四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

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これは宇宙少年だった頃からの疑問である ミハイロフ全天星図とともに

2010年01月24日 01時39分15秒 | 科学
小学校の頃から天体に興味を持ち、双眼鏡で空を眺めていた。
望遠鏡と天体写真撮影のための一眼レフのカメラを買ったのは中学2年の頃である。

本屋に取り寄せを願ったのかミハイロフ全天星図を買ったのもそのころである。
学校の勉強はそっちのけにして、いろいろな事が脳裏を行き交いし、もっぱら私の興味の方向を探究する性格で確かものごころ就いた頃から思索を始めていたと思う。

宇宙は広大だった。
星は無限数あるように見えた。
見えた星は銀河系内のほんの少しである。
双眼鏡でも10等星くらいまでは見える。
倍率を上げれば上げるほど、肉眼で見えない星が増えていく。
双眼鏡で星を見ると不思議なことに宇宙の静けさが感じられる。
もっともそれは正しいことである。真空中では音は伝達しない。
どんな超新星の爆発でも音は響かないのである。
伝達できるのは電磁波である。

空想とは面白いものである。
勝手に宇宙遊泳することができ、銀河系のそとの他星団に移動することもできる。
もっともっと先まで行くこともでき、無限の果ての場所でも空想は可能である。
子どもながらに死について苦しめられた。そのために、あの世の問題もよく考えた。
つまり、死とは何かと言うことを!
この問題がなければ、物質と精神というものを混同することになる。

物質は変化するが物質には死はない。しかし、精神は死と共に雲散霧消するか、あるいはあの世に運ばれるか? と、いう子どもでも考えられる問題に苦しめられたのである。

そして宇宙を覗きながら、もしわたしが銀河系の外へ行き、星雲間空間の中で死んだとき、私の精神はどこへ運ばれるのか? と、いう問題に行き当たった。

人は死ぬと地上にお墓を建てる。
しかし、お墓の中で死んだ人は眠っていると考えて良いのだろうか?
たとえば、船が沈み深海にまで達してその船の中で眠っている人の墓はどこにすれば良いのか?
そしてその墓には何が眠っているのか? これは靖国神社にも言えることである。こどもは様々に空想した。

もし、他星雲から地球に知的生命体がやって来たとき、彼らの死はふるさとの星ではない地球で迎えることになる。それがウルトラマンだとしてもウルトラマンは地球で死ぬとその魂はどこへ行くのだろうか?
ウルトラマンが自分の星(M78星雲・光の国)に戻るまでの時間的な問題もある。光速度で帰還するとしても何百光年も掛かるかもしれない。すると魂の速度は光速度以上でなければ自分の星へ瞬時に帰ることが出来ない。しかし、死はこの世に止まるのではなく、あの世へ行くのである。つまりその場合あの世は場所として考えることが出来るのかどうかである。

私はミハイロフ全天星図を広げ、あらゆる角度からこの世からあの世へトランスポートする場所がないかを隈無くさがして見た。

しかし、どうもそれは徒労である。又、これらの恒星の中で生命が宿る衛星があるかどうかも考えてみた。とにかく考えられるあらゆる事は、考えてみたつもりである。

どんな知的生命体も自分の星からあまり遠くへ行くと、もはや戻れないことと双方向の通信は出来ないということ、それは光が電磁波であり、何十億光年の彼方から届くとしても、それは60億光年前の光である。つまり60億光年前の光は現在の状態を表せているわけではないということである。

もしあの世がわれわれの先祖が存在する世界であるなら、われわれの死後も同じ場所へ赴くと考えて良いのか? とすると、2000年前に死んだ先祖とも遭遇する可能性が出てくる。

あらゆる死者があの世にいるとすると相当な数に上るであろう。そしてわれわれが別の世界からやってきたとすると、また不思議なことが起こる。

この程度までは中学生当たりで考えることができる。

そして現在わたしが考えていることはもっともっと複雑なこの世のことと、あの世の事である。

物理学では5次元の世界を捉えようとしている。
巨大なサイクロンの中で素粒子を衝突させ、異次元へ抜けていった素粒子を捜すというようなとてつもなく金の掛かることをやっているが、わたしは誰からも助けて貰わずに思考実験だけでそれをやろうとしている。








子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

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