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しるぼの独り言。。

三重県四日市市でしがないパソコンインストラクターしてます。コメントはブックマークの足跡帳にどうぞ(*^-^*)

たけのこ その1

2008年04月25日 | 歳時記
毎月、教室で新聞を作っているのですが、季節の話題を1つ取り上げます。
そこで、いっちゃんのふるさと京都府向日市の名産(?)の1つとしてタケノコ(筍/笋)があるということで、ちょっと筍についてネットで調べてみました。

■筍(たけのこ)の特徴

●春の味覚を代表する食材です。
●成長が早く、10日(旬内)で竹になるといわれるところから「筍」の字があてられました。
●独特の旨みがあり、日本料理、中国料理で広く使われています。

■筍(たけのこ)の旬

●旬は4~5月です。生のたけのこは旬の明確な食材で、特に季節感を大事にする日本料理では春の味覚として喜ばれます。
●孟宗竹(もうそうちく)は3月中旬~5月頃まで、淡竹(はちく)がそれに続き、真竹(まだけ)や根曲がり竹(ねまがりだけ)が5~6月頃に出まわります。
●旬となる地域は、いわゆる「たけのこ前線」となって、南の地方から北上していきます。

■筍(たけのこ)の種類

●たけのこの種類は、約70種類程ありますが、一般的な食用のたけのこは、孟宗竹(もうそうちく)の若芽のことをいいます。

●孟宗竹(もうそうちく)

皮に茶色のビロードのような毛が生えているのが特徴で、最も味が良く、たけのこの代表格です。九州・四国から東北南部まで採れますが、土地により品質に差が生じ、味の良さで定評があるのは京都産のものです。大型で肉厚、実は白く柔らかで、えぐみも少なく、甘味を含んだ独特のうまみと、歯ごたえがあります。吸い物や和え物、煮物、揚げ物などに利用されます。

●淡竹(はちく)

5月頃、九州や関西地方から出回ってきます。耐寒性もあり、北は北海道南部まで栽培されています。原産は中国です。皮の色は赤紫色、茎は淡い緑色で白い粉をふきます。肉質が薄く、味はえぐみが少ない淡白な味です。

●真竹(まだけ)

関西、特に京都に多い種です。中国原産とされますが、日本に野生のものが自生していたとも言われています。皮は毛が無く、黒い斑点があり、民芸品や包装用に用いられます。肉質はやや硬めで、あくが強く、苦味もありますが、味は良いです。

●根曲がり竹(ねまがりたけ)

(別名)五三竹(ごさんちく)、千島笹(ちしまざさ)、篠竹(すすだけ)

日本特産の笹で、東北、北海道などが主な産地です。地方により呼び名がさまざまです。根元で茎が湾曲して立ちあがるために根曲がり竹の名があります。太さは1~2cm、丈は5~15cmぐらいで、山菜として出されることが多いようです。根元はやや固いですが、中身は白くて独特の風味と歯ごたえが味わえます。市場に出回るものはほとんどがハウス栽培で、自生するものは掘り出されてすぐに産地の朝市などに並びます。瓶詰めなどにもされます。
http://www.o-e-c.net/syokuzai/takenoko.htm より

「筍」は日本では「竹の子」とも書きます。その名の通り,竹の地下の根から出てくる子ども(若い芽)だからです。
 では,「筍」はどういう意味があるのかな?「筍」は「竹(たけかんむり)」と「旬」からできています。
 「竹(たけかんむり)」はもちろん「竹」を表しています。
 「旬」は「日」を「勹」(手でかかえるしぐさをする)包み込んでいますね。昔,中国では日の数え方が10種類ありました。それを包み込むということは数え方がひと巡りすることになります。そこで「旬」には「包み込む」「ひと巡りする」や「10日」という意味が生まれました。
(今でも一ヶ月を「上旬」「中旬」「下旬」のように10日ずつ分ける言い方がありますね。これは3000年も昔の習慣なのですよ。)
 「筍」は,皮が「包み込んでいる」竹の若い芽,あるいは伸びが早く,地上に芽が出て一旬(10日)で竹になることから付けられたのです。

 みなさんは,筍堀りをしたことがありますか?筍は地面に顔を出していない物がおいしいのですよ。でも,どうやって地面の中の筍を捜すのでしょうね。実は,筍堀りの名人は,ほんのわずかな地面の盛り上がりやひび割れを見て捜すそうです。すごいですね。

※日の数え方の10種類とは十干「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じ ん)・癸(き)」のこと。

風の煌めき(きらめき) > ことばの風 > 漢字 > 漢字の小話 > 生物の漢字 > 木の話 > 筍 より
http://www2.netwave.or.jp/~hamai/kanji/takenoko.htm

まさに竹の子、今が旬ですよね(#^.^#)

平成20年子年!

2008年01月03日 | 歳時記
以下はネットで調べたものを教室の新聞の記事にしたものです(*^o^*)

今年は子年。でも何故、「子供」の「子」と「ねずみ(鼠)」が関係するのか不思議に思ったことありませんか?
そもそもこの関係を知るには干支の本来の意味を知る必要があります。
私もこの歳まで本来の干支の意味を知りませんでした。
「干支」(十干(じっかん)と十二支(じゅうにし))の詳しい由来は紙面の都合上割愛します。

▼「未」は成長途上の植物の意

「子丑寅・・・」と数えて「亥」に終わる12進法の数え方があります。
その8番目が「未」に当たります。
この数詞は、元は「子(=種子)」から始まり「亥(=核、結実して芯ができる)」に至る「植物の発達段階を12段階に分けて表したもの」で、「未」は「まだ熟し切らない成長途上の植物」を表しています。
つまり「未熟」の「未」という意味です。
しかし、文盲の百姓に数を教えるには、難しい文字や言葉では不便なので、いっそのこと身近な動物の名を当てたらよいのでは、ということで、「ネズミ・ウシ・トラ・・・」と当ててゆき、8番目に「羊」を持ってきたというわけです。

