※参考記録

日本百名山山頂宙返りを敢行中の【雪崩★マン】が綴る社会学的山岳エッセイ!

いい本なぁ~い?

2002年10月30日 | 雑感【thoughts】
 ぼかぁーねぇ、決して読書家ってわけじゃあないんですよ。
でもね、最近本に飢えているんですよ。
で、誰かさん(皆様の中の)にお薦めの本を紹介していただきたくて、
逆に本の紹介でもしましょうか。
 
 皆さんは「人は死んだらどうなるのか?」って
真剣に考えたことがある??
僕だって火葬されて骨になる、土へ帰る…なんてことはわかっている。
でも、この32年間生きてきて、考えたこと、経験、ポリシー、イデオロギーetc.って
何処へ行っちゃうの??無くなっちゃうの??
それが信じられなかった。だから幽霊の存在は信じていた。
それに僕は親、兄弟だけではなく、たいていの人は認知しない《誰か》と“つながって”いる
とも感じていた。まあ乱暴に言えば「生まれ変わり」や「輪廻」などだけど。
それは歳を重ねるごとに強く感じるようになった。
肉親と僕との様々な「違い」が如実になってきたから。それは次第に飛躍し、
自分にとっての「生」や「性」、人間にとってのそれらの意味も考えていた。
その僕にヒントを与えてくれた本が
辻仁成の『ニュートンの林檎』である。

 感想や批評を書くと、巻末の「解説」みたいで難しくてつまらないので別の書き方をすると、
いまや超人気、有名作家である辻仁成を読みたい!知りたい!という人、
あるいはどういう人なの?という人には芥川賞を受賞した『海峡の光』を読む前に、
『ニュートンの林檎』を読むことを薦める。
実際、彼がこれを書いた後の次の作品が『海峡の光』だった。
それに『ニュートンの林檎』のほうが最近の彼の作品に近い気もするしね。
『冷静と情熱のあいだ』は例外。
 『海峡の光』のテーマは、
人間の根源に棲み付いてしまっている、制御できない《悪=暴力》だが、
『ニュートンの林檎』は、やはり人間の根源に棲み付いてしまっている《生》であり
《性》(さが)である。
あと興味深い点は、辻氏があとがきの中で
「今はもう会うことのない異性へ送った長大なラブレターのつもり」
と述べていることだろうね。これを読めば、
『冷静と情熱のあいだ』、『サヨナライツカ』などの最近の“重い”愛について書かれた
著書も読みやすいんじゃない。

 ちーと今日は刺激のない内容だったかな。

当事者無視か!?

2002年10月25日 | 時事【current topics】
 あ~あ、とうとう32になっちまったぜぇ!

 今日、政府が、拉致されて帰国している5人を北朝鮮へ戻さないことを表明したね!
これって無茶苦茶じゃない?!

 先日も書いたように“みんな、認め合おうよ!”
これじゃあ日本政府のやり方は、彼らを拉致した北朝鮮と同じじゃん!
 24年間日本に残された被害者家族の言い分はもっともだ。
特に拉致された人のご両親は高齢なので、息子、娘たちと一緒に過ごしたいと
願いのは当然だろう。
しかし、考えなければならないのは
「日本と北朝鮮」、「日本に残されていた家族と今北朝鮮に残されている家族」
そして何より「24年間拉致されていた5名」のそれぞれの立場
拉致されていた人たちには彼らなりの立場や想いがあるのだ。
蓮池さんが言ったという
「俺達の24年間を無視するのか?!」である。

 拉致事件は「事件」として真相究明、保障問題…と解決すべきことだ。しかし、
“24年間”という時間は過ぎ去ってしまったことであるし、取り戻せないので、
この24年分も我々は、日本政府は、そして被害者や家族、みんなが考えなければならない。
加えて、今、日本政府が家族の意見を全面的に取り入れて
「5人を戻さない」と言ってしまうと、
北朝鮮は、はい、わかりました、とは言わないでしょ!
態度を硬化させるの当たり前じゃん。

 報道も過剰で、そのくせ一向に5人の想いや考えは伝わってこない。
寺腰さんは先日の帰国の際、
付きっきりで監視していた北朝鮮から同行してきた労働組合員の目が離れたとき、
母親に向かって「俺は死にたい」と泣いて訴えたというが、
こういう彼らの意見を聞くのは
周りの人達、ひいては両国政府じゃないか!!
こういう外交問題、国際問題に発展していることに対して
政府の態度や取り組みはあまりにもずさんで、甘すぎるんじゃないか!!
5人を戻さないよーだ。あっかんべー!ってやっても、相手は核持ってるんだよ!
戦争になったらどう責任取るんだ!!えー、こら!!

