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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

この“み“を通して...

2025-01-16 01:32:39 | 雑感
巷では、今年の夏頃に何か大変なことが起こるだろう、とある予言を元に不安をもたらせるような情報が飛び交っているようです。
例の反面教師の画伯なんかは、今年は必ず次元上昇が起こる、それも天変地異とかカタストロフィが伴うものであるように信じ込んでいて、恐怖を煽るようなことを書いているのです。
この御仁、これまでに何度も、いついつにそういう次元上昇が起こる!、皆さん覚悟はいいですか、なんて書いていて、それが起きなかったら、“間違ってました、訂正させて頂きます“、とマヌケなことを何度も繰り返しているのです。
半世紀近くも、五井先生の“消えてゆく姿で世界平和の祈り“という教えに従っているらしいですが、あまりそれに熱心でなかった私でも、それは全く五井先生の道からはズレたものだ、というくらいのことは分かるのです。
そういう事象は起こるかもしれないし、起こらないかもしれません。然るに分からない巷の流言に囚われて、やたらと不安な思いにかられてしまうことは無駄なことなのです。
勿論、いつ何時、隣国からミサイルが飛んで来るか分からないし、巨大地震が起こるかも分からないです。しかし、こういう時こそ、地に足を着けることを意識することが大事なことではありませんか?
日本の古代文化などの研究をされている、井戸理恵子女史も動画で、今年の巳年にちなんで蛇は大地性とつながるということを言われていました。
又、巳とは身につながりましょう。身といっても、それはこの肉体だけのことではありません。井戸女史も言われるように、先祖などともつながるものでしょう。
目に見えないもの共々がこの身なのではあるまいか?
それを感取することは、観念、空想、妄想に浮くことではありません。
地に足を着け、具体的に自己(それは考えている自分のことのみではない)に即して感じるということです。
それで私自身に感じられることは、そういう不安感をつのらせるものばかりでは無い!
いよいよ持って、私を超えて、私に内在するものとのつながりがこの身を通して、ジワ~ッと蛇のように迫って来るようではないか?!
この年末年始私は蛇のようにシツコイ、インフルにかかり、あまり無駄に外出することなく、寝床で蛇のようにくねくねしてるばかりなのでした。
そこで、とにかく性懲りもなく祈りとも瞑想ともつかないことをやる、やらされていたのです。
すると、蛇のようにクンダリーニが上昇?...するのかどうか分からないが、何か蛇のような生命力みたいなものがこの身を通して顕わになることが数度あったのです。
このように具体的に感取されたものを通してかく言わされるまでです。
巷に飛び交っている流言などの観念ごとで、浮ついた興味本位な思い、不安な思いは消えてゆく姿として(明るい、プラスな思いに切り替えよう!...なんてことは私は言いませんが)、(消えてゆかない)自分自身に即したことを意識すれば、思いを超えた恵み、喜びを時には蛇のようにジワ~ッと迫るように、あるいは、あなたの運命のその時には、“シャア~ッ“と思いもかけない瞬発力(これも蛇なんだ!)を見せて、あなたを捉えてしまうでありましょう。そうなったらあなたはもう逃れることは出来ません!
それは、あなたの主と一つになる運命の時なのだから!
たとえ、世の中がどうなろうとも!...
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今年一番印象に残っている出来事は?

2024-12-29 14:43:55 | 雑感
今年一番印象に残っている出来事は?...
無いですね!
おしまい!...

な~んて、そりゃね、年明けいきなりの能登の震災のこととか、世の中の重大ニュースとかありますよ。
でも、こういうことは、もっと直接感じた、ごく個人的な出来事ということになってしまうんです。
例えば、“街で偶然出会ったあれが予想外にナニだったので、思わず興奮した!“、とかそういうことなんです。
ところが一番となると、これがねえ、思いつかんのですよ。
あ、そうそう、昭和47年の日本レコード大賞(毎度古くさてすまん!)は「ちあきなおみ」の歌った「喝采」て曲なんだけど、これがリリースされてからの最短記録だったって話、つい最近まで知らなかったんですよ!
ど~りで、あの時は、“何で聞いたことの無い曲が受賞したのか?“って首をかしげてましたっけ!...しかし、そういう話これまで聞いたこと無かったの私だけか?
これって、今年一番印象に残ったニュースになるん?...
それよりも、今、今のことなんですよ!...午前中どうしても体調がイマイチで、あれが感じられなかったものが、何かパ~ッと開かれたようになってきましてね。いつものことなんですが...
え?...いつもこういうことが起きてんのか!...
んじゃ、いつも起きてない時はどういうことになってんのよ!
きっと、今年一番印象に残った出来事の候補になるようなこともあるんでしょう?
だけどね、こういうことがあるとね、印象に残らなくなるんですよ。
ああいうことも、こういうこともとにかく思いを超えたものに包まれたようになり...
印象はこのことによって、何かスポイルされるようになってしまうんです。
そういうことがいつも起きちゃう訳!
そのうち、どれが一番印象に残るかってことは、余程爆発的だったり、キョーレツだったりしない限り、どれがって言えないですよ。
これはつまらないことなんだろうか?
いや、つまるとかつまらないとか、いいとか悪いとか...あのねえ、悪い方に印象に残ることも残らなくなるんだから、こりゃきっといいんでしょう!
ずっと毎年こんな感じなんだ...いや毎年とか毎月って問題じゃないけど...