▼子(こへん)

意味;子供。象形文字。
「子」の原字は2つあり、1つは小さい子供を描いたものです。もう一つは子供の頭髪がどんどん伸びるさまを示し、主に十二支の子(シ)の場合に用いました。
植物がこれから子を増やし生長しようとするタネ(種子)の状態を示します。
のちこの2つは混同して「子」と書かれるようになります。
例:孔、存、学。

参考サイト:
http://www.k3.dion.ne.jp/~masatono/every/busyu.htm
http://ww81.tiki.ne.jp/~nothing/index.html

干支に纏わる逸話がありましたよね(*^▽^*)
それではねずみが牛の背中にちょこんと乗っていったので一番になったんでしたよね。
http://www.eto12.com/junishi02.html

七夕と天の川

2007年07月07日 | 歳時記
今日7月7日は七夕。

ちょっと検索してたら七夕に関して詳しく書かれたサイトを見つけました。

http://yumis.net/tanabata/index.htm

さて、天の川ですが。。

牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて7月7日の夜を待つようになりました。ところが、2人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができなくなります。川下に上弦の月がかかっていても、つれない月の舟人は織女を渡してはくれません。.でも、そんな時は、何処からともなくかささぎの群が飛んできて、天の川で翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。

かささぎが2人の想いを繋いでくれるんですね

天の川の由来はギリシャ神話では、
女神ヘラはヘラクレスを非常に嫌っていたのですが、だまされて乳を与えたことがあります。自分が乳を与えた赤ん坊がヘラクレスだと気づいたヘラが地面に叩きつけると、赤ん坊は乳を吐き、その乳が天の川になったといわれています。
とありました。

それで、天の川のことを、ギリシャ語では「ガラクシアス(ミルクの道)」英語では「Milky Way(ミルキーウェイ)」といいます。銀河はgalaxyですよね。

ちなみに、ガラクトース (Galactose) は別名脳糖ともいい、乳製品や甜菜、その他のガム、および粘液で見かける糖の一種。名前の由来はギリシャ語で乳を意味する (Gala) からきているそうで、関連語ですね(^_^;)

夏の大三角形ですが、改めて調べてみたら
夏の大三角形は、天文、星座に関わる用語で、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブの3つの星を結んでできる、細長い大きな三角形をいう。日本など北半球の中緯度地域では夏によく見える。 だそうです^^
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/9444/tanabata2.htm

朝顔

2007年06月28日 | 歳時記
下記は教室の新聞の7月号の季節の話題用にネットで調べたものです。
6月の花といえば紫陽花、7月なら朝顔、8月なら向日葵だろうね、と生徒さんと話していました(^_^;)

▲ヒルガオ科の蔓性(つるせい)の一年草。茎は左巻き。葉は大きな切れ込みがある。夏の朝、喇叭(らっぱ)状の花を開く。東アジアの原産で、奈良時代に薬用植物として中国から渡来。江戸初期より園芸植物として栽培され、多くの品種が作られた。別名、牽牛花。槿花(きんか)。しののめぐさ。カガミグサ。朝顔は秋の季語。9月の誕生花。

▲開花時期は、7/1頃~10/10頃。朝のうちだけ開花。日陰にある場合は夕方頃まで咲き続けることもある。夏から秋まで長い間咲き続ける。様々な色で楽しませてくれる。 ▲園芸店などで売られている鉢植えは、「行灯(あんどん)づくり」が殆どです。(竹やプラスチック製の輪がついた支柱に蔓を絡ませて花を咲かせる方法) 

▲「朝顔 = 朝の美女」の意味。古代の中国では朝顔は高価な薬で牛と取引されたほどのものだったので漢名の「牽牛(けんぎゅう)」はそれに因み、牽牛子(けんごし)と呼ばれていました。一説に 牽牛星が夜空に現れる七夕の頃に花が咲くことから。今でも漢方では種子を下剤や利尿剤に使います。

▲朝顔の学名は"Ipomoea nil"。"Ipomoea"は「サツマイモ属」"nil"は「 藍色」。Ipomoea(イポメア)は、ギリシャ語の「ips(芋虫)+ homoios(似た)」が語源。物に絡んで這い登るところに由来。または、"Pharbitis nil"。"nil"がアラビア語由来で藍色を意味するように,東アジア原産で明るい青色の花を咲かせる。 アサガオ属Pharbitis(フアルビティス)はギリシャ語pharbe(色の意)に由来し、本属の植物には鮮明な色彩の美しい花をつけるものが多い。

▲朝顔の花言葉は「固い約束、愛情の絆、はかない恋、喜び溢れ(白)」。 
▲朝顔は茶花として挙げられる草花の一つですが、この花に纏(まつ)わる千利休の「朝顔の茶会」という話があります。 
▲万葉の頃、桔梗(キキョウ)を「朝顔」と呼んでいました。当時、「朝顔」とは特定の花を表す名前ではなく、"朝に咲く美しい花"という意味で用いられていました。そういう意味で、当時は、「ムクゲの花」も朝顔と呼ばれていました。「むくげ」は漢字で「槿」または「蕣」と書きますが、「蕣」には朝顔という日本固有の意味があります。

▲諺で「朝顔の花一時(ひととき)」「槿花(きんか)一日(いちじつ)の栄(えい) (槿花一朝の夢)」は、朝顔の花が、咲いてから僅かの時間で凋(しぼ)むことから物事の衰えやすいこと、儚いことの譬え。