 ほんっとに、繰り返すけど、みんな、<真実の人>となって
認め合おうぜ!愛し合おうぜ!

『同棲時代』について

2002年10月24日 | 雑感【thoughts】
 先日紹介した『同棲時代』について、新情報!!

 これは同名の漫画があるそうで、やはり1970年代のものらしい。
著者は上村一夫という人。
彼については全く知らない。
また映画は主演:由美かおるだそうだ。
今日、某情報番組に出演していた映画評論家のおすぎ氏がこれについて話をしていた。
なおこの作品は近所のレンタルビデオ屋には置いていない。
誰か情報をください!マンガ本についても。

 ちなみに今日、僕は32歳になっちゃいました。
カシオ計算機(株)に勤務するN.I.くん。ともに誕生日を祝おうぞ。

ゲーム脳

2002年10月23日 | 社会学【socilogy】
 「ゲーム脳」という現象(?)がある。
 現実世界にロールプレイングゲームを持ち込んでしまう脳の病気(?)である。
先日、祖母を殺害した中学生はゲーム脳に罹っていたらしい。
まさしく「プレイステーション世代」の悪例であろう。

 世の中はすでに“終末”に向けてゲーム世界のヴァーチャルを
具現化する方向へ動き始めている。
こりゃあ北朝鮮はかなりヤッてるね!!
日本の文化や映画が大好きな“将軍様”ならきっと。
 工作員などに徹底的にPS2を軍事的に改良したゲームをやらせて、
(軍事的に)優秀なゲーム脳の持ち主を育成し、
ロールプレイングゲームの主人公になりきるように、
ゲーム脳により覚醒・分裂したひとつの別人格となり、
あらゆる手段を駆使して、“祖国のために”尽力する戦士を作り出しているんじゃ…。
あッ、これ読んだ工作員の人たち、僕を拉致しないでね。
PS2持ってないし、ゲームやらないし。

 私の知人の甥(3歳、オーストラリア人)はすでにPS2でバリバリ遊び、
ゲーム脳を育成しているらしい。
かなりの部分は自分で操作できなくて、かんしゃくを起こしている。
これが長年蓄積されれば、とてつもない犯罪者になるのではないかと、
彼(知人)は心配している。
このような子供がどんどん再生産されれば、社会は崩壊するんじゃない?!
ワシントンの連続無差別銃撃事件の犯人もプレステ世代の若者だと思うけどなぁ~。
ゲームの世界は現実より複雑で緻密になってるからね。

 すでに自分の中の他者が主体になってしまう時代に突入した。
ゲームによる自己と他者の不断なる連続が両者を融合し、新しい自分に覚醒している。
または「アイデンティティーの危機」ともいえよう。
 いやァ怖いね。宗教、管理されたドラッグ、そしてゲーム。
これらが国家を超越する武器として利用される日も近い。
いやすでに某国では利用されているかもしれない。

 繰り返しますが、工作員の皆様、および将軍様とその関係者の方々、
本当に僕を拉致しないでください!!
ゲーム脳についても不勉強で何も知りませんから。
ちなみに北朝鮮にはいい山ありますか?

ミュータント・メッセージ

2002年10月19日 | 文化・生活【culture&life】
『ミュータント・メッセージ』(マルロ・モーガン著 小沢瑞穂訳 角川書店)
という本がある。これを皆に捧げたい。

 ある人から譲り受けた本である。是非読んでほしい。
特に「北朝鮮問題」に関わっている人たちに。

 拉致された人たち、残された家族、日本政府、北朝鮮政府、両国民…。
皆、考えや気持ち、思惑は様々である。
特に拉致され今回帰国した人たちと、日本で待っていた家族たちとの
それらの違いが際立っている。
まあ、報道のせいもあるけどね。
「お前たちは拉致された被害者なんだからこれからは日本で暮らせ」
「いや、そうはいかない」
という互いの言い分は至極わかりやすい。
24年間という時間はお互いを理解するにはあまりに長すぎる。
 日本での報道はこぞって、一貫して北朝鮮の行なってきた行為(拉致)を攻撃し、
北朝鮮という国の不透明性、恐ろしさ、狂気、それらを忌むべき物事として報じている。
向こう(北朝鮮)ではどう報じられているか、国民はどう思っているかはわからない。
この不透明性は確かに歯がゆい。
しかし彼ら(北朝鮮国民)の生活や文化、そして拉致された人たちの24年間も、
我々のそれと同様尊重すべきじゃないのかな。

