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勝手にしあわせになってるかも!

今日はマヤ暦的にはどんなエネルギー?
日々の暮らしの気づきとともに綴るマリマヤ便り

〜マヤ暦K101〜 「黄色い種」の父の誕生日

2019-02-02 21:21:27 | マヤ暦
マヤ暦では、52歳からが人生の本道と言われている。
58歳で他界した父は、
悔いのない人生を送ったのだろうか。
毎年、2月1日が来るたびに、
亡き父の生き様を振り返る。



去年のFacebookの投稿から

昨日は、58歳で他界した父の誕生日。
肺がんが見つかり、
わずか6ヶ月で逝ってしまった父のことを思うたびに、
「人生はいつ終わりが来るかわからない。
今を大事に生きておかないと」
と思う。
「定年したら……」
が口癖だった父が、やりたかったことは、
定年にならないとできなかったことなのだろうか?

ふと、思い立って烽火山に行った。
去年の今頃まで、
3年間せっせと通って掃除をした道。
掃除をしていたのは、
道ではなく、自分の心の中だったのかもしれない。




水道工事の仕事をしながら、
兼業のみかん農家もしていた父は、
自分の気持ちを語ることは少なく、
無口な人だった。
テレビとお酒とパチンコが好きで、
家で見るのはお酒を飲んで、
ゴロンと寝転んでテレビを見ている姿だった。

K124 黄色い種・白い鏡・音7
そういえば、父のことをマヤ暦で
みたことはなかった。
「黄色い種」は、学び気づくことで覚醒する。
その種の中に、何が入っているのかは、
種が割れるまではわからない。


子供の頃は怖かった父が、
実は優しくて面白い人だと知ったのは、
超未熟児ですみれが生まれた頃からだ。
孫の顔を見るためなら、
嵐の中でも愛媛から長崎までやってきた。
滅多に電話なんてかけない父が、
電話をかけてきて、
片言しか話せないすみれを相手に
「すみちゃーん、じいじだよ。」
なんて言っているのには驚いた。

「白い魔法使い」の捉えどころのない魅力が、
反対キンの「黄色い種」の固い殻を
破ったのかもしれない。


「黄色い戦士」の私は、父のガイドキンだった。
若い頃は仕事も転々として、
遊び人で有名だったようだが、
私が生まれてからは、
別人のように真面目に働くようになったそうだ。
そういう意味では、私はガイドだったのかもしれない。

父から、勉強しろと言われたことはなかったが、
水道関係の資格免許を取るために
勉強をしていた父の姿をおぼえている。
よく父は
「ドカタを殺すにゃ刃物はいらぬ。
雨が3日もふればいい。」
と言っていた。
夜目が覚めて、勉強している父に驚いた。
その時、父が私に言った。
「勉強はできる時に、しておいた方がいいぞ。
後で、しなくてはいけない時がくるから。」
その言葉は、受験生の私の心に深く刻まれた。

「黄色い星」と「白い鏡」は反対キンだが、
父は私の思いを大事にしてくれていた。
「白い世界の橋渡し」の母とは、
「黄色い戦士」は、
しょっちゅうぶつかっていたけれど……。
反対キンの両親のおかげで、
今の自分があるのだと思う。

「どんどんパンパン、ドンパンパン、
うちの親父はハゲ頭、
隣の親父もハゲ頭、
ハゲとハゲとがケンカして、
どちらも“け”がなく良かったね。」
肺がんの抗がん剤で髪の毛が抜けた父が、
すみれによく歌っていた歌が懐かしい。

可愛がってもらった記憶はないけれど、
大事にされていたんだと今はわかる。

今、急に停電になって、
久しぶりのキャンドルナイト
あら、不思議な写真になった。


もしかして、お父さん、ガボンまで来てくれたかな。

☘️ 2月3日(日)☘️
K101 赤い龍・黄色い人・音10

立ち上げ、軌道に乗せるパワーの「赤い龍」
感動を通して、感化し感化される「黄色い人」
裏方で人の面倒を良く見る「音10」

理想と現実のギャップを感じる日。
自分の考えを主張すればするほど、
ますますギャップは広がる。
すぐに答えを出そうとしないで、
心の内のかすかな炎を見守ろう。

K101〜K104
過分な欲望を持たずに、
節度を持って程よく生きよう。
中傷を気にせず、
自分の限界を決めずに、
礼節を持って歩めば、
正しく評価される。