そんなこんなで『ZOO』、観てきました。
なんかドキドキした。5つの物語なんだけど、すべてに共通して思ったのは、生の隣には死が、死の隣には生が、常にあること。最後の「ZOO」では、生と死の境い目もよく分からなくなってたけど、何かが生まれたときには何かが死に、何かが死んだときには何かが生まれている。生のあるところに死あり、死のあるところに生あり。そんな死と隣り合わせの生、生と隣り合わせの死が伝わってきたから、ドキドキしたのかも知れない。
注目の子役って、神木隆之介くんのことなのね(「SO-far そ・ふぁー」出演)。なるほど。でも、「SEVEN ROOMS」に出てた須賀健太くんも良かったよ。子役かぁ。自分が子供のころを考えると、演技なんてできたかなぁ?
エンディングに流れたバックホーンの「奇跡」は、曲だけですごく好きだし、力を持っている曲だと思うから、映画に合ってたかどうかとかは私には判断できないところがあるんだけど、良かったんではないだろうか。
バックホーンと言えば、松田晋二(ドラム)が、「キズナソング」の企画で、『リスナーとのキズナ』というお題でコメントしていて、それがなんか良かった。リスナーとのキズナといっても、一人一人の顔は見えないし、どんな人が自分達の音楽を聴いてるかは日々疑問に思うことで、リスナーとのキズナというのは分かりそうで分からないと。でも、リスナーがいることで自分達の音楽が成立していることは事実で、だから、バックホーンを作っているのは自分達だけじゃなくリスナーの皆でもあると。そして、目に見えない関係だからこそ素晴らしいものもあると思う、と言っていた。
好きなアーティストとか、知り合いでもなんでもないけど、友達とか家族とか、目に見える関係とは違う繋がりってあると思う。会ったこともないのに、友達や家族以上のキズナを感じてしまうときだってあると思う。目に見えないからこそ、より深い部分で繋がれるってこともあるのだと思う。それが逆に、目に見えることで、見えなくなってしまうこともあるのだと思う。目に見えないからこそ、見えることもあるんだと思う。
「知らない方が幸せなこともある」ってよく言うけれど、それは、「知らないことで知れることもある」ってことなのかも。例えば、すごく単純な例だけど、着ぐるみを着てる人がいて、子供はそれを本物と信じてる。でも、大人は人間が着ていると知っていてそうとしか見れない。どっちが真実を見ているのかな。その前に、真実はどこにあるのかな。真実って、一つきりなのかな。必ずしも事実=真実ってわけじゃないし。でも、大人になればなるほど、「知らないでいること」は難しくなってくるわけで。それでも、「知らなかったときに知っていたこと」を守ることはできると思う。何も知らないでいたいとは思わないし、むしろ知りたい。でも、知っていることがすべてとも思いたくない。目に見えることを見た上で、目に見えないことも見ていたい。目に見えることと目に見えないこと。その両方を見るのは、とても力の要ることなんだろう。心の眼を持てってことですかね。
松田晋二はこうも続けていた。「目に見えないキズナだからこそ音楽が必要なんだな、きっと」。ううーん、やっぱり、音楽って最高!
そう言えば、『青いブリンク』を見終えた。やっぱ、良かったぁ。物語の結末というかオチ(グロス皇帝の正体)も良い。最後、「全部、夢だったの?」と言ったカケルに、お父さんが「どうかな。でも、夢を見る前と後とで、カケルが少しでも成長していたのなら、それは夢じゃないんじゃないかな」みたく答えていた(台詞うろ覚え)。
目に見えないキズナでも、自分の中に何かがあるならば、それは夢でも幻でもないんだと、そう思う。いや、たとえそれが夢でも幻でも、良いんだよ。目に見えることだって、いつかは消えてしまうのだろう。目に見えることより目に見えないことの方がよっぽど信じられるときだってある。きっと、答えがどこにもないのは、それが自分の中にあるからなんだ。
って、私は何を言ってるんだろう(笑)。「ZOO」ってタイトルなのに、半分以上『ZOO』の話じゃないし。
なんかドキドキした。5つの物語なんだけど、すべてに共通して思ったのは、生の隣には死が、死の隣には生が、常にあること。最後の「ZOO」では、生と死の境い目もよく分からなくなってたけど、何かが生まれたときには何かが死に、何かが死んだときには何かが生まれている。生のあるところに死あり、死のあるところに生あり。そんな死と隣り合わせの生、生と隣り合わせの死が伝わってきたから、ドキドキしたのかも知れない。
注目の子役って、神木隆之介くんのことなのね(「SO-far そ・ふぁー」出演)。なるほど。でも、「SEVEN ROOMS」に出てた須賀健太くんも良かったよ。子役かぁ。自分が子供のころを考えると、演技なんてできたかなぁ?
エンディングに流れたバックホーンの「奇跡」は、曲だけですごく好きだし、力を持っている曲だと思うから、映画に合ってたかどうかとかは私には判断できないところがあるんだけど、良かったんではないだろうか。
バックホーンと言えば、松田晋二(ドラム)が、「キズナソング」の企画で、『リスナーとのキズナ』というお題でコメントしていて、それがなんか良かった。リスナーとのキズナといっても、一人一人の顔は見えないし、どんな人が自分達の音楽を聴いてるかは日々疑問に思うことで、リスナーとのキズナというのは分かりそうで分からないと。でも、リスナーがいることで自分達の音楽が成立していることは事実で、だから、バックホーンを作っているのは自分達だけじゃなくリスナーの皆でもあると。そして、目に見えない関係だからこそ素晴らしいものもあると思う、と言っていた。
好きなアーティストとか、知り合いでもなんでもないけど、友達とか家族とか、目に見える関係とは違う繋がりってあると思う。会ったこともないのに、友達や家族以上のキズナを感じてしまうときだってあると思う。目に見えないからこそ、より深い部分で繋がれるってこともあるのだと思う。それが逆に、目に見えることで、見えなくなってしまうこともあるのだと思う。目に見えないからこそ、見えることもあるんだと思う。
「知らない方が幸せなこともある」ってよく言うけれど、それは、「知らないことで知れることもある」ってことなのかも。例えば、すごく単純な例だけど、着ぐるみを着てる人がいて、子供はそれを本物と信じてる。でも、大人は人間が着ていると知っていてそうとしか見れない。どっちが真実を見ているのかな。その前に、真実はどこにあるのかな。真実って、一つきりなのかな。必ずしも事実=真実ってわけじゃないし。でも、大人になればなるほど、「知らないでいること」は難しくなってくるわけで。それでも、「知らなかったときに知っていたこと」を守ることはできると思う。何も知らないでいたいとは思わないし、むしろ知りたい。でも、知っていることがすべてとも思いたくない。目に見えることを見た上で、目に見えないことも見ていたい。目に見えることと目に見えないこと。その両方を見るのは、とても力の要ることなんだろう。心の眼を持てってことですかね。
松田晋二はこうも続けていた。「目に見えないキズナだからこそ音楽が必要なんだな、きっと」。ううーん、やっぱり、音楽って最高!
そう言えば、『青いブリンク』を見終えた。やっぱ、良かったぁ。物語の結末というかオチ(グロス皇帝の正体)も良い。最後、「全部、夢だったの?」と言ったカケルに、お父さんが「どうかな。でも、夢を見る前と後とで、カケルが少しでも成長していたのなら、それは夢じゃないんじゃないかな」みたく答えていた(台詞うろ覚え)。
目に見えないキズナでも、自分の中に何かがあるならば、それは夢でも幻でもないんだと、そう思う。いや、たとえそれが夢でも幻でも、良いんだよ。目に見えることだって、いつかは消えてしまうのだろう。目に見えることより目に見えないことの方がよっぽど信じられるときだってある。きっと、答えがどこにもないのは、それが自分の中にあるからなんだ。
って、私は何を言ってるんだろう(笑)。「ZOO」ってタイトルなのに、半分以上『ZOO』の話じゃないし。