 『ミュータント・メッセージ』はあるアメリカ人女性が
オーストラリアのアボリジニの一族に招待され、
長期間彼らと未開の砂漠地帯を旅する物語である。
そこには現代社会、そこに生きる現代人の生活や文化はない。
彼女にとっては全く受け入れ難い現実ばかりであった。
しかし、旅のなかで彼女は自己改革を行い、
次第に彼らの生活や文化、彼らそのものを理解し、愛し始める。
一方我々の属する現代社会を嫌い、捨てるわけではない。
彼女は「ふたつの心」を持った唯一の人間となり、旅を終え、彼らと別れる。
「ふたつの心」とは、彼女が自分の社会に忠実でありながらも、
アボリジニのそれも愛せると感じた彼らが彼女につけたニックネームだ。

 現代社会はアボリジニを「野蛮で悲惨な人種」として排他的に扱ってきた。
が、アボリジニは我々を同様に見てきたわけではない。
その寛容さや有能さに感嘆した彼女は彼らを「真実の人」と呼ぶのだ。

 拉致問題は、事件として、国家的な犯罪であるとして
問題解決のため客観的に取り組む必要がある。
その意味では、日本はかつてないほど“シリアス”な場面に直面していると
認識しなければならない。
不審船、拉致問題に続き、核開発まで行なっていたことが明らかになったのだから。

 しかし拉致問題解決に向けて最も大事なことは、
それぞれを理解し、認め、愛することである。
 昨日辺りからの報道で気になるのは
“語り始めた拉致被害者”、“変化し始めた言動”などの文句。
我々の北朝鮮に対する認識から、今回の帰国者5名はあたかも「洗脳」され、
そしてその呪縛から今解き放たれようとしている…といった風な描き方である。
あっ、余談だけど今「描き方」って書いたので、一応解説しておくが、
マスコミなんて乱暴に言えば『全てフィクション』だからね。
拉致された人たちは、
24年前に拉致され→北朝鮮で生活し→24年ぶりに帰国、
という我々には想像もできないほど壮大な時間的、空間的な“うねり”のなかで
生きてきたわけだから報道が日本の国民世論(報道が作った)や政府見解を
彼らに押し付けてはいけない。
もちろん日本で彼らの帰国を待っていた彼らの家族も彼らに対してね。
ただ、家族は拉致された人と同様「被害者」なので、これはともに「拉致被害者」として
国民、マスコミ、政府などは彼らを広く理解して、認めるべきだ。

 ま、瑣末な抽象論になりそうなのでそろそろ筆を置くが、
拉致被害者を含めて、全国民、全人類、全組織が
「ふたつの心」をもった「真実の人」となれば
問題解決のための飛躍的な一歩を踏み出すことができると思う。

 今日はちょっといつもの「※参考記録」とは毛色が違うね。
そもそも雪崩★マンの徒然や、いろいろな文章、文体、形式を試す場だから。ここは。
だからこーゆーのもありなのさ。

ふかぁ~いところに意味はある

2002年10月17日 | 教育【education】
「なぜ中学生がタバコを吸っちゃいけないかわかるか?○○(生徒の名前)、わかるか?」
「身体に悪いからです。」
「違う。△△、わかるか?」
「法律で決まっているからです。」
「そうだ。」

 長塚京三主演の映画『ザ・中学教師』の一場面である。もう十年くらい前の映画だが、
今見ても全く色褪せた感はない。共演陣の谷啓、藤田朋子らもいい味出している。
いじめ、家庭内暴力、校内暴力、不登校、それらに付随するアクセント…描かれているテーマは多彩で
非常に内容の濃い映画だ。が、僕の目に新鮮に映るのは長塚京三演じる中学教師の人格、生活、教育方針だ。

 高校生の彼の娘がいじめを苦に問題を起こす。
職場では冷徹なまでに完璧に職務をこなす彼にも弱点が…
と思いきや、自身の家庭の問題も彼の“完璧教師らしい”行動で一蹴してしまう。
とにかく完璧でカッコいいのだ。
 どうして彼は完璧な中学教師になりえたのか。完璧な父親(に見える)になりえたのか。
上記の場面には後に続く台詞があるが、失念してしまった。
だからこの場面で彼の理屈の意味はわかりかねる。
が、随所に彼の人生や“裏”を覗けそうで覗けない、歯がゆく、刺激的な場面は多くある。

