人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

"じんじん"と"ざわざわ"の違い

2020-02-02 10:37:26 | 雑感
昨日深夜、ブログの記事で、"地殻が鳴動しているのを感じる...なんてこと書いて、ウトウトしていたら、突然の緊急地震速報i
ビックリしたのなんのi...携帯、端末、ラジオすべてがウナってました。
幸い、大したことは無かったのですが、寝不足になってしまいました。
いや、それにしても情報があらゆる媒体とつながっていて、すぐ伝わるのには驚かされるばかりですね。
今、もっとも情報が瞬く間に広がっているのは、新型肺炎のことです。おそらく見えない事態は、人知れず進んでおり、最近になって表面化してきたのでしょう。
ちなみにですけど...私が昨年11月、長きに渡る風邪、発熱に見舞われた時、とにかく鼻、喉、胸の辺りがつまった感じが抜けなくて苦しんでいたのですが、直ってから医者にその事を話してみたら「どうも、肺炎か気管支炎にかかってた疑いがありますねえ」何て言われました。その頃は"コロナ"と言えば皆既日食か、車の名前のことしか思い浮かばなかったのですが...

どうも、最近は地殻のこともそうなのですが、物事の相関性とか、即応性というものがどんどん増してきている感じがします。
善きにつけ、悪しきにつけ容易に他からの影響を受け安くなっている...逆に言えば、こちらから発したことが、そのように他に影響を与えている、ということでもあるのでしょう。
人の思いにしても、あるクセの強い念(例えば、人を貶めようとか、人の心身を勝手に操作させるとか、自己顕示欲に駆られたような)に接すると、すぐに"ざわざわ"と、それに反応して、心が落ち着かなくなって平静さを失ったりしてしまったり(要するにこちらの修行が足りないのでしょうが...)することもあるものです。
そもそも、そういうものに関わらなきゃいいのですが、そうなってしまうサガというものもあるのでして...
これを放っておくと、どんどん深みにはまり、頭も胸も何かがつまったようになり、何かが遮られるという苦しみに見舞われます。
"通らない"、"照らされない"という苦しみに...(そうなんですi 私の "あれ"は、ほとんど身体的な苦しみだったのですが、それが心身すべてに及ぶもの、ということは示されていたのですi)
こういう見えないインフルに対しては、私の場合、とにかく祈る、思いを思いを超えたものー神的なものに向けることです。
すると...本当にすぐに"通ってくる"ものがあるんだから不思議です。"じんじん"と..."パッi"と...
ここで書いていることは、正に今の状態のことを書いているのに他ならないのですi
何が通るかと言ったら、風邪の淀んだ空気を浄化する、愛と平安を運ぶ風です。
私はこのように思いが滞ったり、意識が中心から離れたりすることと、風通しよく、意識が自ずから中心に安定してくることを言い表すのに、単純に"じんじん"、"ざわざわ"と使い別けているのです。
その違いはそこに愛、平安が感じられるか、どうかの違いに尽きるのですi

こうして他に向けて何かを発信していることは、他からの影響、他への影響が交錯する場に足を踏み入れていることを思えば自戒の念を感じずにおれません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする