古い話であるが、2月20日のブログで、社会福祉研究者は新たなテーマや課題に取り組むことに対して無関心なようなふりをし、他の専門領域と他流試合をすることを好きとしない、「食わず嫌い」が多いのではないかというようなことを述べた。この時は、在宅ケアに関する研究組織である日本在宅ケア学会への社会福祉や介護の関係者の参加が極めて弱く、その参加を呼びかけたことから書いたものであった。日本在宅ケア学会は学際学会として活動しており、現在私が理事長であるが、依然として看護の方々が中心で、社会福祉や介護の研究者・実務者の参加が弱いことで責任を感じている。是非、社会福祉系の研究者や実務者にもご参加いただき、積極的に活動していただきたいと願っている。
さらに、4月10日に鈴木亘准教授の介護・保育の規制緩和論に対してコメントを書いたが、その後慶応大学権丈善一授からメイルを頂き、先生のホームページがあることが分かった。そこでは、以下のようなことが書かれてあった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3月16日に少し気になる文章が日経にあった。
それは、学習院大学准教授鈴木亘氏「経済教室 介護・保育 サービス拡大へ規制緩和」の中の次である。
「介護も保育も家族が行ってきた分野なのであるから、常識的に考えて高度資格が『全員』に必要だとは考えられない。実際、現場では、専門知識が無くてもできる単純労働も意外に多い」
人的参入規制を緩和すべきとする持論の根拠として論じているんだろうけど、どうなんだろ?
介護、保育団体が、黙っているところを見ると、これって、その通りなんだろうか。
その判断は介護・保育の専門家集団に任せるとして・・・
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
最後の「介護、保育団体が、黙っているところを見ると、これって、その通りなんだろうか」「その判断は介護・保育の専門家集団に任せるとして・・・」との文面である。これについて、実際に介護や保育の研究・実践を行っている者は、自らに降りかかってくる火の粉は自分で払い除け、「取るに足りない話」として無視するのでも、出来る限り論争を避けるということでもなく、議論なり意見を表明していく必要があると考える。
それは、利用者の生活を守っていくという使命を研究者も実務者ももっているからであり、社会福祉系の研究者や実務者は無口なのか、自分に自信がないのか、自らの殻の中で仕事をし、他流試合を好まないように思っている。結果として、「鈴木准教授の言う通り」というように世間には映ってしまうことになる。
是非、内弁慶を克服し、他領域と交流できる人材が必要であるが、これについて、鹿児島国際大学の古瀬徹先生は毎日何回か更新するブログ「坂之上の昼下がり」を運営されており、私にとっては大変勉強になっている。4月5日のブログで、私のブログ本を読んでいただいた感想から、学会誌や大学の研究紀要に書かれた論文は、一般には読むことができないが、ブログは誰でも読めるということで、ほかの社会福祉系の先生方にも広がることを書かれている。
相撲でも、出稽古ということで他の部屋に行って稽古をし、武道でも自分の道場以外で武者修行するように、外に向かっていくエネルギーがなければ、社会福祉は社会からその必要性があるとしても、学問的にも実践的にも衰退していくのではないかと危惧する。
社会福祉系の研究者や実務者よ、奮起せよ。
さらに、4月10日に鈴木亘准教授の介護・保育の規制緩和論に対してコメントを書いたが、その後慶応大学権丈善一授からメイルを頂き、先生のホームページがあることが分かった。そこでは、以下のようなことが書かれてあった。
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3月16日に少し気になる文章が日経にあった。
それは、学習院大学准教授鈴木亘氏「経済教室 介護・保育 サービス拡大へ規制緩和」の中の次である。
「介護も保育も家族が行ってきた分野なのであるから、常識的に考えて高度資格が『全員』に必要だとは考えられない。実際、現場では、専門知識が無くてもできる単純労働も意外に多い」
人的参入規制を緩和すべきとする持論の根拠として論じているんだろうけど、どうなんだろ?
