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スケッチ貯金箱

日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。

うたのイラスト(「長崎の女(ひと)」)

2017-09-02 23:02:50 | うたのイラスト

1963年の春日八郎の大ヒット曲。

子供の頃、よく聴いた覚えがある。

長崎で分かれた女性を探して、再びその地を訪れる男、というのは

歌謡曲によくあるタイプの詞なのだけれど、

この曲は、曲自身の良さと共に、極端なセンチメンタリズムに陥らない

適度な抑制と諦念が感じられて、品の良さがあると思う。

春日さんの声が素晴らしくて、今聴いても引き込まれる。

年配者が、ひっそり一人で思い出して歌うのにいい曲だ。

時代を考えると女性は和服なのだろうが、さすがにその頃子供だった私にはイメージが湧ききらない。

洋服で、ちょっとそれよりは時代が下った感じで描いてみた。

夜霧の外人墓地で君と別れた、というシチュエーション。


うたのイラスト(「二人の銀座」)

2017-03-12 14:28:16 | うたのイラスト

この曲も古いですよね。

山内賢さんと和泉雅子さんが歌ってヒットしたのですが、

ベンチャーズが作った曲で、彼らのバージョンもヒットしました。

ベンチャーズの演奏が昔の銀座らしい(といってもよくは知りませんが)雰囲気で、私は好きですね。メロディーラインだけでなく、伴奏が醸し出す雰囲気が。

イラストは一枚絵だとどうも感じが出ないので、コマ割り漫画の1ページ分みたいな体裁でやってみました。

この形式、面白いかもしれません。他の曲(今までに描いた物も含めて)も、これでやってみようかな。ストーリー性のある曲には合っているかもしれない。


うたのイラスト(「緑の季節」)

2017-02-04 13:37:56 | うたのイラスト

先日、弟の車に乗せてもらっていたら、カーステレオでこの曲がかかった。

懐かしいな。調べたら私が大学1年の時の歌だった。

山口いづみさんが歌った。

歌詞を見ると、若い女性が恋の相手を決める前にちょっとためらって、

春の風に吹かれたり、街で遊んでみたり、少しだけ今の季節を味わってみたいといった内容である。

でも内心では今の恋を手放す気はないのだと思っている。

昔の私だったら、「いい気なもんだ。チェッ!」とでも思っただろうが、

この歳になると、「いいんじゃないの、それも。今のうちに春の空気を存分味わったら」と思う。

ともかく春の雰囲気にあふれた曲で、気持ちが明るくなる。

こういうシンプルな歌がもっと聴きたい。

でも今は春と言えば花粉症の憂鬱な季節でもある。

このころはまだ、花粉症は騒がれていなかった。

存分に春の気分を味わえた最後の時代だったのかもしれない。

イラストは、その春の空気にうっとりと歩いているイメージで。


うたのイラスト(「花の首飾り」)

2016-08-14 13:44:58 | うたのイラスト

懐かしいザ・タイガースのヒット曲。

でも当時は「なんだか陳腐なポエムみたいだな」と生意気なことを考えていた。

しかし今、この歳になって、ふとリラックスした時など、この歌の歌い出し「花咲く娘たちは…」が頭に浮かぶ。深く心の中に刻まれている気がする。

娘たちがヒナギクの首飾りを編む姿。魔法によって(?)白鳥に姿を変えられた娘たちが、首飾りを掛けてもらうことで元の姿に戻る、という伝説や童話のような情景が語られているのだが。具体的なストーリーというよりも、このイメージに普遍性があるのかもしれない。「原型」としてのイメージだろうか。

「娘たち」を描くのは大変なのでか、一人だけ描いた。白鳥は付けたりですが(一枚でストーリーを表すのは無理なので)。


うたのイラスト(「肩たたき」)

