*写真は剣沢からの剱岳
ここ「雷鳥沢ヒュッテ」は定員290名とかなりデカイ!
しかもほとんど個室。僕は大部屋希望でチェックインしたが、
結局大部屋に泊まった客は僕を含めて3人だった。
この小屋は山小屋とは思えない「五階建て」!!
とはいえ、斜面に建っているので入口から見て五階分の高さはない。
入口は二階。地下、いや一階には風呂。
さらに山小屋とは思えない「鉄筋コンクリート造り」!!
山小屋とは思えない「卓球台完備」!!
山小屋とは思えない「個室約20部屋」!!
しっかし、外から見るのと大違いで、中はかなりボロかった(T_T)…。
加えて大部屋は端の部屋で、
天井が高く(二階分の吹き抜け)、壁はコンクリート打ちっぱなしで
寒々しい雰囲気。そして実際寒いッ!!
夕食はフライものばかりで、僕の評価は100点満点中「40点」!
部屋は前述の通りなので「30点」。トータルで「35点」で、
今まで泊まった山小屋の中で最低ランクだった!!
まず“企業努力”が足りない。
室堂周辺の山小屋は水道が完備されているので、ほとんどの小屋には風呂がある。
しかも地獄谷から湧く温泉!!
しかし、雷鳥沢ヒュッテの風呂は古めかい。
さらに水道完備ならもっと食事のレベルを上げなきゃ!!
唯一の救いは、ご主人の人柄が温かそうだったこと。
僕は荷物を置いて、空身で小一時間ほど地獄谷周辺を散策した。
大部屋の個人客は広島から来たという40歳過ぎの男性(話し好き)と、
三重から来た30代前半の男性(無口で食後、すぐに寝てしまった)と僕だった。
広島の男性はこの日、剱岳から戻ってきたところで
(後述するが、彼は前剱で引き返してきた)、
三重の男性は「剣は怖くて避けているんですよォ」と言い、明日は剣御前辺りまで登る予定だとか。
広島の男性から、
①二日前(10/3)吹雪が吹き、剱岳、立山にかなりの積雪があった。
②その日、「剣山荘」(剱岳に一番近い山小屋)から剱岳を目指して出発した
男性二人組が遭難した(*深夜に救出された)。吹雪で道を見失ったらしい。
③剱岳手前の「前剱」の北側の鎖場が凍っており、大変危険。
そのため自分はそこで諦めて引き返した。
④さらに先(剱岳直前)の「平蔵の頭」の鎖場も凍っており、
岩に貼り付いて(凍り付いて)いるらしく、これまた危険。
⑤以上のため、前剱で引き返す人がほとんどである。
といった情報を得た。
彼はさらに酒を飲みながら話したそうだったが、僕は睡眠不足のため、
また明日は剱岳にアタックするロングトレイルになる予定のため、
誘いを断り、8時前には就寝した。
三重の男性はもう寝ていた。
10/6(月)
5時過ぎに起きたとき、三重の男性はもう出発して居なかった。
広島の男性と話しながら朝食をとり
(僕はいつものようにご飯おかわり)、7時に出発。寒いッ!0℃くらいか。
天候は「曇り時々晴れ」といったところ。
「雷鳥坂」はかなりの急登できつい!浮石も多くて足を取られやすいが、
僕はいつものように
標準タイム(*昭文社の「山と高原地図」参照)の70%くらいのハイペースで歩を進める。
さすがに標高2000m超の地、今年はじめて、霜柱をいたるところで見かけた。
9時、「剱御前小舎」到着。
ついに『剱岳』が威容を誇るように姿を現す。
剱岳は間違いなく“玄人好みの山”である。
何しろ低いところからは全く見えないのだ。
ほとんどの日本アルプスの山は下の町から見える。
ここの登山基地の室堂から立山連峰は真正面に堂々と見える。
しかし、剱岳はここ別山乗越(べっさんのっこし)、つまり「剱御前小舎」まで登ってきて
ようやくその姿を拝むことが出来るのだ。
ここまででも本格的な登山の装備と技術、体力が必要である。
ここの標高は約2750m。稜線に立つ小屋で風が強い。
北東斜面のカールには巨大な雪渓が氷りついていた。
小屋の前で、俳優の木之元亮さんとテレビクルーに遭遇した。聞けば、
「仙人池ヒュッテ」の名物かあちゃん、志鷹静代さんを取材するためにやってきたらしい。
裏剣の名所、仙人池からの剱岳の眺めは格別だろう。
それにしてもここは剣への表コースの最高点「剱御前小舎」。
取材を終えて、室堂へ下りるところなのか、
室堂から別山乗越を越えて取材に行くところなのかは聞かずじまいだった。
仙人池ヒュッテの取材だけなら、黒部峡谷鉄道で欅平(けやきだいら)まで入り、
そこから登ったほうが楽で早いと思うのだが…。
雷鳥坂を登るシーンを撮りたいらしく、
20mくらい下から木之元さんは疲れてもいないのに、
息をハァーハァーさせながら二、三度登りを繰り返していた。
テレビで見るとおり、彼は背が高く、声が渋かった。
なお、取材した仙人池ヒュッテの模様は11/9にテレビ東京系で夜9時から放送されたが、
ご覧になった方はおられるだろうか。
剱御前小屋からは三本のルートがある。
そのうち「剱御前」を経由するルートは一般的ではなく、ほとんど利用されていない。
残る二つは「剱沢小屋」を経由するものと“ショートカット”するもの。
ショートカットとはいえ、前者とのタイム差はほとんどない
(*「山と高原地図36剱・立山」昭文社参照)。
僕は高低差の少ないショートカットを選択した。
あとは次のポイント「剣山荘」を目指す!