朝顔の茶会
利休の屋敷の庭に、朝顔の花が一面に咲く様子が大変美しいという噂を聞いた秀吉は、利休に「明日の朝、そなたの屋敷へ朝顔を見に行くから」と言いつけました。
翌朝、秀吉が利休の屋敷へ行ってみると、朝顔の花などどこにも咲いていません。秀吉は、あの噂は偽りだったのかとがっかりし、「まったく利休のやつ、朝顔の花が咲いていないなら咲いていないと、はっきり言えばいいものを」と腹を立てながらも、仕方なく躙口(にじりぐち)を開けて茶室を覗いてみると、床に一輪の朝顔が生けてありました。それを見た秀吉は、庭一面に咲いている朝顔とは違う、独特の美しさに深く感動したのです。
利休は前日中に庭にある朝顔を全部摘み取ってしまい、一輪だけ残しておいてそれを生けたのだそうです。これすなわち、キンキラキンの黄金の茶室を、ことあるごとに得意そうに見せびらかしている秀吉に対して、一輪の花が持つ美しさを示した利休の、いわば無言の諫言であったのかもしれません。

お茶はどこから来たんだろう?~歴史編  秀吉と利休~茶のこころ~
http://www5b.biglobe.ne.jp/~k-hokuto/cha/hiderikyu.htm より

ランドセル

2007年04月19日 | 歳時記
以下は、教室の新聞の記事で取り上げた季節の話題の1つで、ネットで調べたものをまとめたものです。

~背負いカバンを意味するオランダ語「ransel(ランセル)」が転訛した語~

▲その歴史は、江戸時代に遡り、幕末の日本に西洋式の軍隊制度が導入された際、布製の背嚢(はいのう)も同時に輸入され、軍用に供されました。
江戸幕府陸軍はフランス軍式背嚢を採用していました。これが日本のランドセルの事始めです。 

▲ランドセルが通学用鞄となった由来は、明治18年(1885年)、学習院が生徒の馬車や人力車での通学を禁じた際、ランドセルに学用品や弁当などを入れて通学させたことによります。
2年後の明治20年(1887年)、内閣総理大臣であった伊藤博文が、皇太子殿下(大正天皇)の学習院初等科入学を祝し、箱型で革製の頑丈なランドセルを特別に作らせ献上したものが現在の原型で、全国の小学校に普及したのは昭和30年代以降です。
ランドセルによくある、横についているフックは、手榴弾をぶら下げるためのものでした。 

▲ランドセルは日本独自の文化(風習)で、英米では日本のようなランドセルはなく、各自自由な鞄を用いるのが普通です。
ランドセルを英語では”schoolchild's satchel"などと表すようで、”satchel(サッチャル)”は、「(時に肩ひもつきの)小鞄、学生鞄、スーツケース」という意。

成人の日

2007年01月08日 | 歳時記
今日は成人の日ですね。改めてその由来を調べてみました。
法律で1月の第2月曜ってなったとはいえ、15日が成人式だった世代には今年は8日と随分早くなってしまった感がしますね。
数年前に各地で成人式での新成人の行動が問題となり、式自体を中止するところや形を変えて行なうところなど、式の存在意義を見直す動きが出てきました。
式をやめるのは簡単ですが、やはり大人の仲間入りをしたことを形の上とはいえ、実感できる日ですので、何らかの形では続けて欲しいですね(^▽^;)


成人の日は、1948年に「1月15日は、おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められました。現在は、2000年に制定されたハッピーマンデー法に基づき1月の第2月曜日に改正されています。

成人式の存在意義
成人の日は、新成人達が両親や周りの大人達に保護されてきた子供時代を終え、自立し、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するための儀式(成人式)を行う日です。
各地方自治体で成人の日に行われる成人式では、女性は振袖、男性はスーツや羽織り袴などの正装に身を包み、市長などから祝福の言葉を贈られます。しかし近年、成人式で一部の新成人が野次を飛ばす等トラブルを引き起こす場面が多く見られます。現在の法律では20歳という年齢をもって成人したものとみなし、飲酒、喫煙、投票などが許されますが、このような非常識な行為を見るにつれ、現在では成人式を迎えることよりも、社会人になることの方が一人前になる、大人になると意識される傾向が強く感じられます。

古来の儀式
成人を祝う風習は古来から存在していました。男子は、髪を結い冠または烏帽子をつけ、服装を改め成人したことを周囲に示しました。また、幼名から烏帽子名に改名する風習も盛んでした(元服・烏帽子〔えぼし〕式)。女子の場合は"裳"という腰から下にまとう衣服を身に付ける裳着〔もぎ〕、髪を結い上げる髪上〔かみあげ〕、歯を黒く染める鉄漿〔かね〕(お歯黒)付けを成人の儀礼としました。
一方貴族のように位の高い人々のみにとどまらず、各地の村々でも村人たちが定めた成人の儀式が行われていました。しかしそれは、現在のようにある一定の年齢(20歳)を越えれば成人といった年齢基準ではなく、例えば「1日に60キロの柴を刈って12キロ売り歩けたら一人前の男である」など、年齢に関係なくその行為が出来れば成人として認めるといったものでした。これらの儀式は成年式・成女式などと呼ばれていましたが、明治以降一部の地域を除き、衰退してゆきました。
明治以降になると、男子は兵役につく義務を課せられました。兵役につくためには徴兵検査を受ける必要があり、この徴兵検査が成人式の意味をもち、成人式制定のきっかけとなりました。戦後、兵役の義務がなくなり、1948年の"国民の祝日に関する法律"によって「成人の日」は正式な祝日と定められました。

成人の日に込められた想い
現在成人の日は1月の第2月曜と制定されています。全国で地域ごとに差はあるものの、毎年1月の上旬から中旬にかけて成人式が行われています。
しかしおめでたい事とはいえ、何故成人の日を祝日にしたのでしょうか。一説によると、戦後物資も食料も足りない時代で一番乏しいとされていたのは「人材」でした。良い「国家」を作っていくためには、国民自身が成長していかなくてはならないと考えた当時の役人たちは、「こどもから大人になった自覚を持ってほしい」と願ってこの日を祝日にしたそうです。このように成人の日に込められた先人の想いを知ることが、成人になる第一歩なのではないでしょうか。
日本文化いろは辞典より

