鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol. 5 イエス出現し新しい教えをする

2016年01月05日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ、今日は2016年1月5日です。

「キリスト教の正しい学び方」 第五回を掲載します。

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これまで~、

・キリスト教の教典は旧約聖書と新約聖書が合わさって出来ていること。

・旧約聖書は超霊感者に幻や声で示されたメッセージの受信記録であること。

・この霊感者はイスラエル民族の中に周期的に出現したこと。

・送り手は自らを「万物の創造神」と宣言し、霊感者もイスラエル人も、それを信じたこと。

・霊感受信記録の中には、「人間が守るべき律法」が含まれていたこと。

・イスラエル人〈ユダヤ人)は、その塊を取り出し、律法を守って生きる活動をする宗教、ユダヤ教を造ってきたこと。

~などを述べてきました。


今日はそれに続いて、もう一つの教典『新約聖書』をみましょう。

こちらはイエスの教えを中心にして出来ている教典です。





<イエス出現する>


イエスはモーセより1500年ほど後の人です。

モーセに始まる、超霊感者著者〈預言者」)の時代は、紀元前400年頃に終了しました。

最後の予言者著者はマラキでした。

それ以後、霊感受信記録は、空白期間が続きます。

そして400年ほど経った頃、イエスは出現します。

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イエスはイスラエル民族の中に生まれました。

当時イスラエルはローマ帝国の属領になっていました。
そこで成人した彼は、30才になると、自らの教えを語り始めました。

イエスの教えも行いも、画期的でした。

そのひとつを挙げてみますと~



     


<行為だけでなく思いも罪だ>

彼もまた、ユダヤ教の教典になっていた旧約聖書を、全知全能にして万物の創造神からの啓示を受信した記録集であるとしました。

その上で教えを述べるのですが、その書物への彼の解釈は未だかつてないものでした。

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たとえば、律法について。

それまでユダヤ教の僧侶は、律法を守るというのは、行為のレベルでのものだと、
民に教えてきました。

ところがイエスは、律法は思い〈意識)のレベルまで含めているのだ、と説いた。

たとえば十戒に「姦淫するな」という戒めがあります。

イエスはそれについても

  「女を見て姦淫の情を抱けば、それは、姦淫の行為をしたの同じく、律法に反する罪だ」

~と述べました。






<民族の伝統宗教が茶番になってしまう>

ユダヤ教の高僧や信徒たち〈多くはパリサイ人という中産階級でした)には
これは「あ、そう」では済まされないことですよ。

彼らはそれまで、姦淫の情が内に湧くと、それが行為に繋がらないように、苦闘してきたのですから。

情欲が湧いたら「クッ!」とこらえます。

そうしてたら罪にならず、創造神に呪われることもない、とがんばってきました。

苦行の宗教だったのです。

でも人間は苦行が好きですからね、
結構、こういう宗教は多いですよ。

日本人は特にですけど・・・。




ところが、イエスは、そんな苦行は意味が無いと教えた。

だったら、これまで奮闘努力してきた僧侶や信徒たち〈多くはパリサイ人という中産階級でした)どうなりますか。

茶番を演じてたことになってしまいます。

1000年以上にわたって民族が守ってきた光輝ある国家宗教をなんと心得るか!

ユダヤ教の僧侶たちは、烈火の怒りを抱きました。





<驚異的な奇跡を連発>

上記はイエスの教えの一つにすぎず、彼は他にも数多くの新しい教えを語っています。

主要な説教場所は、エルサレムの神殿の広場でした。

彼は、北の方のガリラヤ地域のナザレという村から首都に出てきて語った。

普通、こういう聞いたことのない教えを、田舎出の青年が語っても、人々は耳を傾けません。

日本で言ったら、青森の田舎から上京した青年が、

靖国神社の境内で参拝に来た人々に新しい教えを叫んでいる、という風景です。

もう全然駄目。

無視されます。

新しい教えというのは、理解が難しいこともありますしね。





ところが、イエスはこれらを教える一方で、すさまじい奇跡〈偉績ともいいます)を連発しました。

彼の教えを聞きについてきた5000人の群衆に、パンと魚を出現させて食べさせる。

湖の嵐を「静まれ!」のひと言で鎮めてしまう。

死人も生き返らせます。

もちろん、病も癒します。

癒やしは、霊感に恵まれた宗教教祖もすることが多いのですが、イエスの癒やしはレベルが違いました。 

盲目者の目は開く、聾唖者の耳や口を開く、足萎えを歩かせる、ライ病は浄める、てんかんは治す、・・・・もう桁外れです。

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奇跡というのは、「教えている人の言葉が、人間を超えたレベルから来ているもの」との思いをもたらします。
(イエスを信じる人の間では、教えを真理であると「証拠する」ともいいます)

ユダヤ教の僧侶やパリサイ人たちは旧約聖書を読んでいます。

それに照らすと、イエスのなす偉績は、「創造神からのもの」としか解せないものでした。





一般人の群衆の中から、イエスの教えを受け入れるものも出てきました。

資産家や、ユダヤ教の高僧からも、ひそかにイエスを支援する者も出た。

12人の弟子が、イエスを直接取り巻きました。 
その外側を70人の心酔者が取り巻いた。

イエスは、彼らを引き連れて、宣教旅行をしたのでした。





<救い主とは罪を代償する人だ>

上記の、イエスの教えの話を続けます。

この教えでいくと、現実に罪を犯さない人間などいなくなりますよね。

そしてイエスは「そうだ」といって、こう宣言します~。

「そこで罪のない私が、死んで人間の罪を代償する」

「実際私はこれからユダヤ教高僧たちに殺される」

「そして、それが全人類の罪の代償になると信じたものには、それが実現して救われるんだ」

~こういって、実際にイエスは十字架刑で殺されてしまいました。

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彼は、「旧約聖書の預言者たちが幻に見ていた『救い主』とは、実は私のことなのだよ」
とも教えました。

これもユダヤ人には新しい教えでした。

彼らは「救い主」の出現とは、昔のダビデ王のような、戦に連戦連勝をもたらしてくれる王様の再来だと信じていましたから。

そして、この王が、イスラエル国を征服して属国にしているローマ帝国を追い出してくれると固く信じていましたから。




<「永遠の救い」が真の救いなのだよ>

だがイエスはこう教えました~

  ~ローマ帝国政権を追い出したって、人民たちの肉体は百年もすれば死んでいくので、永遠の救いにはならないのだよ。

けれども人間は肉体と霊から成っている。

肉体が死んでも、霊は生前の意識を持った意識体として、身体を抜け出て永続する。

その霊の幸福こそが永遠の幸福だ。
それは、罪があっては実現しない。

その人類の罪を、私は死んで代償する。
そのことを信じたものには、それが、実現する。

それを可能にする存在こそが真の「救い主」で、それが私なのだよ。

~彼はこう教え、実際に殺されてしまいました。

これがイエスの教えと行動の一つでした。


(「キリスト教の正しい学び方」  第5回   完)











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