宗教改革ドラマの幕を切って落としたドイツのマルティン・ルターは、
カトリック教会の中で教育を受けて僧侶兼カトリック神学校教授になっていた人でした。
彼は聖句主義方式なんて認知しておらず、キリスト教とは教理主義で行うものとの考えに
何の疑問も持っていませんでした。
だから自分が教理主義者であるという自覚もありません。
我が国の牧師さんもほとんどがそうなのですが、
無自覚教理主義者とでもいったらいいような神学者でした。
それ故彼の宗教改革は教理主義方式自体を改革しようというものにはなりえません。
改革の究極目的は教皇という制度を無くすることにありました。
彼はカトリック教会が奉じる教皇の権威なんてものは、
聖書に根ざしていないと知らしめ、この職位を教会から取り除こうとしたのです。
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さてここで筆者がバイブリシズムを聖句主義と邦訳している理由がようやっと示せそうです。
ルターの運動の背景と内容を今少し詳しく言うとこうなっています。
当時欧州人民の最大にして究極の関心事は「自分が死後天国に行くこと」でした。
これを「救い」といいますが、カトリック教団はこの資格を与える権威は教会が持っている
という教理でやっていました。
人民は教区にわけられ、自分の教区教会の司祭にこの救いの資格をさずけてもらっていました。
そして司祭のその権威は教皇からいただいていることになっていました。
教皇はイエスの代理人ということになっていましたので、そこから権威が降りてくるわけです。
世界史教科書に出てくる免罪符の論理、これを買うと救いが得られるという論理も
その教理でもって正当化されたわけです。
なにやら日本各地の神社に本山から分け与えられるお札(ふだ)を連想させられますが、
ルターは教皇なんてのが聖書的でないのだから、「そんな救いの道理は聖書に照らすとなりたたない」とした。
こういう風に救いの論理が教皇廃止論とセットになっていたわけです。
ルターの救いの論理はこうでした。
救いは教皇によってではなく、「当人が信じることによって与えられる」と。
その根拠として「救いは個々人の信仰によって創造主から直接与えられる」という旨を記した聖句を
彼はあげました(『エペソ人への手紙』2章8節)。これが彼への同調者を多数生み出しました。
そしてルターは自説を主張する際に「聖書に帰れ!」という有名なスローガンを発したらしい。
これが筆者のようにバイブリシズム史を書く者に難題を残しました。
この話によって「ルターは常に聖書にかえって吟味する人」というイメージが
できあがってしまったのです。
さらにそれが「ルター」と「聖書主義」という二つことばの連想関係を強固に形成することにも
なってしまった。そういうイメージは専門家の間にも形成されました。
でもこの「聖書主義」は筆者がここで紹介しているバイブリシズムとは全然違いますよね。
ルターのそれは基本的に教理主義にたったうえでの、聖句引用の姿勢にすぎないのです。
だがもはや、聖書主義の語はルターとの連想関係を確立してしまっています。
そこで本書でバイブリシズムを聖書主義と邦訳しますと、ルターが連想されてしまう。
そしてバイブリシズムが実質的にルターの教理主義的行動と混同されていってしまうんですね。
そうしたらもう以後の話が何言っているかさっぱりわからなくなってしまいます。
これに困った筆者は、バイブリシズムの邦訳に聖句主義という語を当てることにしたのです。
それによって理解がぼけていくのを避けました。
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ところでルターと聖書主義のあいだにはどうしてかくも強固な連想関係が出来たのでしょうね。
大きな理由は、彼がやることなすことが絵になるスター性豊かな人だったことにありました。
加えて彼は卓越した宣伝センスを持っていました。
だからタイミングよくうまいキャッチフレーズを発信してイメージを確立してしまうのです。
その結果「ルターは聖書をベースにした聖書主義者だ」というイメージが
現代社会におけるブランドイメージのごとくに確立してしまったのです。
ともあれルターは「教理よりも聖書の言葉に高い権威を置くべき」と考える人では
全然なかった。このことを明記して次に進みましょう。
聖書主義といっても、何を対概念としているかを考えると、あまり使えない語であることがわかります。
Sabiaさん、
ありがとうございます。
このままそっくり本文に挿入させて
いただきたいほどのコメント文です!