げんぷく【元服】
[名](スル)《「げんぶく」とも》
1 奈良時代以降、男子が成人になったことを示す儀式。ふつう、11~16歳の間に行われ、髪を結い、服を改め、堂上家以上は冠、地下(じげ)では冠の代わりに烏帽子(えぼし)を着用した。中世以降は混同されて烏帽子を用いても加冠といい、近世には烏帽子も省略されて月代(さかやき)をそるだけで済ませた。また、これを機に幼名を廃して実名を名のった。加冠。
2 江戸時代、結婚した女性が歯を黒く染め、丸まげを結い、眉をそったこと。

かみあげ【髪上げ】
1 髪を結い上げること。
2 古代・中世、貴族の娘が12、3歳ころに行った成人式。かぶろにしていた髪を束ねて後ろに垂らす。ふつう裳着(もぎ)と同時に行った。
3 古代・中世、女房が陪膳(ばいぜん)や儀式の際に、垂れ髪を前頭部で束ねて、かんざしで留めること。

もぎ【裳着】
主に平安時代、公家の女子が成人したしるしに初めて裳をつける儀式。結婚前の12、3歳ごろ、吉日を選んで行った。着裳(ちゃくも)。

おはぐろ【御歯黒・鉄漿】
《「歯黒め」の女房詞》
1 歯を黒く染めること。上代から上流婦人の間に行われた風習。平安後期には公家や武家の男子も行い、のち民間にも流行し、江戸時代には既婚婦人のしるしとなった。かねつけ。
2 歯を黒く染めるのに用いる液。古い鉄くずを茶の汁または酢に浸して作る。筆にこの液を含ませ、五倍子(ふし)の粉をつけて歯に塗る。かね。
3 「御歯黒蜻蛉(とんぼ)」の略。《季 夏》「―や旅人めきて憩(やす)らへば/汀女」

かね【鉄漿】
お歯黒に用いる液。茶の汁や酢、酒に鉄片を浸して酸化させたもの。おはぐろ。

因みに、英語では成人の日は「Coming of Age Day」というそうです。

【成人の日:Coming of Age Day】

The second Monday of January is "Seijin no hi" (Coming-of-age Day) in Japan. People celebrate this day to welcome the young men and women, who have turned or will turn the age of 20 during the current year, as new members of society!! Ceremonies are held in every city, town and village. The people who have reached the age of twenty get the right to vote and also allowed to smoke and drink.
@TAK英語情報局より
http://haradakun.cool.ne.jp/nihonbunka/seijinnohi.html

振袖はなぜ未婚の女性のみが着るのかご存知ですか?
昔、未婚の女性は愛情表現に振袖を使ったそうです。「好き」は、たもとを左右に振り、「嫌い」はたもとを前後に振って、密かに気持ちを伝えたそうです。
現在でも、振られたとか振ったという表現を使いますがそれはこのことから来て。いるそうです

春の七種【七草粥】

2007年01月07日 | 歳時記
今日は七草粥ですね。改めてその由来を調べてみました。
以下、ウィキペディアからそのまま転載。

春の七種とは以下の7種類の植物である。

春の七種

七草粥
名前 現在の名前 科名
芹(せり) 芹 セリ科
薺(なずな) 薺(ぺんぺん草) アブラナ科
御形(ごぎょう) 母子草(ははこぐさ) キク科
繁縷(はこべら) 繁縷(はこべ) ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ) 小鬼田平子(こおにたびらこ) キク科
菘(すずな) 蕪(かぶ) アブラナ科
蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん) アブラナ科

(「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもの)

この7種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。

七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。

七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。

歴史

中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があった。日本でも古くから行われており、『延喜式』にも記載されている。平安時代頃には一月十五日頃に行われ、粥に入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄』の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。

江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種粥を食べる儀礼を行っていた。

うちも今日は夜に七草粥でした。
最近はスーパーなどで「七草粥セット」ということでパックに7種類全部入った物が売られているので便利になりました(^▽^;)
それにしてもいつも思うのが「芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔」なんてこれらを全部漢字で書こうと思うと凄い難しいですよね。「仏の座」はとにかく、他のものは多分書けない。。「薺・繁縷・菘・蘿蔔」なんて読むことも難しい。
でも、正月の疲れた胃を癒す意味もあって、いい風習だと思うのでいつまでも続いて欲しいですよね。

亥年元日

2007年01月01日 | 歳時記
どうでもいいんだけど、「がんじつ(元日)」は「1年の最初の日。1月1日」で、「がんたん(元旦)」は「元日の朝。元朝。また、元日」で、「元旦」には「元日」の意味もありますが、「元日の朝」ということで両者には微妙な違いがあるんですね。今まで知らなかったσ(^_^;)アセアセ...

亥年は草木が根を張って「種」を育てる年。
十二支は、今では12の動物になぞらえてありますが、
元々は、古代中国の五行陰陽道による森羅万象の生成・発展の様を表したものとされています。
2007年は亥の年。万物が核となり、種となる状態を表します。
種が春に新しい芽をつけるために、じっくりと栄養を蓄える年です。
あなたの新しい芽生えのために気持ち一新、ジャンプアップ!
(三重就職情報第418号表紙より)

ところで、昨日大晦日の日はアクセス数が1010オオーw(*゜o゜*)w
でも、重複を除くIP数は249で、久々にランキングが754位に入っていました(ごく稀σ(^_^;)
多分、考えてみると、記事を5つ投稿してるので、単純に1つの記事に4人の人が目を通してくれたのでこうなっただけだと思います。
それとも、年越しで自宅にいたからネットしてる人が多かったのかな(^▽^;)?

