でも入ってから帰京する。

 先ほどまで準備をしていたが、
これから寝ると起きられない気がするので、
もう寝るのはやめて徹夜で出発することにする。
どうせバスで多少寝られるのだから。

 ただ今の時刻は25日の午前3:10頃。
では行って参ります


大雪山系大縦走!(13)~強風と岩場のトムラウシへ向けて

2006年10月23日 | 山【mountain&climbing】
*トムラウシ手前の北沼


 北沼の手前で5時過ぎにヒサゴ沼避難小屋を出発して
トムラウシを目指していた人が下りてきた。

「風が強いですけど、気持ちいいですよ(=^△^=)!!」

たしかに北沼辺りは周りに木々がほとんどないので
メチャメチャ風が強い。
9月早朝の北海道の山は寒い

 北沼を過ぎるとトムラウシはもうすぐ。
急登が始まり、岩場を攀じるように登る。
そして9時前、今回のロングトレイル最初の百名山、
トムラウシ山(2141m)の頂上に立った\(^Д^)♪♭/


大雪山系大縦走!(12)~三日目スタート

2006年10月20日 | 山【mountain&climbing】
*トムラウシの周辺に広がる「日本庭園」


 9月13日、朝5時過ぎに目覚める。快晴。
すでに一人出発していた。
他の人も皆起きて出発の準備をしたり朝食を取ったり…。
僕が最後にモソモソとシュラフから出てきて
冷えた屋外へ出た。
今日も天気がよい。
そしてまた長い長い一日が始まった。


 5時半頃から“先客”方は次々と出発していった。
そして6時半、最後に僕が出発した

 ヒサゴ沼からはまず巨大な雪渓をトラバースしたが
早速迷ってしまう
雪渓の端っこを直登すればよかったのだが、
僕は完全に横切ってしまったので
道を見失い、雪渓上で10分ほどウロウロした。
ようやく雪渓を抜けて前方を見たら
先行していた奈良の青年が分岐にいた。
彼は天人峡へ下りるという。
手を振り合って別れる。

 ここから先、トムラウシ山までは
『日本庭園』と呼ばれる巨岩や沼が点在する
美しい“庭”内を歩く。
上の写真をご覧いただきたいが、
このような光景が次々と現れ、
僕の目を釘付けにし、僕の足を止めた。
写真は「盆栽」を植えた箱庭のような光景だが、
小さな池を配した庭園風の光景もあり、
もっともっと写真で紹介したい!!

この庭の中で、僕より30分ほど早く出発し、
トムラウシを目指していた先行者を抜く。
ナキウサギの鳴き声に後押しされるように軽快に歩いた。


P.S.
 先日来山での事故が相次いでいる。
この大雪山系でも遭難者が出て、死亡した
僕の山行は以前述べたように
『コース標準タイムの70%の時間』内で歩く(というか走破する?)
ことを旨としているが、
はたしてその山行は“よい”山行か?、無理のない山行か?
消費者金融のCMではないが、無理のない計画的なプランニングが
快適で事故のない有意義な山行を生むのである。
遭難して亡くなった方は気の毒な限りだが、
どうも無理な山行が多いようである。
自戒の念もこめて…。
 ちなみに今の時期はもうこの山系は雪に覆われており、
冬山へ変貌しつつある。

大雪山系大縦走!(11)~ヒサゴ沼避難小屋にて

2006年10月18日 | 山【mountain&climbing】
*ヒサゴ沼避難小屋。なかなか立派♪


 朝、例の女性に会って以来、一人の登山者にも会っていなかったが
意外にも小屋には6人の先客
(二人はカップルで、他は皆単独男性)がいた。
居ても1~2名だろうと思っていたので面食らった。
誰もいなければそのままバタンと寝転がりたかったが
人が居たので、疲れを隠して談笑しながら荷物を降ろした。

 今日は長かった。
でも明日も長い…。


 暫し談笑した後、水の確保をすることにした。
ヒサゴ沼自体は多くの水を湛えているが、
来るときにちょっと湖面を覘いたらかなりゴミが浮いていて、
積極的に飲みたいとは到底思えない水だった。
先客方に聞いてみると

