しるぼの独り言。。

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来年の干支「丑」その2

2008年11月10日 | 漢字
来年の干支は「うし」ですが、牛偏の由来もちょっと調べてみました。
http://www.k3.dion.ne.jp/~masatono/every/kanzi/syousai4.htm

牛 うし・うしへん
 意味;
 《解字》象形。牛の頭部を描いたもの。ンゴウという鳴き声をまねた擬声語であろう。
 例;牝(牛+匕<女性性器>=メスの牛)、牡(牛+土 ※元は『士』であった=男性性器)、牢、牧、牲(イケニエ) 等。

牛 うし
牛牟牢牽犁犀犇犂犖
牛 ギュウ グ うし 牟 ム ボウ 牢 ロウ ひとや 牽 ケン ひく 犁 リ レイ すき 犀サイ セイ 犇 ホン はしる ひしめ 犂 レイ ライ すき 犖 ラク まだら

うしへん
牝 牡 物 牧 牲 牴 特 牾 犒 犠 犢 犧

以下はウィキペディアから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF

十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称である。十干を天干というのに対して、十二支を地支(ちし)ともいう。

概説
古代中国で考えられ、日本に伝えられた。十二支は古く殷の甲骨文では十干と組み合わされて日付を記録するのに利用されている。戦国以降、日だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになる。

戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の一つであった十二辰は、天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分したもので、この名称には十二支が当てられた。また、木星が約12年で天球を西から東に一周することから、十二次という別の天球分割法における木星の位置が年の記述に利用されていたが、十二辰の方向と順序に対しては逆方向であるため、紀元前4世紀ごろ、十二辰の方向に合わせるべく木星とは一直径を境に逆回りに天球を巡る太歳という架空の星を考え、太歳の十二辰における位置で年を示す紀年法が使われるようになった。これが後漢以後に始まり現在まで使われている干支による紀年法の起源である。

また、12という数が1年の月数と同じであることから、月を表すのにも用いられるようになった。これを月建といい、建子の月は冬至を含む月、すなわち夏暦の11月、周暦の正月である周正に置かれた。

さらに、時刻(十二時辰)や方位の表示にも用いられるようになった。正午(昼の12時)、正子(夜の12時)、子午線(南北を結ぶ線=経線)、卯酉線(東西を結ぶ線=緯線)の称はこれに由来する。

十二支の各文字は、一説に草木の成長における各相を象徴したものとされる(『漢書』律暦志)。また、各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある。

日本における十二支

干支(十干と十二支)
十二支は古来、「甲子」「丙午」のように、十干と組み合わせて用いられてきた。字音から言えば、十干は「幹」、十二支は「枝」である。十干十二支を合わせたものを干支(「かんし」または「えと」)という。

「えと」という呼称は本来、十干を「ひのえ」「ひのと」のように、兄(え)と弟(と)の組み合わせとして訓読したことに由来するが、今日では、「干支」(えと)と言えば十二支のことを指すことが多い。この逆転現象は、干支のうち、五行思想とともに忘れ去られつつある十干に対して、動物イメージを付与されることによって具体的で身近なイメージを獲得した十二支のみが、現代の文化の中にかろうじて生き残っていることによると思われる。

現代の十二支
今日の日本では、十二支は、人々の生活との関わりが、近世までと比べて、ずっと希薄になっている。十二支が十干のように忘れ去られずにいるのは、ただ、年賀状の図案にその年の十二支の動物が多く使われることと、人々がその生まれ年の干支によって、「○○年(どし)の生まれ」のような言い方をする習慣が残っていることの2つがあるためであると考えられる。

また、十二支に因んで、12年(=144箇月)を1回りと呼ぶこともある。

古方位
東西南北の四方位が子・卯・午・酉に配当されるのに加えて、北東・南東・南西・北西はそれぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮」「巽」「坤」「乾」の字を当てる(→方位)。

北東を「鬼門」、南西を「裏鬼門」として忌むのは、日本独自の風習だが、(ウシのような)角をはやし、トラの皮のふんどしをしめた「鬼(オニ)」という妖怪のイメージは、この「うしとら」から来ていると思われる。

「辰巳芸者(巽芸者、たつみげいしゃ)」とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者を指す。この地が江戸城の南東に位置したことから。日本橋葭町の人気芸者、菊弥が移り住んで店を構えたことに始まる。幕府公認の遊里ではないために、巽芸者は男名前を名乗り、男が着る羽織を身につけたため、羽織芸者、また、単に羽織とも呼ばれたが、鉄火で伝法、気風(きっぷ)がよくて粋であることで知られた。

船舶航行時に使われた「おもかじ」「とりかじ」という言葉は、「卯面梶」「酉梶」から来ているとする説もある。

逸話
いつ頃生まれた話かは不明であるが、十二支の動物に関しての逸話がある。お釈迦様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てたというものである。

牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた鼠だった。
鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁していたため。

鼠は猫に挨拶に行く日を尋ねられた際に嘘をつき、実際よりも一日遅い日を教えたため、

猫は十二支に入ることができなかった。それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになった。

猫は鼠の嘘を信じて一日遅れて挨拶に行ったため、お釈迦様から「今まで寝ていたのか。顔を洗って出直して来い。」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。

13番目であったために十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思ったお釈迦様は、毎月の最初の日を「ついたち」と呼ぶことにした。ただし実際の「ついたち」の語源はこの逸話からではない。また、13番目の動物はカエルやシカであったという逸話もある。

ところで「ひしめく」という言葉があります。意味は

1 大勢の人が1か所にすきまなく集まる。また、集まって騒ぎたてる。「観衆がひしめく」
2 ぎしぎしと音がする。

漢字で「犇めく(緊めく)」と書きます。牛が狭い所に押し合い圧(へ)し合いしていて「ひしめいて」いる様子が伝わってきます。
昔の人はほんとに上手く面白く漢字を作ったものだなぁとセンスのよさを感じます。
V(◎ ◎)V←うしのつもり(;^_^A

調べていくと、五行陰陽説とかに繋がっていってきりがないのでここらで締めます(;^_^A