日付 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

12/31(日) 1010 pv 249 ip 754位(698140 BLOG中)
12/30(土) 255 pv 178 ip -位(697685 BLOG中)
12/29(金) 203 pv 126 ip -位(697285 BLOG中)
12/28(木) 266 pv 147 ip -位(696894 BLOG中)
12/27(水) 396 pv 184 ip -位(696505 BLOG中)
12/26(火) 225 pv 136 ip -位(696015 BLOG中)
12/25(月) 376 pv 188 ip -位(695518 BLOG中)

大晦日

2006年12月31日 | 歳時記
今日は大晦日。改めてどういう日か調べてみました。

旧暦では毎月の最終日を晦日(みそか)といった。晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日といった。もともと“みそ”は“三十”であり、“みそか”は30日の意味だった。ただし、月の大小が年によって変動するので、実際には29日のこともあった。現在は、新暦の12月31日を指す。

大晦日を大つごもりともいった。「つごもり」は、晦日の別名であり、「月ごもり」が転じたものである。

大晦日には、様々な年越しの行事が行われる。年越しの夜のことを除夜(じょや)とも言う。かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信があった。

除夜の鐘

除夜の鐘(じょやのかね)とは、12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟んで寺院で撞かれる鐘のことである。

除夜の鐘は108回撞かれる。この回数には諸説ある。
眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪・(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表す。
四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。
鐘を撞く前には鐘に向かって合掌する。108回のうち107回は旧年のうちに撞き、残りの1回を新年に撞く。
本来は、108回の鐘は除夜だけでなく毎日朝夕撞かれるべきものである。しかし、普段は略して18回に留められる。

年越し蕎麦

年越し蕎麦(としこ-そば)とは、大晦日(12月31日)に縁起をかついで食べられる蕎麦のことである。

現在の日本では、全国的に見られる風習である。年を越す前に食べきらなければならず、蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないなどと言われる。

元々、江戸時代中期には月末に蕎麦を食べる「三十日そば」という習慣があり、大晦日のみにその習慣が残ったものと考えられている。

年越し蕎麦の由来とされる説は「細く長く達者に暮らせることを願って」というものがもっとも一般的である。他に以下のような説もあるが、後付けの説とも言われる。

蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労を切り捨て翌年に持ち越さないよう願った。
金細工職人が作業場に散った金粉を蕎麦粉の団子で集めたことにちなみ、金運を願った。
年越しの食物の習慣として、蕎麦ではなく鰯(年越しいわし)を食べる地域もある。また、讃岐うどん産地の香川県には、「年越しうどん」を食べる風習も一部地域に存在する。

福島県の会津地方では、大晦日でなく元旦に蕎麦を食べる風習がある。 沖縄では、年越し蕎麦は沖縄そばを使用したものである。
いずれもウィキペディアより

早いもので2006年も今年で終わり。
一昔前なら家族で紅白歌合戦でも見て過ごしたんでしょうけど、最近はなら独りで格闘技見るのかな。
年が明けると同時に携帯から友人にあけおめメール送って、彼女と初詣に出かけ、帰りに初日の出を拝んでくる、、かな(^_^;)?

クリスマス 赤い服のサンタさん

2006年12月25日 | 歳時記
今日はクリスマスですね。改めてその由来を調べてみました。

キリストの誕生日として知られるクリスマス。実はルーツはもっと古く、 日が再び長くなり始め太陽がよみがえるのを祝う、日本の冬至のような 行事が西暦300年の半ばにキリストの誕生日と結びついたと言われます。
冬でも葉を落とさない常緑樹のモミの木は永遠の命の象徴として、また ヒイラギのリースは十字架にかけられたキリストの冠、棘はキリストの 受難を、赤い実はキリストの血を表しているとされます。サンタクロー スは、もと3世紀の聖人セント・ニコラウスをモデルとして1820年代に アメリカ人の聖書学者が詩に書いたものを、さらにその40年後、やはり アメリカのイラストレーターが“長靴をはき、大きな袋をかついだ赤い 服と帽子の白髭の老人”として描き、これが一躍有名になって定着しま した。現在はキリスト教徒のお祭りというだけでなく、むしろ日本など では一般にパーティや、プレゼントをやり取りするイベントとしての性 格が強くなっています。
『子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ』(大島民郎)
越前屋・暮らしのミニ知識より

よく見るツリーやリースにもちゃんと意味があるんですね(^▽^;)

ところで、サンタとコカコーラには意外な関係があるとの記事を、あるサイトで読みました。で、見るとコカコーラのサイトにもちゃんと書かれていました。

Q5 現在あるサンタクロースのイメージはコカ・コーラの広告から始まったそうですが、本当ですか?

A.
はい、本当です。
現在のサンタクロースは、1931年(昭和6年)に米国「サタデー・イブニング・ポスト」誌に掲載されたコカ・コーラ広告で初めてこの世に登場しました。このキャラクターの生みの親は、その当時コカ・コーラ社の広告アートを担当していたスウェーデン系アメリカ人、ハッドン・サンドブロムです。
コカ・コーラ社はクリスマス・キャンペーンのアイディアとして、より温かみのある人間的なサンタクロースを創りだそうと考え、画家としても実力のあったサンドブロムを起用したのです。それまでのサンタクロースは、人々が共通して思い描くイメージはなく、愉快な老人の小人や妖精であったり様々なイメージがありましたが、1931年にコカ・コーラ社のクリスマス用の広告を制作したハッドン・サンドブロムは赤の衣装のサンタクロースにコントラストが鮮やかで親しみの湧く白い立派なひげと福々しい体格を与えました。サンドブロムは1976年に亡くなりましたが、この不滅のキャラクターは、時を超えて今もなおクリスマスシーズンの到来を私たちに告げ、世界中の人々の表情を陽気に明るくし続けています。
コカ・コーラ社 よくあるご質問より http://www.cocacola.co.jp/info/faq/cola05.html

