『バプテスト自由吟味者の道』
フランク・S・ミード著
鹿嶋春平太訳・解説
1章 聖句自由吟味者の活動原理
バプテストと呼ばれた聖句自由吟味者たちはいつからいるのか?
この問いは、山々はいつからあるのか?という問いのようなものです。
どちらも日付けを言うのは難しいです。
どれが最初でどれが二番目かもはっきりしません。
彼らはキリスト教の教派の中でも別枠の存在なのです。
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通常、人間や社会組織には誕生地と誕生日がはっきりしているものです。
メソディスト派教会にはジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレー兄弟という創始者がいます。
ルター派教会の人たちは創始者ルターと誕生地ウィッテンバーグを知っています。
長老派教会の人々は創始者カルヴァンと、この教派の誕生地ジュネーブを知っています。
だがバプテストはそうではないのです。
あるのものはこういいます~。
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「創始者はイエス以外にいないよ。
わが教派の創始日は、イエスがヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を受けた日だ。
我々はいかなる人間の権威をも、如何なる人間の教理も認めないよ。
われらの信仰は、ローマに最初の教皇が登場した時以前から生きていた。
我等は宗教改革より前からいるプロテスタントだ。
ルターが生まれる前からいるのだ」
またこういうものもいます~。
「我が教派は1608年、ジョン・スミスとともに始まっている」~と。
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こういう問いもあります~
バプテストに教会作法はあるのか?
開祖無き聖徒集団なのか?
あるいは開祖だらけの信徒集団か?
バプテストは 教会法を持たない低級者集団なのか?
・・・・ だがこれらの問いは的をついていません。
筆者はこう述べておきましょう~
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・・・・トーマス・ジェファソン以前にも民主主義者はたくさんいた。
だけど米国民主党はジェファソンでもって始まっているよ。
同じようにバプテストは昔からたくさんいた。
だが、「一つの教派」としてのバプティスト派は、1608年に英国においてジョン・スミスとともにスタートしているよ。
けれども、そのスミスだって純粋な歴史背景のなかに位置づけるのは容易でないよ。
、「ヨルダン川誕生説」に立って、その当時から今日までのバプテスト教会の流れを示すのは困難なのだ。
スミスの教会は他の教会との正規な繋がりを持つことなくして突発的に出現しているしね。
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ただし、スミスが「我等の活動原理(プリンシプル)は、イエスがヨルダン川で受洗した時と同時に始まっている」というのは筋が通っている。
だけどその活動原理とはどんなものでしょうかね?
1、信仰者バプテスマの原理
まずバプテスマ(洗礼)の原理からいきましょう。
それは「洗礼は信仰者バプテスマのみ」という原理です。
「聖書に幼児洗礼の有効性を保証するところなどない」とバプテストは言います。
「洗礼はイエスとバプテスト精神への忠誠を公に誓うもので、赤ん坊にそんなことできるわけがない」
~というのが彼らの主張なのです。
2、聖句最終権威の原理
次は聖句を最高権威としてそれに忠誠する原則です。
多くの人にとってこちらの方が信仰者洗礼の原理より重要です。
バプテスト教会には命令権を持った法王(教皇)や枢機卿などはいません。
むろん司教も存在していません。
教理書も信仰宣言(告白)書もありません。
あるのは聖書のみです!
バプテストは聖句から離れません。
キリスト教徒は、イエスキリストを教会と良心に対する唯一の立法者であり王とする、この原理につかまって離れません。
だがバプテストは同時に、聖句から離れないのです。
3、各個教会独立の原理
第三は、各個教会独立の原理です。
バプテストは完璧な聖職者組織を目指しません。
望むのはクリスチャンとしての品性です。
各々の信徒グループが、自分たちの意志で教職者を叙任します。
命令し、解任することも出来ます。
信徒グループは、自らが望むように教会を運営出来ます。
牧師と一般信徒は同等の権利をもっています。
これは民主主義の一形態です。
ここには「個」が生きる余地があります。
4、政教分離の原理
第四は、教会と国家の完全分離の原理です。
バプテスト教会が国教になったことは一度だってありません。
政府や国王からの聖職位を受け入れたこともありません。
彼らは流血の犠牲を払いながら「国家は政治問題だけを統治し、教会に関与すべきでない」と主張し続けてきました。
彼らは天国(創造神が王として統治する天の創造神王国)を愛する愛国者です。
彼らは、時の為政者への忠誠以上の忠誠を、常に創造神に対して尽くしてきました。
「良心(精神)の自由」と「国家と教会の完全分離」を、彼らは訴え続けてきました。
そのためにどれほどの苦しみを受けてきたことか!
嘲られ、中傷され、罰金を課され、鞭や鉄棒で打たれました。
火あぶりの刑、脱臼刑(拷問台で引っ張って手足の関節を脱臼さす刑)も受けました。
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にもかからわずバプテストは頑として自説を捨てませんでした。
拷問者たちにとって、バプテストから頭が引きちぎれるのを期待するのは、人間が頭なしで歩くのを期待するのと同じことでした。
そして見逃してならないことがあります~。
かくの如くに過酷で流血に満ちた歴史に置かれながら、バプテストは迫害者に決して仕返しをしませんでした。
また自分の信ずるところのために他者を迫害したことも、一度としてありませんでした。
創造神からの霊感を受けて心に生まれる天国への愛国心は、人間のこころにそういう精神を形成するのです。
信徒集団の形態を問わず、あるいはグループが孤立しているいないを問わず、この精神はイエス以来、幾世紀も一貫して続いて来ています。
いま述べたバプテスト原理の一つないしは全てを主張する英雄的な集団は、昔から、そこかしこに現れてきました。
だがそれだけでもって、彼らを厳密な意味でのバプテスト集団と呼ぶの早計でしょう。
現存する歴史資料をもとにバプテストをさかのぼって追って行けば、組織化されたバプテスト教会が最初に現れるのは12世紀以降だろうことがわかります。
それより前にバプテスト教会があったという学者は、優れた学者とは言えません。
近代バプテスト(近代英国に発生した)は、16世紀のアナバプティスト自由吟味者の子です。
そして12世紀のワルド派自由吟味者の孫です。
(ワルドは英語ではWaldだが、日本では通常ウォルドでなくワルドと記されている・・・訳者注)
こう認識したら、それで十分です。
( Vol.8 1章 聖句自由吟味者の活動原理 完)
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