東京へ行けば、刺激がある。
こちらでは近所の中でオスとしてはもっとも若い類になる。
18年ほど前に引っ越して来たので、実際18年は歳を取ったことになる。
あっという間の出来事でした。
向いの年寄りはさらに年寄りとなり、90を数歳超えているが、越してきたときと変わりなく元気である。ほとんど時間が経っていないのではないかと思えてしまう。現役で自動車を運転しているから恐れ入るが恐ろしくもある。
周りを見渡せば爺・婆だらけである。何の刺激もなく、ストイックな気分にさせられるが、向上心も生まれてこない。
仕上げなければならない原稿はそのままホッタラカシであり、もう仕上がらないのかもしれない。小説は別としても、調べもののために高価な書物や取材に時間と費用と掛けたが、もとをとることも出来なくなっている。
やはり、東京という場所を離れてからは下火な生活が続くようになった。近所を見ても只食生活を全うするだけので人生のようである。
編集者との連絡もほとんど取らなくなってきたし、新しい出版物のことを聞いても特別関心が生まれなくなった。
NHKと共同で本を出しているというような話を聞いても、何か鏡の向こうの世界の話のようで、だからどうしたのだろうかとも考えない。
山へ行って、渓流の流れの音や山菜の姿を見たいとも思いはするが実行に移すこともなくなった。
引っ越し先には山の手線の池袋・新宿を狙ったが、駅周辺の部屋はほとんどなく、あってもバカ高く、またネズミ小屋のように狭い。
町田は少し広くも成るが、駅からは少し離れている。風呂も付き、駐車場もあるが、車を持っていても出先に駐車場が乏しい。
厄介な国である。ワンルームなどの部屋が軒並み作られたが、おおよそ6畳一間のアパートである。こんなところに書籍を積み上げることも出来ない。3部屋を確保するために人生を台無しにして働きづめに働くのもバカらしい。
とにかく、イメージは狭まっていく。ウィーンなど物価の高い都市でも部屋の広さには恵まれている。学生でも日本の3DKの広さを確保するのは難しくない。
とにかく、羊頭狗肉の不動産屋をあたりながら、毎日時間が経っていく、そして頭も身体も疲れている。
続く
こちらでは近所の中でオスとしてはもっとも若い類になる。
18年ほど前に引っ越して来たので、実際18年は歳を取ったことになる。
あっという間の出来事でした。
向いの年寄りはさらに年寄りとなり、90を数歳超えているが、越してきたときと変わりなく元気である。ほとんど時間が経っていないのではないかと思えてしまう。現役で自動車を運転しているから恐れ入るが恐ろしくもある。
周りを見渡せば爺・婆だらけである。何の刺激もなく、ストイックな気分にさせられるが、向上心も生まれてこない。
仕上げなければならない原稿はそのままホッタラカシであり、もう仕上がらないのかもしれない。小説は別としても、調べもののために高価な書物や取材に時間と費用と掛けたが、もとをとることも出来なくなっている。
やはり、東京という場所を離れてからは下火な生活が続くようになった。近所を見ても只食生活を全うするだけので人生のようである。
編集者との連絡もほとんど取らなくなってきたし、新しい出版物のことを聞いても特別関心が生まれなくなった。
NHKと共同で本を出しているというような話を聞いても、何か鏡の向こうの世界の話のようで、だからどうしたのだろうかとも考えない。
山へ行って、渓流の流れの音や山菜の姿を見たいとも思いはするが実行に移すこともなくなった。
引っ越し先には山の手線の池袋・新宿を狙ったが、駅周辺の部屋はほとんどなく、あってもバカ高く、またネズミ小屋のように狭い。
町田は少し広くも成るが、駅からは少し離れている。風呂も付き、駐車場もあるが、車を持っていても出先に駐車場が乏しい。
厄介な国である。ワンルームなどの部屋が軒並み作られたが、おおよそ6畳一間のアパートである。こんなところに書籍を積み上げることも出来ない。3部屋を確保するために人生を台無しにして働きづめに働くのもバカらしい。
とにかく、イメージは狭まっていく。ウィーンなど物価の高い都市でも部屋の広さには恵まれている。学生でも日本の3DKの広さを確保するのは難しくない。
とにかく、羊頭狗肉の不動産屋をあたりながら、毎日時間が経っていく、そして頭も身体も疲れている。
続く