剣山荘までの途中、3組のパーティーに会った
(うち一組は女性二人、一組は男性の単独)。
彼らは皆僕が出会う、この日初めての『剱岳アタック組』だった!!
しかし、皆“失敗組”だった。女性達は「一服剱」で引き返し、
他は「前剱」で引き返した。
前剱の先の下りが積雪と凍結で危険と判断したという。
彼らのコメントが僕を不安にさせなかったというのはウソだが、
むしろ逆に闘志をかき立てられたというほうが偽りの無い本音である。
「登れないはずは無い!」という信念と、
「せっかくここまできて…」という無念を味わいたくない一心だった。
「剣山荘」には予定通り10時に着いた。ここは剱岳アタックの最後の前線基地であり、
また剣岳までのルート中“最後の水場”なのである。
つまり、登山者は皆、ここから往復5時間弱(*前述の「山と高原地図」参照)の行程を
水を所持して行かなければならず、途中に幕営地(*テントを張れる場所)もないことから、
何が何でもこの「剣山荘」までは戻ってこなければならないのだ。
この程度の困難さは国内のほかの山でもいくつも経験するだろう。
しかし、ここは一般ルート本邦最難関の「剱岳」!
この先は岩場・鎖場の連続で気が抜けない。
肉体的にも精神的にも疲労することは必至!ゆえに最難関なのだ。
ここ「雷鳥沢ヒュッテ」は定員290名とかなりデカイ!
しかもほとんど個室。僕は大部屋希望でチェックインしたが、
結局大部屋に泊まった客は僕を含めて3人だった。
この小屋は山小屋とは思えない「五階建て」!!
とはいえ、斜面に建っているので入口から見て五階分の高さはない。
入口は二階。地下、いや一階には風呂。
さらに山小屋とは思えない「鉄筋コンクリート造り」!!
山小屋とは思えない「卓球台完備」!!
山小屋とは思えない「個室約20部屋」!!
しっかし、外から見るのと大違いで、中はかなりボロかった(T_T)…。
加えて大部屋は端の部屋で、
天井が高く(二階分の吹き抜け)、壁はコンクリート打ちっぱなしで
寒々しい雰囲気。そして実際寒いッ!!
夕食はフライものばかりで、僕の評価は100点満点中「40点」!
部屋は前述の通りなので「30点」。トータルで「35点」で、
今まで泊まった山小屋の中で最低ランクだった!!
まず“企業努力”が足りない。
室堂周辺の山小屋は水道が完備されているので、ほとんどの小屋には風呂がある。
しかも地獄谷から湧く温泉!!
しかし、雷鳥沢ヒュッテの風呂は古めかい。
さらに水道完備ならもっと食事のレベルを上げなきゃ!!
