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第二次大戦の終結以来、米国は世界運営の重荷を負った。
運営の最大課題は、三度目の世界大戦に至る道を絶つことにあった。
すでに人類は、国々が二派に別れ、互いに近代兵器で殺し合いをするという地獄絵を二度もやらかしていた。
英国に植民地を放棄させ、弱小民族独立の世界的な流れを造ったのも、列強の植民地獲得競争が世界大戦への大きな誘因になるからであった。
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<日本運営もその一環>
被占領国日本に対する米国の政策も、その世界政策の一環であった。
日本民族は、短期間で強大な軍隊を造ることの出来る、世界でも希な技術民族だった。
だが、それを運転するガバナビリティ(統治能力)のなさにおいても、世界に希な民族だった。
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マッカーサーのセリフ「日本人は政治的に十三才」はそれを端的に指摘している。
また、天皇が戦後「新国家には軍隊を造らないでくれ」といったというエピソードもそれを背景にしているだろう。
こういう話は確かめようがないが、筆者は事実だと思っている。
軍隊を持たせたら、また迷走運転をするのは現状ではほぼ必定だ。
原発事故後明るみに出た東電の人間たちの体質もそれを明示している。
憲法第九条の「戦争とその手段の放棄」もこの事実認識による世界平和政策の一環だったのだ。
米国は当面「日本人に軍隊を持たせない」で、「日米安保条約で米国が日本の防衛を代行する」体制をとったのである。
余談になるが、最近「戦後憲法の草案造りがほとんど米国主導でなされたことがわかった」とネットで大騒ぎしている人がいる。
バッカじゃなかろうかと思う。
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<政治見識の育成を最重要課題にすべきだった>
米国の世界運営によって、人類は、戦後70年にわたる平和を享受できている。
このなかで日本人が政治的独立性を高めたければ、まず注力すべき課題は、その政治見識、政治的知力を高めることだった。
にもかかわらず、日本人は、それに目を向けなかった。
それが、世界運転への感覚無しのままで、ツイッターやフェースブックに個々人が政治的主張を述べる、という今日の状況を生んでいる。
「日本は戦後米国に従属してきている」「実質独立すべきだ」等々の、怒りを込めた主張が頻発している。
愚かというほかない。
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<世界運営感覚無しの政治家>
だから日本では、米国の世界運転に関して無感覚なままで日本政治のトップに立ってしまう人も現れる。
政治権力を握っているのだから、米国としては、その行動に無関心でいるわけに行かない。
たとえば、田中角さんやその愛弟子である小沢一郎さんは、中国に無防備なままで独自に接近した。
この人たちは社会主義になったら国家はどういう運営方法をとらざるをえなくなるか、への基本知識がない。
そこで、とにかく米国はマスコミや検察を用いて失脚させた。
個人的には筆者は、このかたがたの人間的な暖かさの雰囲気は好きなので、複雑な気持ちになる。
だが、一党独裁の社会主義体制に日本が組み込まれたときの悲惨さを思うと、やはり是認せざるを得ない。
その関連もあって、次回には、マルクスの考案した社会主義体制のアイデアにつき考えよう。
彼の社会思想における運転感覚の欠如などを語ってみよう。
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