ソニーのテープレコーダーは昔から定評があった。
それを音楽ソフトとともに発展させ、ウォークマンに発展させたのは、大賀典雄氏であろう。
ソニーのテープレコーダーにクレームを付け続け、ここはこう改善の余地があると手紙を送り続けた芸大生時代に、ソニーでは大賀典雄は社長の器であると見抜いていた。
音楽を続けていても有名なバリトン歌手位にはなっていたであろう。
そこを引き抜いたソニーも見る目があったのだ。
実業家としての大物が一人消えたことになる。最後まで音楽を愛していた。
サントリーとは違っているのである。
アサヒ・コム
それを音楽ソフトとともに発展させ、ウォークマンに発展させたのは、大賀典雄氏であろう。
ソニーのテープレコーダーにクレームを付け続け、ここはこう改善の余地があると手紙を送り続けた芸大生時代に、ソニーでは大賀典雄は社長の器であると見抜いていた。
音楽を続けていても有名なバリトン歌手位にはなっていたであろう。
そこを引き抜いたソニーも見る目があったのだ。
実業家としての大物が一人消えたことになる。最後まで音楽を愛していた。
サントリーとは違っているのである。
アサヒ・コム
元ソニー社長、大賀典雄氏死去 東京フィル会長など歴任
2011年4月23日23時10分
ソニー元社長の大賀典雄氏
元ソニー社長で、音楽家としても知られた大賀典雄(おおが・のりお)さんが23日、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した。81歳だった。
静岡県沼津市出身。東京芸大音楽学部卒業後、東京通信工業(現ソニー)と嘱託契約を結び、ベルリン国立芸術大学音楽学部卒業から2年後の1959年にソニーに入社した。
64年に34歳で取締役、82年に52歳でソニー社長に就任。95年に会長、00年に取締役会議長、03年に名誉会長に就いた。06年に相談役に退いた。89年から99年までは最高経営責任者(CEO)として経営に当たった。このほか、99年から東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、04年からは東京文化会館館長も務めた。
米CBSレコード、コロンビア・ピクチャーズを買収するなどハード・ソフトを「車の両輪」とする経営を進めたほか、94年発売の「プレイステーション」で家庭用ゲーム機市場への参入も決断。「ソニーらしさ」を追求した製品企画や業界標準作りで貢献した。
01年11月、北京市内で開かれた音楽祭で指揮していた最中にくも膜下出血で倒れた。復帰後は、取締役退任に伴う退職慰労金16億円のうち手取り分で長野県軽井沢町に音楽ホールを建設し、町に贈った。