義父の友人夫妻が、カナダから来ている。
昨年の秋、カナダに自転車のツーリングクラブの遠征があったときにルームメイトになり、意気投合したそうだ。
他国の人と、なんの支障もなくコミュニケーションができるなんて、日本人の私からすればズルイと思う。
英語よりもずっと複雑で奥深く難しい日本語を完璧に話せる私たちが、英語しか話せない人たちなんかに劣等感を抱くなんてばからしいじゃないか。
たまたま、英語圏に生まれただけで、世界の主要なところではどこでも母国語が通用するなんて、不公平だと思う。
先週、職場内を歩いていたら、60代白人女性に声をかけられた。
「Do you speak English?」
英語が話せなくてどうやってここで働くのさ!というのは心の声。
それでも嫌味をこめて、
「I think so(話せる、と思うけどね)」
と言ったが嫌味はまったく通じず、質問責めにあった。
劣等感をもつのは、私の僻みゆえだろう。
英語が共通語なのは、英語圏に生まれた人のせいではないのだし。
私の父がハワイに来た時に、義両親に対してずっと日本語でペラペラと話しまくっていた。
ガレージにあったカヌーを見て、義父に
「リバー(川、と言いたかった)?」
と言ったのだが『肝臓』になってしまい、義父が首をひねっていた、ということもあった。
それでも父は楽しそうに日本語で話し、義両親はわからないながらも相槌をうち、それは社交的で明るい父なりの、押し黙ったままでは悪いという気の遣い方だったのではと思う。
昨日、ホノルルのドラッグストアに行ったら、日本人の女性が店員に、
「Where is 綿棒?」
と言いながら、耳の横で指をくるくるまわした。店員は一瞬考えたあと、「!!」という表情になり、正しく綿棒のある場所を指さした。
ちなみに綿棒はキューティップという。
英語圏がなにさ。
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