「トムラウシ側からの道に大きな雪渓があり、
 バシャバシャ水が出ていますよ。美味かった(=^ Д ^=)」


という人がいた。

 ヒサゴ沼はトムラウシ山側からと旭岳(化雲岳)側からとではアクセスが異なる。
僕は南下してきたので化雲岳側からやってきた。
だからその雪渓には気づかなかったのだ。
早速その雪渓に行ってみた。
ヒサゴ沼から10分ほど歩くが、なるほどそこには
素晴らしいまでの巨大な雪渓があり、
彼が言うとおり、本当にバシャバシャ音をたてて
キンキンに冷えた無色透明の雪渓の水が道の脇に流れていた。
9月にこんなに大きな雪渓があるとはさすが北海道だ!!
明日は水場を発見できないことが予想されたので
「プラティパス2」二個いっぱいに汲んだ(約4.5リットル)。

 小屋に戻り、早速飲んでみた。

「う、う、うんんーーーーんっまいっっ(=^o^=)!!」

思わずそう唸ってしまった。
エキノコックスなんのその!!メチャメチャ美味い!!
隣りに寝床を構えた奈良からきた男性は

「僕は恐いので煮沸しないと…」

と言いながら僕の“暴挙”を笑いながら眺めていた。


 この山域は、日本アルプスなどと異なる山行形態を取らざるを得ない。
違いは営業小屋が在るか否か
この山域(に限らず北海道は基本的に)には食事付きの営業小屋は無い。
したがって山行形態は
「避難小屋泊」か「テント泊」に限られる
寝具、食料などを背負って登る必要がある。
そのせいか60歳以上くらいの年配者にはほとんど会わない
日帰り山行の可能な旭岳周辺と十勝岳(*近日アップ予定)には
小型ザックの年配の夫婦や団体などがいるが。

 この日のヒサゴ沼避難小屋の宿泊者も比較的若い人ばかりで
40歳弱くらいかと思われる男性がいたが、
次は35歳の僕かな、って感じ。

 行き先はトムラウシ山、天人峡やトムラウシ温泉(下山)。
登ってきたところもトムラウシ温泉から、旭岳からと
様々だった。

 食事をしながら奈良の男性と話した。
彼は弊社田原本店もよくご利用いただいているお客様だった。

「何処から登ったんですか?」
「層雲峡からです。昨日は黒岳でテント泊し、
 そこから今日はここまで。」
「何処まで行くんですか?」
「十勝岳まで登り、吹上温泉へ下山します。
 明日は双子池辺りまで行ってテント泊で…。」
「ええっ!!すごい!!
 本当に十勝まで縦走する人いるんだァ!!」


そう言われると、自分のやっていることが誇らしくて嬉しい


 現在刊行されている某雑誌にこの山域の特集が掲載されているものがある。
いくつか著書もある有名なトレッカーが仲間数名と行なった
旭岳からトムラウシ山までの山行が特集記事になっていたが、
それを『ロングトレイル』と称していた。
確かにロングトレイルかもしれないが、
僕はその倍の距離を、
しかも4日間(*初日は3時間しか行動できていないので正味はもっと短時間だ!!)
で走破しようとしている。
ゆえに僕の山行が本当の“ロング”だ!!

 そういう自負もあり、余計に嬉しかった。

 山の夜は早い。
皆7時前には床につき始め、寝息や鼾が聞こえ始めた。
僕はイヤホンをセットしたラジオを聴きながら
8時前に最後に就寝した。

大雪山系大縦走!(10)~記憶を辿るロングトレイル

2006年10月17日 | 山【mountain&climbing】
*忠別沼と忠別岳。この山域を象徴する形の山だ。


 忠別岳を過ぎたら急登が現れ、
僕のエンジンとタイヤは即反応した
やはりアルプスばかり登っていると
急登へのレスポンスはよい。
“唸り”を上げながら五色岳を制覇。

 五色岳を過ぎるとまたなだらかな道に変わった。
運転をクルージングモードに切り替えて
優雅に進もう…。
と思ったらいきなりの悪路
ハイマツが膝下、ときには顔の高さまで
左右から迫ってきて覆い、道は完全に見えない
昨年歩いてわかっていたことなのだが、
これにはイライラした
仕方がない。面倒だがスパッツを着用した。
一方では木道が敷かれたところもあり
本当にクルージングしているように楽に歩けるところもあるのだが。

 14時を過ぎると徐々に疲れも感じ始めた。
今日の行程も終わりに近づきつつある。
化雲岳を過ぎるとここは一年前には通っていない道
昨年は天人峡温泉へ下りたのだ。
“はじめての”道に興奮しながら
16時、今日の宿泊地、ヒサゴ沼避難小屋に着いた。
コース標準タイムの70%の時間で“走破”できれば
15時過ぎには到着予定だったが、
雪崩★マン的には後半失速してしまったことがショックだった。

