こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、本日も続けて参りましょう。
1535年は、ヘンリー8世が英国国教会を強引に設立した年です。
英国の精神史を時代区分する、画期的な年です。
ルター改革がスタートした1517年と並んで記憶すべき年なのです。
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聖句自由吟味者を視野に入れることによって、そのことは初めてわかります。
そしてその知識は、「正しいキリスト教の学び方」に不可欠な要素を構成しています。
<現代メールリストを超えた情報効率>
聖句自由吟味者たちは、驚くべき情報ネットワークを形成しています。
彼らは小グループに分かれて、リーダーを一人おきます。
そのリーダーたちが常時連携状態を保ち、交信し合っています。
その様は、今も米国南部のサザンバプティスト地域でみることができます。
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中世欧州では、その情報パイプはとりわけアクティブでした。
彼らは、常に逮捕・拷問・殺戮される状態の中で生きていました。
だから些少な変化があっても,即座に知らせ合わねばならない。
その情報は即座にリーダーに連絡され、各々がグループメンバーに伝えます。
このようにして、ネットワークに常時情報が流れていると、そのパイプはきわめてアクティブな状態を保つのです。
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このネットワークは、現在の電子メールリストによるそれよりも効率的に機能したでしょう。
自由吟味者は、全員が同じ様な世界観、歴史観を共有しています。
そのような全体観は、日々起きる個々の事項をその中に位置づけ、解釈をもたらします。
取るべき行動の方向も定めます。
だから、メンバーはどんな事件にも似たような解釈と行動見解をもつことになる。
すると、迅速なわかりあいが可能になって、ネットワークは驚異的な効率を発揮するのです。
<自由吟味者は大量移住したに違いない>
「イギリスでカトリックの僧侶たちが追放され、独自の国教会ができた」
「宗教活動が大幅に自由になった」
そういう情報も、欧州大陸の地下で活動していた自由吟味者には即座にいきわたりました。
取るべき行動も、阿吽の呼吸で方向付けられました。
彼等はすみやかに英国への移住を開始しました。
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ところでそんなことは、公式の歴史教科書や専門書には全く書かれていない。
そんなことさらっといっていいのか。
鹿嶋はどんな実証資料を基にそれをいうのか。
~そういう疑問を抱く読者もおられるでしょう。
答えは・・・、
~それを直接示す文献資料などもちあわせていない・・・です。
だったらそれはあまりに大胆ではないか。
学問的におかしいではないか。
~こういう感想もあるでしょう。
だが、あえていいます。
~「それはおかしいことではない」と。
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考えてみましょう。
自由吟味者たちはいつでもどこでも、信仰上の身分を隠して暮らしていたのです。
「社会の秩序を乱す無政府主義者」と危険視されていたのでそうするしかなかった。
それが国外移住するとなったら、その公式の文献資料など残るがありません。
だが、ないからといって、何も言ってはならない、ということにはなりません。
筆者は実証資料の大切さを否定するものではありませんが、「実証主義」には反対です。
それは歴史記述者の想像力を、非常にしばしば妨げるのです。
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余談ですが、戦後の社会科学者には形式的な実証主義にしがみついて食べている人が多いです。
鹿嶋は、自分の生業(流通経済学、マーケティング学)をその大勢のなかで行うのに苦労してきました。
いまもそうです。
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話を戻します。
自由吟味者が、後にアメリカ大陸に移住する際については、
「小さなグループに分かれて乗船した」
「数多くまとまって渡航すると不審に思われるからだった」
~といった回顧の資料はあります。
だが、それだって、後年の回顧です。
乗船者の信仰上の身分を記した実証資料など、存在するはずありません。
<自由吟味活動広がる>
だが事実として自由吟味者たちは、大挙して英国に移り住んだのです。
それをないことにしたら、以後の英国史には漠然としたところがどんどん出来ていきます。
英国では、彼らは社会の表面に出て活動しました。
そして、その真摯な聖句吟味の姿に心打たれ、群れに加わる人が多く出ました。
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元英国女性首相サッチャーの回顧録にもその一端を垣間見る話があります。
彼女の両親は雑貨店を営んでいました。
そのもとに幾人かの大人が影のようにやってきた。
そして両親と共に聖書を開いてなにやらひそひそ話し合う。
終わると彼らはまた影のように去っていく。
そういうことが周期的にあったと、少女時代の思い出として書いています(日本経済新聞「私の履歴書」)。
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これは自由吟味者のスモールグループ活動以外のなにものでもありません。
彼女の両親も群れに加わっていたのです。
サッチャーの読書好きも、幼少からの家庭の空気によるところが大きかったのかもしれません。
<精神活性化の仕組み>
自由吟味者たちは英国一般人民に広範な影響を与えはじめました。
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ここで 再び示しておきましょう。
聖書を自由に吟味する人達は、どうしてその精神と知性が活性化するのか。
聖書はこの世界で「真理(変わらざる究極の知識)への夢を提供する」唯一の書物です。
そこには「万物の創造神が人間に伝えたメッセージが含まれている」という可能性があります。
そういう夢を期待させる唯一の書物です。
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そのつまるところの真偽は、認識能力の有限な人間にはわかりません。
ただ、実際に探求してみると、「これは究極の真理では!」と思える知恵にぶつかるのです。
人間が経験から得た知識と思えないような、驚くべき知識に遭遇する。
それに触れると、人の精神と知性は電気に触れたように覚醒され、活性化します。
この書物の吟味が精神活力にもたらす効果には、強烈なものがあるのです。
そして、この聖書の言葉の吟味を、スモールグループで行うと、活性効果はさらに飛躍します。
自由吟味活動では、このスモールグループ方式を、定番のようにして併用しています。
<七つの海の支配者に>
自由吟味者たちの活き活きした姿に触れ、取り入れて、英国人民の精神は活性化しはじめました。
後の18~9世紀になると英国では、自由吟味活動が醸し出す活性蒸気が地面から沸き昇ってくるような状態になっています。
この空気を触覚することが、英国史の総合的理解のカギにもなります。
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近代英国が突如、スペインの無敵艦隊を撃破し、七つの海を支配して黄金時代を迎えたのも、この人民活力によります。
欧州大陸では、カトリックとプロテスタントが連合して教理主義的思想統制を維持していました。
一つの正統教理を定め、それでもって人民の精宗教活動を抑圧していけば、人民精神は沈滞します。
他方、英国では自由吟味で人民の精神は活性化した。
この対照が結果的に、大陸の老舗大国の相対的地盤沈下をもたらしたのです。
<判例法と大陸法>
余談です。
英国の法体系が、判例ベースの判例法になるのも、自由吟味の精神土壌によります。
従来、全欧州の法体系は、ローマ法の法典をベースにしたものでした。
そのなかで、判例ベースの法体系が英国で出現した。
それによって、従来の体系は欧州大陸だけのものとなり、大陸法と呼ばれるようになった。
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英国でこんな奇跡的なことが起きたのは、自由吟味活動が立ち昇らせた蒸気による以外に考えられない。
個々の聖句を自由に吟味しつつ個別的に理解を深めていく、という思考方式は、判例法の方法そのものです。
自由吟味の精神土壌がなかったら、判例ベースの法体系は出来上がらないのです。
(Vol. 31 自由吟味者、英国へ移住! 完)
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