唯一の救いは、ご主人の人柄が温かそうだったこと。
僕は荷物を置いて、空身で小一時間ほど地獄谷周辺を散策した。
大部屋の個人客は広島から来たという40歳過ぎの男性(話し好き)と、
三重から来た30代前半の男性(無口で食後、すぐに寝てしまった)と僕だった。
広島の男性はこの日、剱岳から戻ってきたところで
(後述するが、彼は前剱で引き返してきた)、
三重の男性は「剣は怖くて避けているんですよォ」と言い、明日は剣御前辺りまで登る予定だとか。
広島の男性から、
①二日前(10/3)吹雪が吹き、剱岳、立山にかなりの積雪があった。
②その日、「剣山荘」(剱岳に一番近い山小屋)から剱岳を目指して出発した
男性二人組が遭難した(*深夜に救出された)。吹雪で道を見失ったらしい。
③剱岳手前の「前剱」の北側の鎖場が凍っており、大変危険。
そのため自分はそこで諦めて引き返した。
④さらに先(剱岳直前)の「平蔵の頭」の鎖場も凍っており、
岩に貼り付いて(凍り付いて)いるらしく、これまた危険。
⑤以上のため、前剱で引き返す人がほとんどである。
といった情報を得た。
彼はさらに酒を飲みながら話したそうだったが、僕は睡眠不足のため、
また明日は剱岳にアタックするロングトレイルになる予定のため、
誘いを断り、8時前には就寝した。
三重の男性はもう寝ていた。
10/6(月)
5時過ぎに起きたとき、三重の男性はもう出発して居なかった。
広島の男性と話しながら朝食をとり
(僕はいつものようにご飯おかわり)、7時に出発。寒いッ!0℃くらいか。
天候は「曇り時々晴れ」といったところ。
「雷鳥坂」はかなりの急登できつい!浮石も多くて足を取られやすいが、
僕はいつものように
標準タイム(*昭文社の「山と高原地図」参照)の70%くらいのハイペースで歩を進める。
さすがに標高2000m超の地、今年はじめて、霜柱をいたるところで見かけた。
9時、「剱御前小舎」到着。
ついに『剱岳』が威容を誇るように姿を現す。
剱岳は間違いなく“玄人好みの山”である。
何しろ低いところからは全く見えないのだ。
ほとんどの日本アルプスの山は下の町から見える。
ここの登山基地の室堂から立山連峰は真正面に堂々と見える。
しかし、剱岳はここ別山乗越(べっさんのっこし)、つまり「剱御前小舎」まで登ってきて
ようやくその姿を拝むことが出来るのだ。
ここまででも本格的な登山の装備と技術、体力が必要である。
ここの標高は約2750m。稜線に立つ小屋で風が強い。
北東斜面のカールには巨大な雪渓が氷りついていた。
小屋の前で、俳優の木之元亮さんとテレビクルーに遭遇した。聞けば、
「仙人池ヒュッテ」の名物かあちゃん、志鷹静代さんを取材するためにやってきたらしい。
裏剣の名所、仙人池からの剱岳の眺めは格別だろう。
それにしてもここは剣への表コースの最高点「剱御前小舎」。
取材を終えて、室堂へ下りるところなのか、
室堂から別山乗越を越えて取材に行くところなのかは聞かずじまいだった。
仙人池ヒュッテの取材だけなら、黒部峡谷鉄道で欅平(けやきだいら)まで入り、
そこから登ったほうが楽で早いと思うのだが…。
雷鳥坂を登るシーンを撮りたいらしく、
20mくらい下から木之元さんは疲れてもいないのに、
息をハァーハァーさせながら二、三度登りを繰り返していた。
テレビで見るとおり、彼は背が高く、声が渋かった。
なお、取材した仙人池ヒュッテの模様は11/9にテレビ東京系で夜9時から放送されたが、
ご覧になった方はおられるだろうか。
剱御前小屋からは三本のルートがある。
そのうち「剱御前」を経由するルートは一般的ではなく、ほとんど利用されていない。
残る二つは「剱沢小屋」を経由するものと“ショートカット”するもの。
ショートカットとはいえ、前者とのタイム差はほとんどない
(*「山と高原地図36剱・立山」昭文社参照)。
僕は高低差の少ないショートカットを選択した。
あとは次のポイント「剣山荘」を目指す!
剣山荘までの途中、3組のパーティーに会った
(うち一組は女性二人、一組は男性の単独)。
彼らは皆僕が出会う、この日初めての『剱岳アタック組』だった!!
しかし、皆“失敗組”だった。女性達は「一服剱」で引き返し、
他は「前剱」で引き返した。
前剱の先の下りが積雪と凍結で危険と判断したという。
彼らのコメントが僕を不安にさせなかったというのはウソだが、
むしろ逆に闘志をかき立てられたというほうが偽りの無い本音である。
「登れないはずは無い!」という信念と、
「せっかくここまできて…」という無念を味わいたくない一心だった。
「剣山荘」には予定通り10時に着いた。ここは剱岳アタックの最後の前線基地であり、
また剣岳までのルート中“最後の水場”なのである。
つまり、登山者は皆、ここから往復5時間弱(*前述の「山と高原地図」参照)の行程を
水を所持して行かなければならず、途中に幕営地(*テントを張れる場所)もないことから、
何が何でもこの「剣山荘」までは戻ってこなければならないのだ。
この程度の困難さは国内のほかの山でもいくつも経験するだろう。
しかし、ここは一般ルート本邦最難関の「剱岳」!
この先は岩場・鎖場の連続で気が抜けない。
肉体的にも精神的にも疲労することは必至!ゆえに最難関なのだ。