介護、保育団体が、黙っているところを見ると、これって、その通りなんだろうか。
その判断は介護・保育の専門家集団に任せるとして・・・
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最後の「介護、保育団体が、黙っているところを見ると、これって、その通りなんだろうか」「その判断は介護・保育の専門家集団に任せるとして・・・」との文面である。これについて、実際に介護や保育の研究・実践を行っている者は、自らに降りかかってくる火の粉は自分で払い除け、「取るに足りない話」として無視するのでも、出来る限り論争を避けるということでもなく、議論なり意見を表明していく必要があると考える。
それは、利用者の生活を守っていくという使命を研究者も実務者ももっているからであり、社会福祉系の研究者や実務者は無口なのか、自分に自信がないのか、自らの殻の中で仕事をし、他流試合を好まないように思っている。結果として、「鈴木准教授の言う通り」というように世間には映ってしまうことになる。
是非、内弁慶を克服し、他領域と交流できる人材が必要であるが、これについて、鹿児島国際大学の古瀬徹先生は毎日何回か更新するブログ「坂之上の昼下がり」を運営されており、私にとっては大変勉強になっている。4月5日のブログで、私のブログ本を読んでいただいた感想から、学会誌や大学の研究紀要に書かれた論文は、一般には読むことができないが、ブログは誰でも読めるということで、ほかの社会福祉系の先生方にも広がることを書かれている。
相撲でも、出稽古ということで他の部屋に行って稽古をし、武道でも自分の道場以外で武者修行するように、外に向かっていくエネルギーがなければ、社会福祉は社会からその必要性があるとしても、学問的にも実践的にも衰退していくのではないかと危惧する。
社会福祉系の研究者や実務者よ、奮起せよ。
権丈先生のHPは、情報の発信が多いですね。
この日経の記事については、私も気にはなったのですが、「意味ある記事は取り上げ・賛意を表し、問題の記事は無視する」ポリシー?に従ってとりあげなかったのです。
日経を(財界よりということで)頭から無視する人もいますが、普段発言力有るサイドがさらに一方的な発言・寄稿をするのを座視していては、押しまくられるだけですね。
http://agora-web.jp/
登録制で記事を書けるので、批判や反論に対して正々堂々と議論する意志がおありなら登録してみてはいかがでしょうか?業界外の多くの方の目につくので、一般向けに自論を広げるのにも有効だと思います。
古瀬先生とは1年ほどご一緒したことがございますが、私は介護教育に携わっている者です。どうぞよろしくお願いいたします。
権丈先生のHPより
「介護も保育も家族が行ってきた分野なのであるから、常識的に考えて高度資格が『全員』に必要だとは考えられない。実際、現場では、専門知識が無くてもできる単純労働も意外に多い」
「・・・、主人公のめぐみが介護福祉士をしながら看護学校に通って看護師になるというのは、ちょっといただけないですね。簡単に看護師に成れると誤解されるかもしれません。」
(だんだん最終回から)
などという会話は、よく耳にするわけで、残念ながら、現在はそのような声のほうが大きいという現実があります。
しかし・・・
先日、悲惨な火災がありましたが、わたくしの教え子が隣接する施設で、亡くなられた10人の方のうち、5人の方とかかわっていました。
介護福祉士としてかかわってきた教え子の話を聴きました。それでわかったことは、ずっと日々闘っていた、ということでした。自分の施設の経営者に対して火災をおこした施設の経営者に対しても、利用者の処遇をめぐりおかしいのではないかと疑問を抱き、黙っていてはいけないと、自分の考えや意見をずっと表明し続けていたのでした。なおかつ、利用者に対しては自分の納得できる介護サービスを提供し、できうる限りの最善を尽くしていたのでした。介護福祉士として。教え子の言動の基準は、まさしく専門職倫理でありました。
さらに、将来を語ってくれました。私に絶対に教員をやめてくれるなと、自分もこれから勉強をするつもりだと、そうしたら、間違っていないことを証明できるだろうと言うのでした。このような出来事に遭遇しても、まったく挫けてはいませんでした。
介護も保育もたしかに家族が行ってきたことですが、社会化されるにあたり専門職が担ってきたわけです。私達は、その存在の意味を内外に明示する声をあげなければいけない、ということを専門職介護福祉士として日々闘っている教え子に教えられました。
このような教え子達の、実践を単純労働、資格を簡単になれる、よばわりされてはたまりません。このような認識がいつまでも変化しないことに、教育に携わっているものとして責任を感じます。
権丈先生に、しかけられた、「専門家の視点からの批判」現場でがんばっている教え子達を護ることでもあると思い、仕掛けにのってみようと思っています。専門家というには聊か役不足の感のある私ですが。。。
いきなりの長文大変失礼いたしました。