2016-05-29 12:53:03 | うたのイラスト

「かあさん お肩をたたきましょう」で始まる、誰でも知っている童謡。

中山晋平作曲・西條八十作詞。

縁側で、お母さんの肩を叩く小さい子。

うらうらと日が注ぐ縁側、というのは、今は失われつつある、日常の平穏を表す風景。

お母さんの肩を叩いていると、白髪に気付いた。

生まれて初めて感じる、親の老いと苦労。

でもお母さんは、とても気持ちよさそうだ。

とんとん、とんとん、叩いてあげる。

赤いオニゲシの花が、見守るように咲いている。

このまま永遠に閉じ込めておきたいような人生の瞬間。

それを詩人は短い歌詞に結晶させている。

縁側は無くなっても、この歌は残るだろう。


うたのイラスト(「丘を越えて」)

2016-04-29 18:55:27 | うたのイラスト

最近CMでも使われたので、この歌を知っている人も多いだろう。

歌詞は全部載せることは出来ないので、検索して見ていただきたいが、

この歌の絵を描こうとして、人間をどう入れようかと考えたが、構図がどうしても浮かんで来ない。

考えてみると、この歌には人の気配というか、体温が感じられないのである。

これは決してけなしているわけではない。

楽しい心や胸の血潮などを歌っていても、人の気配が感じられないというのは、

実はこの歌は逆に深い虚無感を歌っているのではないか、と思うのである。

人生に対して何らかの絶望感を抱いている人が、ふと見上げる丘の上の青い空に、希望のようなものを感じる。

あの丘を越えれば、あの青い空に近づけば、何か人生への希望を取り戻せる。

そんな気持ちが、刹那の感覚に過ぎないことは知っている。

しかしその刹那の感覚にすがりたい。それほど虚無は深いのである。

これは作詞者の島田芳文の持っていた感覚なのだろうか。

それとも作曲者の古賀政男の感覚だろうか。

私には分からない。しかし現にこの歌は、そんな楽曲として存在している。

名曲である。しかし見かけのシンプルさに比べて、深い歌だ、と私は感じている。

従って、無人の絵を描かなければならなかった次第である。

 


うたのイラスト(ズンドコ節)

2016-04-10 01:58:33 | うたのイラスト

 今でもコマーシャルで使われるから、知っている人は多いと思うが、もともとは「海軍小唄」という題名だったそうだ。

この、戦争末期の兵隊たちが歌っていた歌が本家である。

 その内容は、ドリフターズや氷川きよしさんの歌った歌しかしらない人(若い人ではそういう人が殆どだろう)には意外な、悲しい歌である。

 戦争に行く兵隊の歌である。

 送り出す人たちは、日の丸を振って万歳をして送り出す。そうしなければいけなかったのだ。列車に乗った兵は、車両の窓から皆に最後の別れの視線を送る。

その時に目に入るのである。ホームの陰で人に気付かれぬようにそっと泣いている、彼女(恋人)の姿が。

 決して忘れられないであろう姿である。そういう別れをして、その姿を脳裏に焼き付けたまま戦死した人も多かっただろう。ここには人間の本当の心情が歌われている。そうでなければ、戦時下にそれほど愛唱されるわけもないではないか。

 その歌詞は次の通り(作詞者不明なので、全歌詞を示します)。

1 汽車の窓から手をにぎり
  送ってくれた人よりも
  ホームの陰で泣いていた
  可愛いあの娘(こ)が忘られぬ
  トコズンドコ ズンドコ

2 花は桜木人は武士
  語ってくれた人よりも
  港のすみで泣いていた
  可愛いあの娘が目に浮かぶ
  トコズンドコ ズンドコ

3 元気でいるかと言う便り
  送ってくれた人よりも
  涙のにじむ筆のあと
  いとしいあの娘が忘られぬ
  トコズンドコ ズンドコ

 

 

 私以上の世代には常識みたいなことでも、若い人たちは教わらないから知らなかったりする。余計なお世話でも、一度書いておこうと思った次第である。


うたのイラスト(月がとっても青いから)

