魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

終わりのない追いかけっこ

2007-07-29 19:52:15 | Weblog
最後の夏休みです。


夏休みの過ごし方で、一番幸せを感じるのは
読みたかった本、読まなければならない本、難しい本
全て山積みにして、それを読み続けることです。


そのような読書の中でも、最高に幸せを感じるのは
翻訳された小説と英語で書かれた原書を読み比べることです。



この読み方は時間がある時にしかできない贅沢な読み方。





翻訳された文章の中には、―既成の翻訳家が訳した文章も含めて―いわゆる「透ける」という現象がしばしば起こる。


良い訳文というのは、「あたりまえの」文章である。あたりまえの平明な文章でありながら、どれだけ原文の意を損なわずにいられるかということが勝負になる。だから言うまでもなく、「透ける」ような文章は良い訳文とは呼べない。

町へ出よ、キスをしよう/鷺沢萠





自分で訳しながら読んだ印象と翻訳家が訳した印象とはこんなにもギャップが存在するものかと感慨に耽ることがある。

つまりこれは、その人が母国語ではない言語を学ぶ・使うスタイルにおいての神経シナプスの表現型であると思う。


もっと言うと、その人の言葉に対する考えの表現型である。


ある言語体系における言葉は共通概念であるにもかかわらず、
その定義は個人によって微妙に異なる。







言葉というものに魅せられているからこそ、人は読書するのだろう。