鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.95『偽善とは真意を理解できずに“形式だけをおこなう”こと』(7章)

2005年10月30日 | ヨハネ伝解読
                        


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=聖句=
 「モーセは諸君に立法を与えたよね。なのに諸君(ユダヤ教の僧侶たち)の内には、その律法を行おうとするものが一人もいない」(7章19節)
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 本日の聖句は、前回と同じです。
 これでもってイエスは正確には一体、何を言おうとしているのでしょうか。「僧侶たちが守っているのは、律法の外側の形式だけであって、その真意をわかったうえではないのだ」ではないでしょうか。

 このあたりは、旧約聖書と新約聖書との関係を理解するのにとても大切なポイントに思えます。また、聖書で言う「偽善」とか偽善者といった言葉の意味もこういう関連ではじめてわかってくるようにみえます。

 「本当のところがわかっているにもかかわらず、意図的に偽りを言ったりしたりする」ということ~~これは偽善か? そうではありません。

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 聖書で言う偽善者というのは、そこまで悪党ではないようです。そうではなく、実質的な中身が「わからないで」、外枠の形式にあたることだけをやっている人~~をいうようです。聖書での「偽善」とか「偽善者」とかいうのはみなそういう意味だととって、まず、筋の通らないことはありません。

 たとえば、「安息日を守れ」という律法がありますよね。
 安息日というのは、一週間の内6日働いたら、残る1日は働かないで安息せよ、という創主の命令です。だが、その真意は、

 「その日一日は物理的世界である『世』のことにかかずらわないで、ひたすら汝の創造主に意識を向ける日とせよ」

                 ~~というところにあります。

 そしてそうすることによって

 「あなた方人間の霊に、いのちエネルギーを豊かに吸収して幸せになりなさい」

  ~~という。主旨はそういうところにあるというのがイエスの主張のようです。

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  律法というのは、創主が一方的に人間に課する厳しい掟に一見みえます。

~~~だけれども、その真意は人間を幸せになる方向に導こうとしているものなんだよ。創主は幸福そのものな方だ。その幸せを人間にも豊かに与えようという主旨のもとに律法を与えておられるんだ~~イエスはこう言わんとしているようにみえます。

 だから、安息日に、病人をいやしてあげるのは、創主の真意にかなっている。安息日という日をもうけられたそもそもの真意にかなっている~~とイエスは言うのです。

 このことがわからないで、「安息日は、絶対になにもしてはならない」という厳しい掟の日である、とする。で、その日が過ぎるまで一日中「ただじ~っとしている」~~これは偽善者、ということになるのですね。

 もちろん、旧約聖書には、真意までは「明示」されておりません。安息日を守れと言う命令だけが記されています。

 だが、自分にはその真意が父なる創主から教えられているのだ~~というのがイエスの基本スタンスですからね。だから「私が真理だ」と言っているのですね。

 ヨハネはこういうことを十分わかった上で、この出来事を記録しているでしょう。

 旧約聖書では真理は、比喩として、あるいは影としてしか示されてこなかった。そこへイエスが現れて直接的に真意を明示してしまった。それを記録したのが新約聖書の福音書だ。

 聖書という書物は、そういう構造になっている~~ヨハネは、こういう認識を背景にしてこの福音書を記しているようです。



                 
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