会社に期待すること

2006年10月16日 | 雑感【thoughts】
…というか、『会社に期待してもしょーがない!』
ということを学んできた。

 「企業の景気」はバブル時代の1.5倍だという
しかし僕にはその実感はない。実感のない人は多いと思う。
バブル時代は僕が高校を卒業した頃から始まり、
浪人時代、そして大学二年生の頃まで。
そしてバブル崩壊。

 僕の就職活動は“氷河期”と言われた頃。
就職したいところへ出来ない、というレベルではなく
「就職できる会社が無い」時代。
あまりに就職できないため、
大学院へ進学する人が増えた時代でもある。
僕はマスコミ志望で、就職が厳しい時代に
最も厳しい業界を目指した。
就職浪人までして何とか小さな医学書の出版社へ
編集者として入社した初日に、
「こんなひどい会社は他にない」という確信を抱いた。
それは大きな誤解であることがわかったのは
その会社を辞めて数年経ってからだが、
それでも「よい会社」ではなかったと思うが。
その後『探偵』を経て、数度の転職の末
いまの仕事(会社)に就いている。


 今月、会社の交通費の規定が変わり、
僕は著しく「損をする」ことになった。
今の職場は東京都の西の端、西多摩郡瑞穂町
(青梅市の近く)にあり、僕の居住地は練馬区だ。
3月に池袋の職場から転勤になり異動したが、
職場は街道沿いで駅から遠く、僕は所有している
400ccバイクでの通勤を余儀なくされている。
交通費は「6ヶ月」に一度6か月分を支給され、
それは距離に応じて算出されるが、
僕は「12万円」から「4万円」へ引き下げられた。
「原油価格の高騰など」を理由に見直されたらしい。

 おいおい!!原油価格の高騰(ガソリン価格の高騰)
が理由ならなんで引き下げられるんだ(`△´)メ!!!!!


 しかももっともらしく
「排気量別にランダムに30車種を選び」
燃費を計算したうえでの結果らしい。
それによると僕の乗る400ccバイクの燃費は
平均『28.9km/リッター』
らしい。
400ccで30kmも走るバイクがあるかよ
そんな夢のようなマシンを基準にされたのなら
たまったものではない。
当然のように僕の支給額ではガソリン代すらまかなえない!!
僕の試算では、僕のバイクと通勤距離(片道27.5km)で、
6ヶ月間のガソリン代は「5万7千円」である。


 会社が従業員へ高い給料を払うこと、
それが従業員の期待に会社が応えていることではない!!
「希望ややる気をもって働ける」ような
ソフトを従業員へ提供することがよい会社であり、
それを僕は会社に期待している。
元々給料の安い会社だが、それに加えて
このような従業員への“改悪”を行なうようでは
とても僕は会社へ希望は持てないし、
仕事へのやる気は出ないね

大雪山系大縦走!(9)~昨年は苦行

2006年10月15日 | 山【mountain&climbing】
*高根ヶ原から白雲岳(右)と
北海道最高峰、旭岳(左端)を振り返る



 昨年の同時期にここを訪れた旨は前述したが、
そのときは“スーパー悪天候”で、
白雲岳避難小屋に泊まった夜は激しい風雨で小屋が揺れた。
翌朝、雨は多少弱まったが、風は相変わらず猛烈で
宿泊していた10名ほどの登山者は僕を含めて
皆「停滞」を決め込んだ。
7時過ぎ、5人組の大学W.V.部の連中が出発したが
2時間後には戻ってきた

あまりに風が強く、前に歩けず危険だという。
僕は外に出て様子を伺った。
その結果、僕の決断は
「GO!」
だった。

 彼ら(W.V.部)はそのとき
「トムラウシ山へは二日後」に登る予定だというくらい
のんびりしており(*女の子もいるからね)、
そのため荷物も大きかった。
僕は単独テント泊で、食料はフリーズドライ中心。
荷物の総重量も15kgを切っていた。

 11時前、僕は他の登山者の見送りを受け独り出発した。
確かに風は強く進行には難儀した。
しかしここは常に風の強いところで、
ハイマツはみな左に45度傾いて
(右から左へ、つまり西から東への風が強い)
生えていた。
僕は右に身体を傾けながら進んだ。
ヒサゴ沼避難小屋までの予定を短縮し、
忠別岳避難小屋に無事到着し、
そこで夕方親子のヒグマの来訪を受け、
(*もちろん小屋にやってきたわけではなく、
小屋の前の雪渓に現れ、おかげで僕は水を汲みに行けなかった)
肝を冷やしたが、なかなか面白い山行だった。