 同様に、僕が刺激を受けた映画に『同棲時代』という映画がある。
(*タイトル正しかったかな)
1970年代の古い映画で、内容はタイトルそのもので、
同棲している若いカップルの女性が妊娠し、中絶するって具合。
そして物語がラストの場面。ここで男の弱さ、女の強さが露骨に表現されている。
中絶は女が男に気を使い、内緒で行なった。男は責任を感じ、愛している、結婚しよう、
というようなことを言う。
それに対し、女が
「愛してるの?じゃあ結婚しなくてもいいじゃない。」

 うーん、どうですか、皆さん!僕なりに長塚京三、同棲カップルの二人、
それぞれの人生観や性格は見えているが
皆さんはどう感じるでしょうか?意見や考えを頂戴したい。
またこの二本は是非ご覧頂きたい。僕も観なおしてみる。

 長塚京三は最後まで完璧である。家庭もクラスも学校も掌握してしまっている。
彼はクラスを称え、一人拍手する。ゆっくりゆっくりと…。カメラはそんな彼から遠ざかっていく。
彼はかっこよすぎる。さすがソルボンヌ大学卒の中学教師だ。

おいおい、その態度と口調何とかならんのか!!

2002年10月05日 | 雑感【thoughts】
 先日モー娘の後藤真希が“卒業”しましたねェ。
そんでもってもうTBSのドラマに出演とは出世してますな。
それにしてもあのバカっぽさはなんとかならんのかねェ…。
 ドラマの制作発表(?)の記者会見の席上でのインタビュアーとのやり取りでは
なんとなく分別のある落ち着いた少女風だったが、
言っていることはちんぷんかんぷんだったよ。特に私が訝しく思ったのは、
インタビュアーが「大人の女性」についてか、そういう役所についてかの質問をした際の答えの冒頭、
「私も“もう”17なんで…」と語り始めたところ。
何が“もう”なんだ??!!瑣末なこととお笑いになるかもしれないが、若くして(中学生くらいで)、
大人たちの世界で媚を売る生活をしていたから、知識と経験が身に付かず、
ヘンな“言い回し”だけが身に付いちゃったって感じかな。
彼女の中では17歳という年齢は仕事的にも生活的にも“もう”デビューしたときとは異なり、
数段上のレベルにいなければならないと思っていたのかもしれないが、
そういう深い内容の質問でも答えでもなかったな。

 窪塚洋介についても同様。
先日彼のインタビューをテレビで見たが(自身の映画についてだったかな)、
そこでの口調と態度には呆れと怒りを感じた。
会話、やり取りについてはスペース上書かない。
彼の言っている内容は素晴らしく、素敵なことも多いのだが、
その口調と態度が人を大人を小馬鹿にしており、素直に聞き入れられない。
我々がムカつく深夜のコンビニの店員を思い起こしていただければご理解いただけると思うが、
その態度と口調がまさに窪塚である!!
その番組はテレ朝のお昼の生放送の情報番組だったが、
案の定画面がスタジオに切り替わったとき、
コメンテーターの一人が
「彼の言っていることやメッセージ性は素晴らしいのだが、あーいう態度と口調では社会や大人には受け入れられないですよ」
と言っていた。当たり前である。

 どうも非常識で“ムカつく”連中(芸能人、タレントが多い)がマスコミに露出しすぎで、
不快だ。これは公害だ!
しかし彼ら自身の問題もあるだろうが、多くの問題点は作り手、情報の作り手にあるんじゃないかな。

鎌倉物語

2002年10月05日 | 雑感【thoughts】
 サザンの歌じゃないよ。
 私は鎌倉が大好きである。
落ち着いた雰囲気。整然とした町並み。健康的な風。潮の薫り。緑溢れる境内。
決して広いわけではないのに見通しのいい通り。
凛としたご婦人(ご婦人っていえる人は鎌倉のおばさんくらい)。車も人も流れるよう。
家々はまるで几帳面な作家の本棚のように、色も様式も全てが異なるのに全てが統一されているよう。
なお私がいう「鎌倉」は鎌倉駅周辺や鎌倉市のみを指すのではなく、江ノ島、藤沢までを含む。
地籍では「鎌倉市・藤沢市」であり、
藤沢市民を気遣うのであれば「鎌倉・湘南」が好きであるといったほうがよいか。