2016-04-02 20:01:30 | うたのイラスト

母の三回忌がもうすぐだ。もう二年経ったのだ。

時には母の時代の歌のことを書こう。

この歌を歌った菅原都々子さんが、先日テレビに出てこの歌を久しぶりに披露していた。

もうこの年配の歌手に、かつての美声を求めるのは無理だと思っていたから、

あんまり期待しないで見ていたら、昔とさして変わらぬ張りのある声で歌われたのには驚いた。

青い月夜に、好きな人と歩いた想い出の鈴懸の道を、

二人きりで遠回りして歩いていこうという(これが最後の、二人しての散歩なのだろうか)

本当に慎ましい恋の歌である。

恐らく短い、実らぬ恋だったのだろう。

たとえ「もう今日かぎり逢えぬとも」、

その「想い出は捨てずに」、

青い月の下、「君と誓った並木路(なみきみち)」を歩いて行く。

もしかしたら、あの時代の人たちの中には、

戦争に行く人とこんな別れをした想い出を持っていた人もいたかもしれない。

自分にそんな経験は無くとも、この歌の持つ慎ましさは、

あの時代の人には共感できるものだったろう。

そんなことを考えて聴くと、一種のいとおしさを覚えるのである。

 

 

 


うたのイラスト(「七つの子」)

2016-02-06 13:51:50 | うたのイラスト

今、カラスは何となく邪魔者扱いされているけれども、

本来は山に住んでいた鳥だろう。

野口雨情のこの歌詞は、本来のカラスの姿を歌っているのかもしれない。

 

山の古巣へ 行って見て御覧

丸い眼をした いい子だよ

 

カラスもほかの鳥も、人も、同じではないか。


うたのイラスト(「小さな竹の橋」)

2015-11-03 23:47:53 | うたのイラスト

懐かしのハワイアン。元々はアメリカのポップスだという。訳詞は門田ゆたか(柏木みのる、という名も挙げられているが、同一人物らしい)。

実はこれは想像上のハワイを歌ったものらしく、実際には無い地名が英語の歌詞には歌われているとのこと。竹はハワイにもあるが、日本より細い竹らしい。

しかしそんなことはいいだろう。想像上の土地をエキゾチックに歌う歌、というものは常に存在したし、人の想像力をかきたてる形式なのであるから、あまりうるさい事を言うものではない。今は何でも細かい情報がすぐに手に入れられるので、かえってこのような創造性を発揮することが難しくなったのはある種の不幸である。

「長い年も月も 色とりどり やがては消えて行く 赤いバラの花びら」という歌詞にはほのかな無常観がロマンティックに歌われていて、これは訳者の功績であろう(英語の原詩には無常観的なものは感じられない)。

と言うわけで、私もこの歌のイラストを手前勝手に描く。小さな竹の橋で出会った恋人、という元歌にある基本線で。無常観を出すのはちょっと無理かな。


うたのイラスト(「旅愁」)

2015-10-29 23:45:11 | うたのイラスト

誰でも知っている有名な唱歌。作詞は犬童球渓(いんどう きゅうけい)。

この歌は映画などでも使われている。特に思い出すのが、市川崑監督の「ビルマの竪琴」の冒頭シーンで、日本陸軍の兵士たちがコーラスするシーンである。

ビルマ戦線で戦い続ける、疲れ果てた兵士たちが、束の間の休息時間に唱歌を歌う。

その顔に色濃く浮かぶのは「望郷の念」である。歌っている兵士もいれば、黙して想いにふける兵士もいる。

その兵士たちの顔が、美しい。ひげ面の、疲れ果てた顔が、である。故郷を思う想念が、彼らの顔を幼児(おさなご)のように見せている。

 この歌は中国映画「城南旧事(北京の想い出)」でも使われていた。そのことはまた別の機会に書こうかと思う。

 今回は、「旅愁」を聴きながら思いにふける兵士の顔を描きました。


うたのイラスト(「空よ」)

2015-09-20 12:41:00 | うたのイラスト

 