でも、ウィキペディアの記事を読むとそうではないとのことです。

サンタクロースの姿
日本などで広く認知されているサンタクロースはいつも笑顔の、白ヒゲを生やした太り気味の老人の男。赤に白の縁どりのある服を着ている。白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担ぎ、赤い鼻のトナカイが引くそりに乗り空を飛んで、家々の子供達が寝ている間にプレゼントを配る。

サンタクロースの赤い服はもともとカトリック教会の祭服の色に由来すると言われ、前述の画家たちも描いてきた。サンタクロースのイメージは1931年にコカ・コーラ社が自社のコーポレートカラーである赤と白に合ったサンタクロースを宣伝キャラクターとして起用、画家のハッドン・サンドブロムに依頼して描かせたことで世界中に広まったとされ、多くのメディアによってこの逸話が紹介されている。

しかしながら、コカコーラ社が宣伝に起用する15年以上前の大正三年(1914年)には日本の『子供之友』に赤い帽子に白い髭、白い縁取りのある赤い服を着た、現代とまったく違いのないサンタクロースの姿が描かれており、また、この時代の日本で作られていた輸出用(当時、日本は世界一のクリスマス用品生産国であった)のサンタクロース人形はこの姿でもあり、「コカコーラ社を起源とする逸話」は完全な間違いである(出典:『クリスマス~どうやって日本に定着したか』角川書店)。

よく、ネットで調べ物をしますが、調べて疑問がすっきり解決する場合と、調べれば調べるほどどちらが正しいのかわからなくなることがあります。今回はその典型(^▽^;)

また、日本では「X'mas」とアポストロフィー「'」をつけて表記される場合がありますが、これは本来間違いなんだそうです(;^_^A

語源と表記
英語の Christmas の語源は、「キリストのミサ」(Christ + mas)にある。

Xmasという表記は、ヘブライ語のメシア(油注がれた者)のギリシャ語訳である「キリスト」の原表記「Χριστος」の頭文字を取ってXを「Christ」を表す略記としたものであるが、正式な場では避けられる。

日本ではアポストロフィを付けて X'mas と表記される事が多いが、英語圏の国でこの表記が見られる事は殆ど無く、また本来アポストロフィは省略記号の為に「X'mas」と表すのは、アポストロフィの使い方としても誤りである。Christmasの略記は Xmas あるいは X-mas と綴る。 日本や台湾、東南アジアで X'mas と表記される様になった起源は不明だが、終戦直後1945年のクリスマスで、GHQ総司令部の正面玄関には Merry X'mas とネオンサインで大書されていた。

冬至

2006年12月22日 | 歳時記
今日は冬至ですね。改めてどんな時期か調べてみました。

■冬至とは一年で一番昼が短い日。

 中国では古くから冬至を暦の始まりとして祝う「冬至節」を行い、疫病を払うため、小豆がゆを食べる風習が。一方日本では、かぼちゃやこんにゃくを食べます。

 この他にもれんこん、にんじん、きんかん、ぎんなんなど、「ん」のつく食べ物を食べると「運」にあやかるそうです。また、ゆず湯も冬至のおきまりで、この日にゆず湯に入ると無病息災で過ごせるといわれます。
越前屋・暮らしのミニ知識より

冬至(とうじ)は二十四節気の一つ。12月22日ごろ。および、この日から小寒までの期間。
太陽黄経が270度のときで、北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(実際には数日ずれる。)。『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。
日本では、この日に柚子湯に入り小豆粥や南瓜を食べると風邪をひかないと言われている。中国北方では餃子を、南方では湯圓(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。

秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日出・日没の方角が最も南寄りになる。また南回帰線上の観測者から見ると、冬至の日の太陽は正午に天頂を通過する。冬至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で極夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で白夜となる。
また、南半球では昼と夜の長さの関係が北半球と逆転するため、天文学的な冬至とは別に、慣習的に「一年中で一番昼が短く夜が長い日」のことを冬至と呼ぶことがある。すなわち、南半球が慣習的な意味での冬至を迎える日は本来の夏至である。
ウィキペディアより

すっかり寒くなって暖房器具が欠かせませんが、今日は冬至で一番昼が短い日。
日が落ちるのも早くなりました。
夏の土用は「うなぎ」「うどん」など「う」の付くものを食べるといいってことでしたが、冬至は運に綾かって「ん」ですか。。(^▽^;)
うちは毎冬、冬至にかかわらず風呂に柚子を浮かべて柚子湯にしてます。いい香りがしますよね。
明後日はっクリスマスイブで、今年もあとわずか。年賀状や部屋のかたずけとか遣り残したことするぞ~(^_^;)

勤労感謝の日/新嘗祭

2006年11月23日 | 歳時記
今日、11月23日は国民の祝日の1つ、勤労感謝の日ですね。改めてその由来を調べてみました。
元々は「新嘗祭」という一種の収穫祭だったんですね。英語では「Labour Thanksgiving Day」と表現するそうです(^▽^;)

新嘗祭(にいなめさい)、現在は勤労感謝の日と名を変えて・・・。

新嘗祭は古くから天皇がその年に収穫された新穀や新酒を天照大神をはじめとする天地の神に供え農作物の恵みに感謝し、自らも食す儀式でした。律令制度のもと11月の2番目の卯の日に新嘗祭を行うことになっており、天皇が即位した最初の新嘗祭を大嘗祭と呼び天皇の即位を天下に知らしめる大きな祭典となっています。

新嘗祭がいつ頃から行われていたかははっきりとしないのですが、日本書紀で皇極天皇元年(642)11月16日に新嘗祭の記述があるのが文献に出てくる最初です。この日の干支は丁卯にあたり、すでにこの時代に11月の2番目の卯の日が新嘗祭と確立していたようです。