という訳で、皆さんも今日が、いや毎日がいい日でありますように!...



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もう負けたわ!

2024-12-26 07:40:01 | 雑感
ついこないだ、風邪をこじらせたことを書いたんだけど、ずっと良くも悪くもならず小康状態が続き、数日前、無理して仕事に出たのが悪かったのか、今度は高熱が出てもっとも酷い状態になってしまいました。
さすがに医者に診てもらったら、何とインフルエンザAにかかっていたのです!
ずっとかかっていたという訳ではなく、その悪化したと思った時にかかったんだそうです。
こんなことは恥ずかしいので書かんでもいいのですが..
現実にかかっちゃったんだからしょうがない!
もう、アタシャ負けましたわ!
そうです。私は、とても身も心も弱い人間なんです。
自分を強く見せようと、精神力とか気力なんて言ってたってしょうがない!
弱いんだからしょうがない!
それが現実なんだから、受け入れるしかありません!
苦しかったら医者にも行くし、薬も飲みます。
で、医者が「今、何か薬飲んでますか?」と訊くので、「ハイ、“改源“を少々...」と答えると、するとその若ハゲのセンセ「あんなの鼻クソみたいな薬です!」と言い放ったので、「な、ナニイ?...」改源のカタを持つ訳じゃないけど「でも、あれ効くぞ!」と私。
「そう、思うんなら飲むのは自由ですから」「いや、思ってるだけじょなくて現実に効いたこと何度もあるぞ!」と、やってたら「分かりました。ではこちらの処方箋出しますか、どうしますか?」となり、「折角だから...」(飲んでやることにしよう!)で落ち着いたのでした。
こういうところは結構強きな私。思っているだけのことにされて、現実をねじ曲げられるのがイヤなんです。
で、その“とんぷく“を飲んでみたけど、やっぱり改源の方が効いたではないか!(思っているだけかな?)
で、こういう状態の時というのは、あの“臨在感“が感じられなくなる、閉じられた感じになるとこないだも書いたのでしたが...
これがちと違った!
ものすご~く開かれた、解放系に向かっているのです。
ちょっと浮いている感じはあるんだけど、幸福がこみ上げて来る感じです。
だからもう、精神力とか気力のことなんかどうでもいい!
そういうものは“思っているだけのこと“にして、現実を覆い隠してしまうだけでしょう。
現実の前には...もう、負けましたわ!
現実というのは、リアルなことで、そう感じている、感じざるを得ない、受け入れざるを得ない私がいるということです。
受け入れ難い現実とはちと違うのですよ。“受け入れなくっちゃあ“ってもんでもありません。それは自分の思い、力によりかかっていることなんですから。(改源に拘ることでも無いですが、あの解放系に向かったのは、その効果が全く無かった訳でも無いでしょう?)
そうならざるを得ないものの現存、現臨...もう、負けるっきゃない!
もう、トシだし...トシとらな分からんこともある!

それにしても、今度のインフルの猛威は、想像以上のものがあります。
くれぐれもご注意を!...


