私も時折拝借させてもらっているのですが、グーブログの編集部からいつもブログのお題が出されるのです。
直近のものはこんなんでした。
「コスパの良い神コスメを教えてi」
私には何のこっちゃサッパリ分かりません。コスパ、デパコス、コスメ? それは何かの呪文ですか?
文節がどうなっているのかさえ分からない。
良い神コスメがお告げで何かを教えているのでしょうか?
それで昨日首をかしげたり、頭を抱えているうち、ある異端の文書がノコス(ノーコスト)で手に入りました。(またあi?)
何でも"シタデル"という謎の古代宮殿から発見されたとか...
ソフィアという汚れなき女神の箴言だそうな...
律法、戒律、掟...宗教には付き物のそんな風のことが書かれています。
こういうのはしかし、ほとんどおっかない支配者、権力者、厳しい家父長制の父親とか男性をイメージさせる神が告げたりするもので、愛らしき女神というのは全くそぐわないですね。
これは、おそらく(なんつって...)あらゆる、そうした外から我々を律しようとするものに対する逆説という意味合いが込められているのでしょうね。
書いた人はよほどそういうものに苦しめられ、恨みを抱えていたに違いない?
神サマは恐ろしい...神に背き、神の目にとまると恐ろしい裁き、滅び、地獄落ちが待っている...
こういう神のあるイメージを逆手に取っているのでしょう。
我が最大の戒めは、愛し、愛されること...そんな戒律ある訳無いi "ねばならぬ"愛など死滅するっきゃない。
"私だけを見てi" 神は命がけの愛を迫るように告げる...
しかし、強いられた愛は女神は一切受け付けてくれないでしょう。
それは全く自由な内奥からの発露でなければならないのです。
神というのは私という個人だけを愛していて、極めて人間的な愛業みたいなものを感じさせますが、そういう偏愛があるのかどうか知りませんが、神との関わり、交わりが如何なるものかは、私やあなたしか分かりようがありません。
他人が成り代わって語っているようなものは、きっと"あだし神"のカタリにすぎないのでしょう。
あだし神...異なる神、他の宗教...そういうものを信じちゃ、惹かれたらイケナイことなのか?
いや、そこに理屈抜きに惹かれてやまないものがあれば、それは"純愛"なのであって、神との間にセクト主義、宗我意識を差し挟むことこそが異教を拝すること、偶像崇拝につながるという。
全く個人的なつながりというものに普遍性が開かれるという、これ又逆説...
おおっと...こういう風に余計な注解をしてちゃいけないんでした。
おせっかいながら、くれぐれも従っちゃいけませんi....イケナイ?
何だか分からんうちに、ついイっちゃっただけです。
直近のものはこんなんでした。
「コスパの良い神コスメを教えてi」
私には何のこっちゃサッパリ分かりません。コスパ、デパコス、コスメ? それは何かの呪文ですか?
文節がどうなっているのかさえ分からない。
良い神コスメがお告げで何かを教えているのでしょうか?
それで昨日首をかしげたり、頭を抱えているうち、ある異端の文書がノコス(ノーコスト)で手に入りました。(またあi?)
何でも"シタデル"という謎の古代宮殿から発見されたとか...
ソフィアという汚れなき女神の箴言だそうな...
律法、戒律、掟...宗教には付き物のそんな風のことが書かれています。
こういうのはしかし、ほとんどおっかない支配者、権力者、厳しい家父長制の父親とか男性をイメージさせる神が告げたりするもので、愛らしき女神というのは全くそぐわないですね。
これは、おそらく(なんつって...)あらゆる、そうした外から我々を律しようとするものに対する逆説という意味合いが込められているのでしょうね。
書いた人はよほどそういうものに苦しめられ、恨みを抱えていたに違いない?
神サマは恐ろしい...神に背き、神の目にとまると恐ろしい裁き、滅び、地獄落ちが待っている...
こういう神のあるイメージを逆手に取っているのでしょう。
我が最大の戒めは、愛し、愛されること...そんな戒律ある訳無いi "ねばならぬ"愛など死滅するっきゃない。
"私だけを見てi" 神は命がけの愛を迫るように告げる...
しかし、強いられた愛は女神は一切受け付けてくれないでしょう。
それは全く自由な内奥からの発露でなければならないのです。
神というのは私という個人だけを愛していて、極めて人間的な愛業みたいなものを感じさせますが、そういう偏愛があるのかどうか知りませんが、神との関わり、交わりが如何なるものかは、私やあなたしか分かりようがありません。
他人が成り代わって語っているようなものは、きっと"あだし神"のカタリにすぎないのでしょう。
あだし神...異なる神、他の宗教...そういうものを信じちゃ、惹かれたらイケナイことなのか?
いや、そこに理屈抜きに惹かれてやまないものがあれば、それは"純愛"なのであって、神との間にセクト主義、宗我意識を差し挟むことこそが異教を拝すること、偶像崇拝につながるという。
全く個人的なつながりというものに普遍性が開かれるという、これ又逆説...
おおっと...こういう風に余計な注解をしてちゃいけないんでした。
おせっかいながら、くれぐれも従っちゃいけませんi....イケナイ?
何だか分からんうちに、ついイっちゃっただけです。