白鳥英美子さんと芥川澄夫さんのデュオ、トワ・エ・モワのヒット曲。

故郷での幼い初恋と、その相手が今どうしているのかと思いを馳せる姿を描いている。

曲調の清澄さ、歌詞の清潔さ、そして何よりもトワ・エ・モワのハーモニーの美しさ。

ふるさとの野山で、固く手を握りあっただけの淡い恋の想い出(小学校の中学年か高学年ぐらいでしょうか)。

その後の消息は分からない。昔ですから、検索とかSNSとかツイッターなんてものは無い。ただその人を偲ぶだけです。

でも手が届かないから純粋に思い続ける、ということはあるわけです。

 

 

 

その女の子が今はどこいいるだろうか、と思う。でも、詳しい情報を知りたい、というのではない。

その子が今幸せに暮らしているなら、それでいいのです。そんな時代の、そんな心を歌った歌です。

 

 

 


うたのイラスト(「人を恋うる歌」)

2015-08-02 18:23:47 | うたのイラスト

この歌は、与謝野鉄幹の作詞である。作曲者は不明だという。

 

妻をめとらば才(さい)たけて 

みめ美(うる)わしく情(なさけ)ある

友を選ばば書を読みて 

六分(りくぶ)の侠気(きょうき)四分(しぶ)の熱

 

「才たけて」は、「才能があって」、「みめ美しく」は「姿が美しく」、「侠気」は「男気」の意味。

明治34年に発表された詩で、曲は他の寮歌などの曲が流用されたのではないかという説があるそうだが、詳しくは知らない。当時の書生や文学青年などに愛唱されたそうである。

 

この曲で思い出すのは、近年亡くなられた映画監督・新藤兼人のデビュー作「愛妻物語」で用いられた印象的なシーンである。

映画は、新藤監督の自伝的な物語で、まだ新人シナリオ作家であった彼の糟糠(そうこう)の妻・久慈孝子さんとの物語。孝子さんは監督が日の目を見る直前に肺の病で亡くなるのだが、貧窮にあえぐ暮らしの中、夫の才能を信じて懸命に支える。

新藤青年(映画では沼崎青年)は、大監督の坂口監督(溝口健二がモデルという)に「君のシナリオはただのストーリーだ。」と厳しく批判されて落ち込むが、一念発起、世界中の戯曲を読破してシナリオを勉強し直そうと懸命になっている。

ある冬の晩、沼崎は隣の長屋(?)に住む染物の職人に励まされる。何事も辛抱が肝心だ、と。そして職人は歌を歌おう、と言ってこの歌を歌いだす。沼崎も一緒に歌う。

そこへ金の工面で出掛けていた妻が、小雪のちらつく中帰ってくる。戸を開けて家に入るが電気は点いておらず夫もいない。安普請の壁から、お隣の歌声が聞こえてくる。夫の歌声である。

 

妻をめとらば 才たけて

みめ美しく 情けある

 

妻は暗闇の中で、立ったままじっと聴いている。ガラス戸の外には、ちらちらと雪が舞っている。カメラがその雪をしばらく映す。それがフェイドアウトしたかと思うと、白雪は満開の桜花に変わって、春のシーンへ移っていくのである。

 

こんな見事なシーン変換を見たことがない。監督の才能を観客は本当に観るのである。そしてこの歌も記憶に刻まれるのである。


うたのイラスト(林檎の木の下で)

2015-07-19 13:49:14 | うたのイラスト

 1905年作曲の古いジャズの曲。

 「上海バンスキング」で吉田日出子さんが歌ったアルバムをよく聴いていた。

 門田ゆたかさんという方が日本語詞を付けていて、その感じがとてもよい。

 リンゴの木の下で恋人どうしが囁く。

「黄昏(たそがれ)赤い夕陽 西に沈む頃に 楽しく頬寄せて 恋をささやきましょう」

 という歌詞がシンプルで愛らしい。

 門田さんは「東京ラプソディー」とか「東京の花売娘」なんかを作詞した方ということで、その人柄が偲ばれる作風である。

 時々カバーされるというのも、この曲が名曲である証拠だろう。