人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

通る、開かれるということ

2025-03-16 06:05:20 | 意識、照明
初夏を思わせるようなバカ陽気から又一変して厳寒のような気候に...
これでは身体も開いたり閉じたり、伸縮のバランスが崩れそうになりますね。

私はよく神的なものが臨み、思いが超えられてゆくような意識状態を感覚的に、“滞るものが抜かれる、通る“、“開かれる“とか言い表しています。
これは、言うまでもなく、“通らない、つまる“、“閉じる“状態というものがあるからそう言える訳なのです。
それは、考えている状態のことではあるのですが、何を考えているのか分からないこともあったり(笑)で、まあ、頭だけの私だけになってるようなことです。何も考えてないのにそうなるのは昔からあって、常人離れした(?)私にはお馴染みなのです。
これは、やっぱりこういう寒気の影響というものはあるようです。どうしても心身ともに“つまる、閉じる“感じになってしまう。
こういう時は(せんべいのようであまり暖かくは無いですが)、フトンにくるまるに限ります。
すると、自然と意識は祈りモードとなり、テキメンに“通る、開く“という感じになります。
これは、言葉に言い表せない、そうした感覚的なことなのですが...何かに迫られ、ビシッと押され、圧をかけられるような感じになるのです。(いつも、この感じが伝わらないかなあ、と思って書いています)
こう書くと、何だか“通る、開く“ような感じのものは伝わらないでしょう?
そう、縮まってゆく、自由を奪われた感じになってしまうのです。
ところが、それが同時に“通る、開かれる、自由になる“状態として感じられることなのです。
改めて、こういうことを書いているのですが、普通に考えればオカシイですねえ...
しかし、これはよく考えれば、頭だけの思考機能が“通らない、つまる、開かれない“状態に追いやられることを物語っているのではないかと思われるのです。
はは~ん、こういうことだったのですね?、表側と裏側の関係というのは!...
一方で生きることは、他方では死ぬようなことみたいな関係になるという...
で、どっちの“通る、開く“ことが本当にそう感じることかと言ったら、そりゃもう分かりきってますよ!
愛、安らぎとか幸福感が伴っている方に決まってるでしょ!
それは、頭だけの私からはけっして与ることは出来ません。全的な私に関わることなのです。
だからといって、部分は要らないという訳じゃありません。全的なものあっての部分なのでしょう。
又、いつも思考を超えるとか言ってますが、それは単純に思考を無くさなければならない、ということでは勿論ありません。
頭の思考だけになってしまうことが、“つまらせる、閉じて“しまう要因なのでしょう。
つまり、すべての私、主なるものと切り離されないことが重要なことなのです。
今、閉じた状態から開いた状態に、テキメンに変わったことを通して、改めて気付かされたことなのでした。

コメント
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