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幸福とゆだねること

2024-12-13 09:34:22 | 雑感
人間の幸福って何でしょう?
思うに、まず幸福であったのは、どういう状態だったのかをよ~く考え、感じてみたらどうでしょうか?
それは、何か無条件で何かにゆだねてしまう、休らいでしまうようなことではないでしょうか?
すやすや眠っている赤ちゃんなんかを見ていたら分かりますね。
だから当たり前の話、一個なる自分だけからは幸福になれないということなのです。
小春日和の時など、公園のベンチに座ってのんびりしていると、何かにゆだねるようになり、どっからか幸福感に満たされてしまいますね。
それは、暖かい日差しから来るものなのか、母なる大地に乗っかっていることから、空や草木や動物たちからもたらされるものなのでしょうか?
それも勿論あるでしょうが、そういう外的な要因だけでは説明のつかないものもあるはずです。自分の中からも、そういうものが込み上げてくるのを感じられるでしょう。
いや、自分の中も外もすべてそういうものに包まれているようではないか!
神というものを持ち出さなくても幸福というものは、自分を超えたものからもたらされていることは誰だって分かることでしょう。
幸福であることは、かくも自然な状態なのです。
だから、人間存在はそれのみから成っているのではなく、それを超えたもの共々が本来の人間の在り方ということが言えるでしょう。
その超えたものにゆだねていることが幸福な状態なのです。
人間は、“おぎゃあ“、と生まれた時から、何かにゆだねないと生きられないように、中からそう促されているように作られているのでしょう。
そして、ゆだねている時、自分の思いが解き放れているということに気がつくはずです。
しかし、夜になったりすると、暖かい日差しや大地や空などゆだねるものが無くなってしまうのでしょうか?
それで、寂しくなったり、不安に感じる人も多いかもしれません。
しかし、そういう時こそ、そのそういう要因だけでは、説明のつかない、あの感じのものがより強く感じられるようになるのです。それだけに意識が向けられてしまう、思いが自然に離れてしまう...より意識的な状態になって来ます。
ここでは、神とか現臨といったことには敢えて触れないようにしています。
あなた自身が現実にどう感じているか、ということだけが肝心なことなのです。
どう考えても、どう感じてみても、一コの自分だけで生きている、なんてのはどうかしているのではありませんか!
それでは、人間には自由意志があるというよりも、一コのイシころみたいなものじゃないですか?
今の私は、僅かの期間でしたが“あの感じ“を失い、そして失地回復して、こういうことを書かずにおれない気持ちで一杯なのです。
神を信じる人にも信じない人にも、道を極めた人(ネハンの人?、それともゴクドウ?)にも分かるように書いたつもりです…。
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人間の筋道

2024-12-11 10:04:46 | 雑感
“果報は寝て待て“、と言う...
私の力ではどうにもならないんだから、そうするより仕方ありません。
しかして!...
はあ、“き~ん“という耳鳴りと、“ぶ~ん“というものが混じったような耳鳴りちゅーもんがあるんねんな?、だんだん“きんきん“してくるみたいでっせ!
ってーことは!...まだ完全な状態では無いけれど、一晩寝たら回復しました。
“通った!、開かれた!“...昨日の“あれ“は何だったのだろうか?
昨日は昨日で、“今までのあれは何だったのだろう!“、なんて思ってましたっけ...
復旧、回復したのです。ということは本来の状態に戻ったということなのです。
通らない、開かれない、というのは病気、機能不全ということなのです。
愛、安らぎが感じられないということは!...
私だけにはそれが感じられるのよ!...って、そうじゃないでしょ、全人類の皆さん!
人間は、皆幸福を求めて生きてるんじゃないのけ!
それをどっかで感じてるから、懸命に、健気に生きてるんじゃないのけ!
それはそうと、何故に、さっきから関西弁やら広島弁のちゃんぽんのようなのが出てくるん?(わて、関西弁と広島弁の区別つかんさかい、こらえてつかあさい!)
それはですね、先日数十年ぶりに「仁義なき戦いー代理戦争」という映画を観たからなんであります。←(ええ、カッコしてけつかる!)
どうも、それから様子がおかしくなってきたようで...
あの映画の世界こそ、人間の本来性を欠いた、その病的な世界を克明に写し出していると言えるでしょう。(何故に梅宮の辰ちゃん、眉毛無いのよ!)
“これが男の生きる道じゃあ“って、義理だの筋道だの“おどりゃあ、いてこましたるう!“ことに、んなもん無いでっしゃろ!
あるのは、やられたら、やり返す、やったら、やり返される、という因果応報の世界だけ。強いもんがちの世界...それは、男だけの世界になるとそうなってしまうということでしょう。
男だけの渡世の行きつくところ...戦いに明け暮れるしかない。そして、この世界には戦いが絶えることは無い!、それは又人類滅亡の危機にも及ぼうとしている。
そんなに自滅の道を行きたいのなら、自滅したい人間だけで決着つけたらええやないの!
これは、重大な病理、機能不全という他ありません。
勿論、そこには神も仏も無い、恩寵から見放された世界しかありません。
神も無いとは、人間らしい人間が居ないということなんですよ!
だから、本当の、本来の人間の筋道が通らなあかんのです!
それは、一コの意味もなく、“ぎゃあ、ぎゃあ“言ってる人間からは始まって来ません。
“きった、はった“って、めんどうなことばかりやらかして、何が楽しい、何が幸福なの?
幸福であることは、自分を超えたものと共にあるということでしょう?
(あの映画の主な登場人物で一人だけ共感出来たのは、“めんどうなことはいやだな“、と潔く組から出て行った、成田三樹夫さん演じる、インテリヤクザの松永だけです)
私の僅かな機能不全に陥っていた間、身を持って“あれ“を感じられなくなって、こんなことを考えさせられたのでした。




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