 そういう一年前の記憶を蘇らせながら歩いた。


 緩やかなアップダウンを繰り返しながら
時々“トムラウシ氏”は姿をチラチラ見せる
そのたびに氏の姿は大きくなる。
そのことに少しの興奮を覚えながらも
あまりに長大な今日の行程にうんざりもしていた。


 エゾシカかキタキツネかわからないが
獣の糞がいたるところにあった。
なかにはまだ軟らかい感じのものもあり、
ヒグマのものでないことを祈りつつ
目を上げれば昨年は見られることのなかった
緑地に赤や黄色の染みを作った広大な“絨毯”が
飛び込んできて、僕の不安を払拭した


オレ流の勝利

2006年10月10日 | スポーツ【sports】
 “僕の”中日ドラゴンズがセ・リーグを制覇した!!

 落合監督が号泣している映像を見て、
僕も泣いた。

 僕は以前から彼を『世界最高の監督』の一人であると
吹聴してきた。
現役時代から人と異なる考え、言動、行動、練習etc.
を行なってきたので、
いつしかメディアは彼のやり方を【オレ流】と呼ぶようになった。
しかし、彼は人一倍小心者で、人よりはるかに色々なことに気づき、
人よりたくさん考えてきた
だけに過ぎない。
誰もそのレベルについていっていないだけ。
メジャーリーガーのイチロー選手も同じである。
それゆえ彼(イチロー選手)をして
「唯一野球で同レベルの考えで話せる人」
として落合博満を称するのである。


 今日の試合後のインタビューで号泣しながら
彼は阪神の追い上げを「恐かった」と言った。
この3年間は「苦しかった」と言った。
彼は人一倍正直者だった。

大雪山系大縦走!(8)~二日目核心部へ

2006年10月10日 | 山【mountain&climbing】
*白雲岳避難小屋と高根ヶ原、そしてトムラウシ山を望む


 今日は先がまだ長い。
気合を入れ直し、小屋に向かって小さく

「ありがとうございます」

と呟き、ザックを担いだ。

 数時間前に北海岳から眺めたトムラウシ山が
ほんのちょっと近づいていた。
これから雲上の大平原
高根ヶ原へ突入するのだ

 白雲岳避難小屋を過ぎると
あとはトムラウシ山までは大雪山系ならではの
ダイナミックで優雅で長大な縦走路が待っている!!
標高1800mクラスで、これほど起伏が少なく長い縦走路は
日本には他にないのではないか。
その中心が高根ヶ原。
白雲岳避難小屋辺りから忠別岳までの
構造土の見られる高原地帯である。
あまりに気分がいいのでペースも上がる。
昨年も歩いた道だが、そのときはこんなに気分のよいものではなかった

大雪山系大縦走!(7)~ナキウサギの楽園

2006年10月09日 | 山【mountain&climbing】
*この岩の間々にナキウサギたちがいる


 白雲岳周辺には広大な“ロックガーデン”がある。
そこはナキウサギの楽園になっている。
昨年もじっくり歩いており、
ナキウサギの鳴き声が響いていた。
ナキウサギは非常に警戒心が強く、
声はすれども姿は見えない。
昨年は岩の上にチラッと姿を見せてくれたが
今回はここでは見られなかった。
「チキッ、チキッ」
という甲高い鳴き声はいつまでも僕を追いかけた。

大雪山系大縦走!(6)~シマリスダンス

2006年10月04日 | 山【mountain&climbing】
*シマリスくんジャァーーーンプ!!白雲岳避難小屋で。


 僕は気分よく進み、
9時に白雲岳避難小屋へ到着。
管理人に水場のことを再度詳しく聞こうと思ったが、

「現在パトロール中です」

という紙が受付けに貼られており
小屋は無人だった。
天気がよいので、軽めの行動食を摂り暫しの休憩を取った。
僕が腰を下ろすや否や
エゾシマリスがチョロチョロと走ってきて、
僕の目の前で“ダンス”してくれた

大雪山系大縦走!(5)~一年ぶりの再会

2006年10月03日 | 山【mountain&climbing】
*白い絵の具で絵を描いた。自然は偉大な画家である。
(北海岳への登りで)



