鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.138「18章 日本における自由思考空間」(3)~成功事例の普及は困難・稲盛方式~

2012年04月20日 | 「幸せ社会の編成原理」

        
 
      
       
京セラもトヨタも日本においてだけでなく、世界的にも超優良会社です。
これらの事例を見るにつけ、筆者は
「人間集団の活力は、そこに形成される自由思考空間に比例する」
という觀を深くします。

国家についてみれば~
「国力はそこに許容される自由思考空間の大きさによって決まる」
~との印象すら抱きます。

そしてこの日本の優れた知的資産である京セラやトヨタの方式が多くの企業や
その他の組織機関によって模倣される事態を期待したくなります。
かく普及すれば聖句主義土壌のない日本でも幸せ社会に向けての力強い前進が起きるでしょう。
      
だがそれは難しいのです。この二大事例は非常に特殊なケースです。
これらはともに、隷従意識の濃い日本の土壌にハンマーでくさびを打ち込んで、
そこから四方八方に自由精神液を注射するという難事業の結果現れたものです。
並の才能とエネルギーで出来たものではありません。

      
<「精神」の体得が必須>
        
まずこれをなすには並外れて強靱な自由思考の精神、ものごとを自由に吟味する精神を
もっていなければなりません。
こういう人物の代表は発明家です。発明とは未知の領域に自由に創意を巡らす作業です。
また発明家の自由思考精神は何度失敗してもめげない、不屈の強さをもっています。

そして稲盛は発明家なのです。
彼は経営者としての側面が前面に出ていますが、発明の大才でもあります。
現時点においてすら京セラが特許をもっている発明品の八割は稲盛が発明したものです。

また現在では彼はすでに会長でもなく、名誉会長という文字通り名誉だけの会長で、
経営に関与する法的権限は保持していないのですが、それでも社内で発明される
新技術に関するすべての会議に稲盛は出席を要請されています。
   
この強靱な自由思考精神があるから、全くの素人状態から経理部長に経理知識を学び、
その知識を社員の自由思考空間実現に焦点を当てて簡素な損益計算書に再編成する
ということができています。
並の経営者には出来ないことです。

このできあがった「稲盛会計学」は模倣できるでしょう。
だが模倣は技術の外枠をなぞるだけでなく、そこに込められている作成者の精神を
吸収しないと完成しません。

でないと社内にシステムが一時的に出来あがって効力を発揮しても、長期的に持続することはない。
それだけでも稲盛方式の模倣吸収が容易でないことがわかります。

      
<世界観の共有も必要>
      
稲盛方式の場合、吸収すべきものがもう一つあります。世界観がそれです。
   
稲盛は会社を自由思考小集団に分けてしまいました。
これらの連携が効率よく行われることによって、京セラとしての一体性は保たれます。
聖句主義史で見てきたように、世界観は全体観となって個々の出来事の理解の仕方や
実践の仕方を決めていきます。

自由な状態で成員に効率的な連携が成り立つには、世界観の共有が必須条件なのです。
      
稲盛はその世界観も供給できたのです。彼は著書『哲学』などでそれを示しています。

「宇宙には善が成長すべしという創造主の意志が働いている」
「この世で善をなすという意識を持てば長期的には必ず成功する」
「その心を保つには魂を磨かねばならない」
「人生の究極目的はこの、魂を磨くことである」
~等々がその骨子として含まれています。

京セラのアメーバ方式は、この稲盛世界観の共有によって一体性を保っています。
だがこの理念の共有は、 京セラの成員ですらひと仕事です。

稲盛世界観は他にも多くの出版物に発表されていますので、習得機会は広く与えられていますが、
それでもやはり十分な習得には絶えざる努力が必要になっています。

社員は稲盛の世界理念をポケットに入るような小冊子にまとめた「京セラ手帳」を
常時身近において、折あるごとに読み直しています。
それでやっと京セラ内部では稲盛方式は機能しているのです。

<盛和会>

だから他の経営者が自社にそれを導入して生かすのは容易ではありません。

稲盛には彼の経営を学ぼうと集まった若手経営者から始まった「盛和塾」という
学びの会があります。
1983年の発足以来全国各地に広がり、2011年3月現在国内に54塾ある。
海外にも9塾(米国5塾、ブラジル3塾、中国1塾)あって、塾生総数が7000名を数えるという
大所帯です。

そのうちにはアメーバ方式の導入を試みる経営者もおおいのですが、十分な成功の報を
筆者は聞いたことがありません。おそらくないでしょう。
稲盛方式の日本での広範な普及は不可能なのです。


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