鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.84『”まことの”パンとは霊のための糧』(6章)

2005年10月20日 | ヨハネ伝解読
                        


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=聖句=
「天からのパンを与えたのはモーセではありません。天からのまことのパンを与えるのは、私の父(創主)なのです」(6章32節)。
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~~しばらくお休みしていた「ヨハネ伝」解読を。


 聖句は前回と同じです。
 先回で「パンを与えたのはモーセではない」という、イエスの言葉はわかりました。「では誰か、というと、それは父(創造主)である」というわけですね。ヨハネの記したイエスの言葉には、これを示す文が省略されていたわけです。

 今回は「天からのまことのパンを与えるのは、私の父なのである」(32節)の意味です。

 「与えるのは父である」ということは、すでに前回の追加文章でわかりましたよね。今回は「まことの」パン、という部分になります。いったい、イエスはどういう意味で「まことの」と言っているのでしょうか?

 それを解くには、旧約聖書は新約聖書の「影」である、という聖書解読の鉄則を持ち込むことが必要です。影というのは、本物そのものではないと言うことです。旧約聖書は、本物を影でもって示している。その際、影として用いられているのは「たとえ」すなわち比喩です。

 では、本物は? それは新約聖書に示されている。それが聖書全体の基本構造です。具体的には、本当のものはイエスが示すのです。だから彼は「私が真理である」というのですね。

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 旧約聖書の時代には、約束の地、カナンに向けて荒野を旅するイスラエルの民に、創主はマナというパンを降らせました。このパンは、肉体の糧になるものであります。それによって肉体は生命を保ち、活力を得ます。しかし、それは本物の影であり比喩であるというのです。

 では、本物とは何か、といえば肉体でなければ霊の糧となりそうです。イエスは一貫して霊が幸福になる道を教え続けているのですから。そして、霊をの幸福を左右するのがその糧である「いのち」である。これは物理学でいうエネルギーのような概念であるというのが、春平太の見方でしたね。だから、敢えて「いのちエネルギー」と言ったのでした。

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 聖書のキーワード「いのち」って何を言っているのか。鹿嶋にも長いこと謎でした。あれこれ考えた結果、「いのちは、創主から放射されるエネルギー」のようなもの、とイメージすると、ほとんどの聖句に筋が通ることがわかってきました。

 エネルギーがもとになって、創造のわざも癒しも霊の活性化もなされる、と考えると論理が通よく通った。エネルギーとは力そのものです。物質界の燃料は、熱エネルギーを作り出す材料なわけです。

 ここでも霊に与えられる「いのちエネルギー」こそが、「まことの」パンであるというのがイエスの教えようとしているところだ、と鹿嶋は解します。旧約時代にマナという食べ物が天から降ってきたのは、後にいのちが天から与えられることを暗示する比喩だった。
これがここでのイエスの教えの真意だったと思えます。


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