四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

医者は人間として尊敬されて欲しいものである

2009年09月14日 13時49分01秒 | 日毎起こること
医者でなくとも医者のあり方というのは患者の方では考えるものである。

医者が患者に対する不平不満があることは事実だが、患者を選べる訳ではないし、医者は公平な気持ちで患者に接しなければならない。

病気だけやってくるならともかく、病気と一緒に必ず人間が着いてくる。

その人間も男女年齢貧富の差などは様々である。
医者はいかなる意味でも患者を差別してはならない。

しかし、緊急医療では差別というものが発生する。
尼崎で起きたJR福知線の空飛ぶ電車事故ではトリアージが問題になった。
重傷者は先に搬送し、軽傷者は後回しにするが、治る見込みのない患者はさらに後回しにするというやり方であるが、緊急時にそれを識別するだけの能力と経験を持ち合わせる救急員も医師もいないのが問題である。


本来命の重さとは人間の値打ちに関わるものであるが、それはさらに難しくしく、
医者自身がりっぱな人間であり、人間を見抜く力がないといけない。
ところが今の医療制度や医者というものを見ると、金銭で動く医者が多くいることである。

今の医者たちはすぐ病院を変えてしまう、それも報酬の額で移動するという医者が多すぎる。
日本の医者の報酬は儲かっている町医者を除き、公立病院などではかなり額が低い。

私が求人広告で見つけた網走刑務所勤務医の一月の給料は25万円~50万円ほどである。
多く貰っても年間1000万円はいかない。

医者は成るまでに金がかかると言われている。
結局大学や大学院の授業に金を持って行かれるが、私学の医学部はことさら授業料を高く取る。
それでは医学部はそれほど他の学部に比べて高く付くかというとそうではない。

物理学の分野でも素粒子や原子力やロケット研究などでもバカ高い費用がかかる。
ところが医学部の授業料が高いのは医者になってから儲けられるという、昔からの町医者的な発想があるからである。

医学の根底に金儲けという考えがセットされているからこそ、医学部には人間を考える授業はほとんどないのである。

どこも宣伝文句だけは一人前である。役に立たない医学博士、羊頭狗肉の見栄えの良い、現代建築、そして新しい検査装置。しかし、それに見合う濃緑を兼ね備えた医者はほとんどいない。

下記の鼎談は経済学者の宇沢弘文を中心に対話する医学の話である。
宇沢弘文の弟は慶応大学医学部出身で自ら病院を経営する整形外科の医師でもある。
この病院は全国的にも有名で特にスポーツ選手のリハビリには定評があるらしい。
私の知り合いもこの病院で治療を受けたが、スポーツ選手には真剣に取り組みが、一般の患者はスポーツ選手を餌にして、金を稼ぐところだとの噂が立っている。
その後知人は群馬の大学病院へ行って治療を行っているが、やはり滿足はいっていない。

宇沢先生は文化勲章受章者であり、学士院会員でもある。
天皇(昭和)陛下からお言葉を頂いて、「君の学問は人間の為の学問だね。」と念を押されたらしい。
その後、人間の為の学問にさらに一層心がけているそうである。
宇沢先生のマラソンの右に出るものは間 寛平以外にはいないであろう。

宇沢弘文との鼎談 日本の医療について



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。