明治以降、新嘗祭は11月23日に定められ国民の祝日となります。そして昭和23年より勤労感謝の日と名を変え「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日として国民にすっかり定着した祝日となっています。
本来、この新嘗祭は宮中だけで行われていた儀式ではなく一般民衆の間でも新しい穀物を神に供えそれを食べて収穫を祝う習慣がありました。「風土記」や「万葉集」にもその様子が描かれており現在も年迎え的な行事として能登半島の「あえのこ」や関東地方で行われている「十日夜」が残っています。
越前屋・暮らしのミニ知識より

新嘗祭(にいなめのまつり、にいなめさい、しんじょうさい)とは、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀。

秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼である。

飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の御代に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年から1947年までは大祭日となっていた。

戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ:神が召し上がる食事)を供える形式となった。
ウィキペディアより

勤労感謝の日

勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)は、国民の祝日の一つ。日付は11月23日。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年公布・施行の祝日法で制定された。

戦前の新嘗祭(にいなめさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたものである。新嘗祭は1872年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年には前年と同じ11月23日に行われ、以降11月23日に固定して行われるようになった。よって、11月23日という日付自体には意味はない。
ウィキペディアより

Labour Thanksgiving Day is a national holiday in Japan. It takes place annually on November 23. The law establishing the holiday cites it as an occasion for commemorating labor and production and giving one another thanks.

Events are held throughout Japan, one such being the Nagano Labor Festival. The event encourages thinking about the environment, peace and human rights.

It is not unusual for early grade elementary students to create drawings for the holiday and give them as gifts to local kobans, or police stations

小雪

2006年11月22日 | 歳時記
今日は二十四節気で小雪ですね。改めてどういう時期か調べてみました。

小雪(しょうせつ)は二十四節気の1つ。11月22日ごろ。および、この日から大雪までの期間。
太陽黄経が240度のときで、僅かながら雪が降り始めるころ。十月中。『暦便覧』では、「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と説明している。

七十二候
小雪の期間の七十二候は以下の通り。

初候
虹蔵不見(にじ かくれて みえず) : 虹を見かけなくなる(日本)
次候
朔風払葉(きたかぜ このはを はらう) : 北風が木の葉を払い除ける(日本)
末候
橘始黄(たちばな はじめて きばむ) : 橘の葉が黄葉し始める(日本)
ウィキペディアより

陰暦では11月22日頃。寒さがまだ深まらず、雪も僅かであるという意。北部では初根雪を見る。また南部でも初氷を見る。とありました。
私の住む三重では雪はまだまだであと1ヶ月後くらいになると思いますが、秋も終ってもうそろそろ冬ですね。
部屋の中や車の中でも暖房が必要な時期になってきました。
紅葉も今が見頃で、もうそろそろ終わりですね。
服も冬モードで段々厚着になってきますね(^▽^;)

ボジョレーヌーボー

2006年11月16日 | 歳時記
今日はボジョレーヌーボーの解禁日ですね。改めてその由来を調べてみました。

ボジョレー・ヌーヴォー (Beaujolais Nouveau) は、フランスのブルゴーニュ地方南部に隣接する丘陵地帯、ボジョレーで生産される赤ワインの、その年の11月に出荷される新酒のことである。その年に採れたブドウから作り込むために、MC(マセラシオン・カルボニック)法と呼ばれる急速にブドウを発酵させる技術が用いられる。醸造期間は数ヶ月と早い。その独特の製造方法のために、ごくわずかながら炭酸ガスを含有する。それゆえ、また独特の清涼感をも感じさせてくれるワインでもある。

ボジョレー・ヴィラージュ (Beaujolais Villages)と呼ばれる、より限定された地域のものにも新酒があり、こちらには「ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー」というラベルが貼られる。

これらは、その年に収穫されたブドウ(ガメイ種)を使用し、それぞれの国の現地時間で11月の第3木曜日の未明の午前0時に一般への販売が解禁される。特に日本は時差の関係から、世界の先進国の中で最も早く解禁の時を迎え、この時のために、ワインとしては例外的に空輸される。24時間営業のスーパーマーケットやレストラン、バーなどでは、イベントも兼ねて当日午前0時になった瞬間に販売を始めるところも多い。梱包箱には「○○年11月○○日午前0時以前の販売および消費 厳禁」の文字が書かれている。

日本ではバブル時代の1980年代に大きなブームになり、解禁日未明に成田空港に行って飲む人まで現れるなどの状況であったが、バブルの崩壊でブームが終わった。しかし1997年頃からの赤ワインブームに乗って再び脚光を浴び、バブル時代を上回る市場規模となっている。2003年ものは過去最大の販売数量を記録した。現在、スーパーマーケットや酒店、コンビニなどの一般小売店で1本あたり2,000から3,000円程度で販売される。通常の赤ワインと違って、少し冷やして飲むとおいしいとされる。現地においては高値で多量(輸出量の半分を日本が占める)に買い漁る日本のやり方に対する批判が存在する。

このヌーヴォーは、そもそも当地の農民が収穫を祝ったのが始まりとされる。そのため、本格的な輸出が始まったのは1968年と遅く、当初の解禁日は11月15日であったが、1984年から解禁日を11月の第3木曜日に改められた。

解禁日が設けられた理由は、ヌーヴォーがよく売れるということで各メーカーがどこよりもいち早くヌーヴォーを出荷しようと競い合っていたものがだんだんエスカレートしていき、ついにはワインとして十分出来上がっていないにもかかわらずワインとして出回るようになってしまったからである。解禁日が設けられて以後、各メーカーはこの解禁日までにワインとしてきちんと作り込むこととなった。

ヌーヴォーは業者の販売戦略であろうと推測されるが「今年のボジョレーの出来は気候に恵まれ例年以上の出来という事です」と必ず毎年触れ込む。
ウィキペディアより

それで、ボジョレーの地図は以下のページ参照
ボジョレ地区のワイン
http://www.winespiral.com/france/beaujolais.html
クリュ・ボジョレー【MyWineClub】
http://www.hapima.com/sh/mywine/2001au58/