 私の故郷は愛媛県新居浜市で、実家は目の前が海水浴場、海だった。
小学生の頃は夏は毎日海へ泳ぎに行っていた。
だから大学入学と同時に東京へ来た際もいつか海の見えるところに住みたいと思っており、
身近に海を感じられるところが湘南だった。サザンの影響だろうが、
「鎌倉」という響きに惹かれ、大学の授業が“落ち着き”はじめる三年生時には
鎌倉に住もうと不動産屋を巡ったこともある。
家賃のあまりの高さに閉口して挫折してしまったが。
 以降かれこれ10回以上は「鎌倉・湘南」を訪れ、
近年は友人のEASY(男性、もちろん本名ではない)が
鎌倉市へ引っ越した(実家)こともあり、頻繁に訪れている。
私は仕事の関係上休みが土日でなく、
彼も大学の非常勤講師であり、週に二日しか大学へ行かず、
昨年までは大学院生だったので、お互いの都合を合わせやすいのだ。
 昨日は休みだったので久々にバイクで練馬の自宅から2時間近くかけて江ノ島まで出かけ、
彼も時間がたっぷりあったので駅前で彼と待ち合わせ、もう何度目かの「江ノ島探索」へ出かけた。
目新しいものはあまりなかったが、なかなか楽しかった。

 今回は「江ノ島」のみの探訪。
 先日の台風の影響で岩屋洞窟は一部が壊れ(?)立ち入り禁止になっていた。
洞窟行きの船も運休。江ノ島弁天橋を渡って江ノ島へ“上陸”。
江ノ島ヨットハーバーの周辺は最近整備され、公園のようになっている。
暫し散策して海、かもめ、釣り人を眺める。上陸地点へ戻り、
青銅の鳥居を抜けると江ノ島の参道(江ノ島小町通)。
最近「片岡鶴太郎美術館」ができた。相変わらず射的やスマートボールで稼ぐあこぎな店が…。
次はやっぱり江ノ島に“登ら”ないと!!
というわけで30代の我々はらくちんなエスカー(\350)で頂上へ。
ご存じない方のために一応解説しておくと、エスカーとは江ノ島へ登るためのエスカレーター。
長め(デパートだと3階分くらい)のエスカレーターを数基乗り継ぎ、頂上へ向かう。
途中、辺津宮、八坂神社、中津宮などいくつか神社を経由。
それにしてもこれまた相変わらず「猫」が多い。やる気なさげに人を見下し、
「かわいい~ッ」と駆け寄り頭や喉を撫でる女には
触らせ放題。たいていは何もくれないので触られ損だが…。
でもちゃんとここにも「猫おばさん」がいて、夕刻に猫たちに
餌を配って歩いていた。ここの猫たちは元飼い猫が多く、人懐っこく、
しかも野性味が無いので格好のおもちゃだ。藤沢市も猫のおかげで潤っている。
頂上の食堂(腐るほどある)で「あかね豆腐」というものを食ったが、
プラスチックの容器に入った(もちろんプラスチックのスプーン付)ものが210円もし、
量も少なく、味も期待はずれで有り難味がまるでなかった。
そのまま西岸へ下り、稚児ヶ淵辺りで磯遊びを楽しむ。
といっても潮溜まりに取り残された石鯛などの小魚を探したり、カニを捕まえたり、
イソギンチャクに餌(フジツボや貝類)をやったりという
30過ぎの男の遊びとは思えないようなことをして遊んでいた。
周りは釣り人、アマチュア写真家(いずれも年配男性)、そしてカップルばかり。
 夕方5時前に来た道を戻り(今度は歩いて登って下りて…)、江ノ島を後にした。
その後片瀬東浜の海岸で持ってきたコンロを使ってカフェ・ラテを作り、
男二人海を眺めながら佇み、歓談。
夜は安かろう、不味かろうのイタリアンを食って246を時速100km/hで飛ばして帰って来た。

注射

2002年10月04日 | スポーツ【sports】
 北朝鮮もタチが悪いが、もっとタチ悪いのが相撲協会!

 先場所の大相撲は武蔵丸の優勝、貴乃花の復活&活躍で大盛り上がりだったが、ヘンに思わない?
これだけ成熟したプロの世界で一年以上も土俵に上がっていない力士がいきなり復帰して優勝争いって。
もちろんそういうことが全く無いとはいわない。しかし全国民、全視聴者の目は節穴かねェ。
あんなブヨブヨの身体した30歳の貴乃花が優勝争いできるほど相撲のレベルは低くないぜ!
こりゃ間違いなく注射!八百長だよ!
 相撲の世界でそれが横行していることは周知のこと(ええッ?知らないって?!)
しかし今場所ほど露骨なのははじめてだね。結局相撲も「貴乃花人気」におんぶに抱っこってことか。
「大相撲ダイジェスト」見て、毎回笑っちゃったよ。あまりに他の力士の“演技”が下手なんで。
それほどまでにもう貴乃花は“終わっている”ってことさ。
でも相撲協会は彼の賞味期限を「あと一年以上」には見積もっていると思う。
彼ほどのスターはまだいないし、今場所の盛り上がりはそれを証明しただろう。