太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

カレーライスとらっきょう

2019-02-19 07:59:26 | 日記
普段は、思い出として記憶の引き出しにおさまっていることが

なにかのきっかけで、強烈な感情とともにあふれ出してしまうことがある。

先月、日本に行った時、夕暮れに住宅地を歩いていた。

そこは古い町で、しゃれた家と昔ながらの家が混在している。


かぽん


どこかの家のお風呂場から、入浴剤だかシャンプーの匂いに混じって、桶を床に置く音が聞こえた。

その瞬間、記憶が弾けて、木のお風呂とカレーライスとらっきょうが脳内に散らばった。





幼馴染の家は、家の前の砂利道をはさんではす向かいにあった。

長男が姉と同じ年、妹が私より1歳上で、私達は親戚のようにして育った。

小学校に入るまでは、それこそ毎日、どちらかの家で遊んでいた。

幼馴染の家には、まだ土間があり、背中の曲がったおばあちゃんがお釜でご飯を炊いたり、

大きな瓶で漬物を漬けていた。

遊びほうけてご飯どきになると、お風呂をよばれた。

お風呂場の引き戸をあけると、風呂場の床はずっと下にあって、

家の床の高さまでの、長い脚の木のスノコが置いてあった。

風呂桶は木でできており、これまた木の桶でお湯をすくって体にかけると、

長い脚のスノコの下に、お湯がじゃあじゃあと落ちる。

私達はそれがおもしろくて、何度もお湯をかぶる。

「たいがいにしな。お湯がなくなっちゃうよ」

オバチャンが叫ぶ。

お風呂から出ると、ちゃぶ台にカレーライスがのっている。

私の家ではテーブルと椅子で食事をしていたから、畳の部屋に座って食べるのは珍しくて好きだった。

ホームドラマに出てくるような、丸いちゃぶ台を家族が囲んでカレーライスを食べる。

子供達が、らっきょうを取り合っている。

オバチャンが私の皿にらっきょうを取り分けてくれた。

家でらっきょうを食べたことがなかった私は、初めて見るソレにおののいたが

残すのは悪いので口に放り込み、飴玉のようにしゃぶった。

甘酸っぱい味と、えぐい味が同時に染み出てきて、美味しいとは思えなかったけれど

カレーの味に混ぜて噛み砕き、飲み込んだ。



ハワイに戻ってきて、日本のカレールウでカレーライスを作った。

福神漬けとらっきょうも買ってきた。

らっきょうは夫の好物だ。

マウイ島で採れる、マウイオニオンという甘い玉ねぎがある。

それをピクルスにしたものが、瓶詰めで売っているのだが、それがまさにらっきょうの味。

らっきょうが苦手だった私が、今はらっきょうを買い、マウイオニオンのピクルスを好んで食べている。





巻き戻して戻りたい過去というわけではない。

ただ、あまりに鮮明に思い出すので困惑する。

背中の曲がったおばあちゃんも、オバチャンもいなくなってしまった。

土間や木のお風呂があった家は、とっくに建て替えられた。

四本脚のついたテレビでは、クソ真面目な顔をしたアナウンサーがニュースを読んでいた。

オバチャンが切ってくれたスイカの、1番厚い一切れを奪い合い、

縁側からスイカの種を飛ばしっこした。

「いつまでいるだね。いいかげんに帰ってきな」

そのうち母が迎えにくる。

お勝手口から外に出ると、ドブ川の上にたくさんの蛍が飛んでいた。

50年も昔の話である。















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