それで、下記のようなニュースが載っていました。

ボージョレ解禁、試飲なしでも真夜中のにぎわい

 仏・ボージョレ地方で今秋、収穫したブドウで造った新酒ワイン「ボージョレ・ヌーボー」の販売が、きょう16日、解禁された。

 24時間営業店舗を展開するスーパー大手のイオンでは、全国の約130店舗で、深夜0時から販売を開始。各店舗は、この日を待ちわびたワイン愛好家らでにぎわったが、同社では飲酒運転が社会問題化するなか、例年行っていた店頭での試飲を中止した。

 解禁を祝うイベントが行われた、千葉県習志野市の「ジャスコ津田沼店」の売り場には、試飲会の中止を伝えるポスターのほか、飲酒運転撲滅を訴えるパネルが掲げられていた。  ヤフーニュースより

私は飲む機会がありませんが(^▽^;)、ワインそのものの味を楽しむ以外にも雰囲気を楽しむという要素も多分にありそうです。
飲酒運転が社会問題化する中、試飲中止は愛好家には残念ですが、いたしかたないですね(^-^;

地図はブルゴーニュ地方 ウィキペディアより

追記(18日)
後日、下記のような記事が載っていました。

 仏ボージョレ地区のワイン生産者組合「インターボージョレ」のアン・マソン広報部長によると、今年のワインは7月と9月に日照時間が長く、上々の出来となった。昨年の日本への輸出量は全体の22%を占め、2位米国(16%)、3位英国(12%)を引き離して断トツの1位で、今年も同水準を見込む。大手輸出業者モメサンのバルデ社長は「今年に入って進んだユーロ高(1ユーロ151円、昨年同時期は140円)が気になるが、日本では女性の間で人気が高く、消費量はまだまだ伸びると思う」と話す。
 もとは地元農民が収穫を祝って飲んだのが始まりで、次第にパリにも広がったが、本格的な輸出は「ボージョレ王」の異名を取る仲介人、ジョルジュ・デュブッフ氏(73)が80年代に世界への売り込みに成功してから。50年代に年間150万リットルだった総生産量は、今では4500万リットル以上だ。
 日本での市場が拡大したのは、サントリーやメルシャンなど酒類メーカー大手が売り込みを仕掛けた81年以降。特に解禁日を祝うイベントが定着した背景には、メーカーや小売業など大手企業の影響が大きい。最大手のサントリーは「ボージョレはフルーティーで飲みやすく、入門編のワインとしては最適と指摘する。
 日本への輸出はバブル崩壊によって一時は落ち込んだが、98年の赤ワインブームで盛り返し、04年に1145万2500リットルと過去最高を記録。05年は1024万1500リットル。世界的に頭打ちになりつつある中、最大のお得意様である日本への期待は大きい。
 ◇地元では300~900円
 しかし、フランスではボージョレは決して高いワインではなく、木曜午前零時の解禁時も静かだ。北西部ノルマンディーに住む主婦、シャンタル・ポーガムさん(51)は「季節ものだからスーパーで買い、1本は飲んでいる」と話すが、値段は2.5ユーロ(約377円)前後と極めて庶民的。スーパーで最も出回るのは2~6ユーロ(約300~900円)程度。日本にも進出しているパリの高級食材店「フォション」でも5ユーロ前後からある。
 バルデ社長は「当社のボージョレ・ヌーボー・モメサンは仏国内では4~4.5ユーロ(600~680円)程度」。米国では10ドル前後(約1200円)。だが、日本の市場に出回ると2000円以上となる。最近は高級感が漂うワンランク上の4000円ぐらいの品まで出ている。
 ユーロ高に加え、日本の価格が高い理由は輸送費。空輸の場合、船便の倍近い価格に跳ね上がるとされる。日本ソムリエ協会顧問でメルシャンの元パリ事務所長、小阪田嘉昭さんは「産地の欧州よりも8時間早く飲めるメリットに加え、初物好きという日本人の気質にも合ったため」と人気を分析する。
 フランス文学者の鹿島茂さんは「日本人はイベント好きで、この時期には他に適当なものがないから、ボージョレに飛びつくのでは。フランスでは若者中心にワイン離れが進んでいて、消費量が減っている。日本で飲まれて、一番喜んでいるのは向こうの業者ですよ」と話す。 ヤフーニュースより

初物好き、イベント好きの日本人気質に合ってるようですね(^▽^;)

七五三

2006年11月15日 | 歳時記
今日は七五三ですね。改めてその由来を調べてみました。

七五三 ~子どもが無事成長したことの感謝と神のご加護を祈ります。

 七五三では、3歳の男女、五歳の男の子、7歳の女の子たちが、11月15日前の休日に、近所の神社にお参りするのが一般的。
昔は3歳になると髪をのばしはじめる「髪置き」、五歳の男の子がハカマをつける「袴着」、7歳の女の子が大人と同じような帯を締める「帯解き」と、だんだんに大人の仲間入をする成長の節目だったのです。
 乳幼児の死亡率が高かった頃は、小さな子どもは神の子として社会の一員には数えられなかったのです。
七五三の中でも7歳のお祝が一番重要であり、7歳で初めて村の一員と認められたということです。

 いまではしきたりに関係なく、着物や袴を着せて千歳飴を買ってお祝します。
千歳飴は子どもの年齢と同じ本数に。飴をひっぱるとのびるように「寿命がのびる」という縁起ものです。
越前屋・暮らしのミニ知識より
http://www.echizenya.co.jp/mini/mini.html

うちじゃ、七五三なんて祝ってもらった覚えなんてちっともないけど(^▽^;)、しきたりに関わらず、子供の成長を祝う行事としていつまでも続くといいですね。
子供たちが改まって、着物や袴姿になると成長したなぁと感じます。
僕はまだ結婚もしてないし子供もいないけど、できたら七五三で祝ってあげたいですね(^▽^;)