 単独で女性なので、きっとかなりの山好きで
この山域に詳しい人だろうと思い、声をかけた。
というのも僕は明日(三日目)双子池辺りで
テントを張る予定だが、
ヒサゴ沼より先の水場について情報をほとんど持ち合わせておらず
今朝までテントを張っていた黒岳石室の管理人もそれについては
「僕はよくわからないから白雲岳避難小屋で聞いてごらん」
と言っていた。
とにかく情報が少なく、欲していたので
すれ違う人には片っ端から聞いていこうと思っていたのだ。

「すみません、ヒサゴ沼から先の水場について伺いたいのですが~」
「何処まで行くんですか?」
「今日はヒサゴ沼まで、明日は双子池でキャンプを…」
「ええーっ?!すごいですね!
 で、ヒサゴ沼はともかくとして三川台というところがありまして…」


 聞いて正解だった。
彼女は笑顔でとても詳しく説明してくれた。
彼女の話では、トムラウシ山を過ぎると水場はあまり無いが
三川台(サンセンダイ)というところに雪渓があり、
さらにその付近で縦走路を左側に下りると
湧き水があり、“そのままでも飲める!”という。
そこはキャンプ指定地ではないが、テントが張れる場所がある。
(*緊急時以外はなるべく指定地以外でテントを張るのはよしましょう)
双子池はキャンプ指定地はそのさらに先だが、
8月の初旬は水量豊富な雪渓があったが今はわからない。
おそらくもう涸れているだろうとのこと。
オプタテシケ山への登りはメチャクチャきつくて
二度と登りたくないとも…。

 僕は話しているうちに彼女が
サブザック程度の小さいザックしか背負っていないことに気づいた。
と同時にその顔に見覚えがあることにも気づいた。
サブザックしか背負っていないということは
白雲岳避難小屋に荷物を置いてそこから来たと考えられるし、
ということは昨晩はそこに泊まったはずだ。
そして「見覚えがある」のは、
実は僕は昨年彼女に会っているのだ!!


 昨年の出来事はこうである。
先日書いたとおり昨年の同時期の午後、僕はここを歩いていた。
白雲分岐で一人の女性が顔をしかめてうずくまり、
足首にテーピングを巻こうとしていた。
明らかに捻挫をして歩けず、その応急処置をしている様子で
その通りだった。
大丈夫ですか?と僕が声をかけると
癖になっている(捻挫が)ので慣れており大丈夫、
白雲岳避難小屋までは行けるのでどうぞご心配なく、
ということだった。
僕は先に小屋へ急ぎ、小屋の管理人にそのことを伝えた。
管理人も心配していたが、
彼女は僕が着いて30分後くらいに無事到着した。
その後、彼女は管理人と親しく話し、
夜は管理人と同じ部屋(1階の隅)に寝ていたので
僕は彼女も小屋のスタッフか関係者だと思っていた。

 彼女の水場の説明を聞いたあと僕は聞いてみた。

「ひょっとして小屋の方ですか?」
「いえ、ただ親しくさせてもらっている者ですが」
「つかぬことを伺いますが、ひょっとして昨年白雲分岐で…」


と僕は昨年のことを話してみた。
すると彼女は突然

「あああーーーっっっ!!!」

とようやく“若い女性らしい”甲高い明るい声を上げた。
彼女も僕のことは覚えていて、

「ああ、あの時の方ですか。
 先に行って知らせてくれた…。
 でもこういうこと(一年ぶりに偶然会う)ってあるんですね」
と。

 彼女は今日は黒岳周辺の紅葉を見て、
お鉢巡りをして白雲岳避難小屋へ戻ってくる予定だという。
逆に僕は黒岳周辺の紅葉の様子を彼女に聞かれたが
大したことなく、まだ10%程度の色づき具合だと答えると

「黒岳行くのやめようかな~┌(-_-)┐」

 暫し談笑後、お互いの無事を祈って別れた。
別れ際彼女は僕に

「よかったらまた来年も戻ってきてくださいね♪」

と笑顔で言い、手を振っていた。

大雪山系大縦走!(4)~二日目スタート

2006年10月02日 | 山【mountain&climbing】
*黒岳石室のテント場で、テント撤収後に


 9月12日、快晴
今日はヒサゴ沼避難小屋までの
20kmを超える長丁場の予定。
しかし、テントを畳んだり、のんびり朝食を作ったり…。
結局出発したのは7時だった

 北海岳はサクッと制覇♪
そして8時半頃には一年ぶりに白雲岳を制覇。
白雲岳から白雲岳避難小屋へ向かう道すがら
30歳前後の一人の若い女性とすれ違った。
ちなみに彼女はこの日二人目に出会った登山者だった。