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処方箋薬局の異常な繁殖

2009年08月05日 21時39分47秒 | 日毎起こること
どこもかしこも処方箋薬局がいたるところに増えている。
近くに病院が無くとも、薬局があるというのは分かる。

しかし、それが処方箋薬局であるということになると、処方箋がないと薬品が買えないということになる。

それでも随分いたるところに処方箋薬局を見るようになった。
そして、そういう処方箋薬局に処方箋を差し出しても、薬を置いているということはほとんどなく、常に取り寄せになってしまう。

ドラッグストアーなどでも処方箋を扱っている店舗が軒並みに増えているが、やはり処方箋を持っていくと薬を置いていなく、取り寄せに成ってしまう。

それほどに処方箋を扱うメリットはなんであろうか?

要するに小部数の注文でも相当儲かるということであろう。
それでなければ調剤もしなければならない薬品をわざわざ扱うのは手間である。

医薬分業と言うことが患者にとっては大変不便なことになった。
たとえば都心部の大病院の周りの処方箋薬局においては、病院で薬を貰う同じ時間を待たされてしまう。

なお、処方箋薬には薬剤師の手数料も乗っかるのである。
ほとんど説明らしい説明もなく、愛想もない薬剤師でも、手数料はちゃんと乗っけているのである。

大抵処方箋はいつも同じ薬を貰っている場合がある。毎回毎回薬剤師の同じ説明を聞く必要もなく、毎回毎回薬剤師の手数料を上乗せされる必要もないのである。

なぜ、医薬分業はこうして、患者の利益と安全にならないことを大々的にやり出したのであろうか?

医者と製薬会社の癒着を断つということで始まったはずが、医者が処方箋を書く以上、製薬会社と医者のつながりが断ち切られるはずはない。

患者は余計な料金を払わなければならないだけである。

しかも、サラリーマンで健康保険に加入しているものまで、3割負担になり、保険料は保険料で沢山取られ、医者に行く時間もないほど働かされ、たまのたまに行っても、初診料がまた高く、とにかく、安心安全の医療制度とはいえないのである。

おまけに医者がバカが多く、薬剤師はさらにバカである場合が多く、治療のやり方も知らない医療関係者で満ち溢れている。

まず、医者は病院内の待合室の壁に、どこの医学部出身で、どの学会に属しているのか、また、何を得意としているのか、掲示すべきである。

そうすると大抵の診療所や病院は行くたびに不安を覚えることになる。
名も知らない私学の出身者や旧帝大以外の地方の国立大学でさえ若干心配になるものである。

ただし、出身大学に関係なく、名医というものはいると思いがちだが、そういうことはほとんどあり得ないと思って間違いない。医者の人柄と医学的知識と医療ができることが一緒になることはまずない。

なお、この間薬局の薬剤師にエイジレスがあるかどうか聞いたら、どんなものでしょうかと問い返された。エイジレスが薬剤というわけではないが、一般常識からすると、ちょっと不安になる。

全く関係ない話であるが、最近あゆが市場に出回っている。
アユは独特の風味と身の繊細なしまり具合のよいおいしい魚である。

ただし、このアユにはたで酢でないと食べても本来の旨みを発揮できない。
ところで魚をうっているところでたで酢を置いているところはほとんどない。
それよりもたで酢の存在そのものを知らないのである。

たでとは蓼食う虫も好き好きの蓼である。河原などに生える柳の葉に似たピリッと辛い蓼である。これをヤナギタデという。この蓼が何故かアユにはあうのである。

こういう常識を素通りする学校教育は一体何を教えて、多くの人工バカを製造しているのであろうか?

出身校がどこであるのかを恐れるのは、人気のない学校では人と人との出会いが脆弱であるためである。

人気のない土地でも人と人との出会いというものは滅多におきない。

なぜ丸の内界隈に大企業が本社を構えるのかと考えてみて欲しい。

田舎の処方箋を扱う薬剤師がなぜそこにいるのか?
結局、地方は左遷の世界であるということである。私をも含めて!



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