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旧約聖書のメッセージについていま少し具体的に見ておきましょう。
旧約聖書は、霊感者に送られたメッセージの受信記録だと申しましたが、
そのメッセージは幻と音声によって送られています。
幻とは、現在我々が見る映画やビデオのようなものだと考えたらいいでしょう。
映画は映像と音で出来ています。
音声は、言葉の声でして、おそらく多くは響き渡る声だったでしょう。
超霊感者たちはそれを書き留めた。
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<最初の預言者はモーセ>
旧約の最初の著者は、映画『十戒』にも描かれたモーセです。
彼は自らの霊感に受信した幻を言葉に書き留めました。
旧約聖書に収録された最初の書物は『創世記』です。
これに始まる最初の五冊の書物を彼は書いた。
そこでこれらは「モーセ五書」と呼ばれています。
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冒頭の書物『創世記』には、万物の創造神が世界をつくった様子が書かれています。
暗闇の中に光が造られ、
天と地、陸と海が造られ、
さらに空を飛ぶ鳥や地上の動物、海中の魚などが造られる。
こうした様子をモーセは書き留めています。
また、有名なアダムとイブの話も書いている。
ノアの時代の大洪水の話も、彼の家族が箱船に入って水の上を漂った話も彼は書いている。
それだけでなく、イスラエル民族の祖とされるアブラハムについても沢山書き留めています。
その他諸々あって、その量は驚異的に膨大です。
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彼はどうしてこんなに多量な情報を書き留めることが出来たでしょうか。
おそらく彼には何人もの祐筆(ゆうひつ:付き添って書面に書く人)が従っていて、
その人たちがモーセの口から出る言葉を文字にしたのでしょう。
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人間社会で、飛び抜けて有能な実践リーダーに祐筆が付き添うのは普通のことです。
織田信長も豊臣秀吉もたくさんの手紙を書いていますが、みな祐筆が、彼らの言うことを的確にまとめ、それにふさわしい書体で文章にしています。
二人は最後の部分の署名の下に、花押(かおう)という、今で言う印鑑のようなものを自著しただけです。
秀吉など、尾張の百姓の出で、信長に取り立てられて出世しただけですから、文字などあまり書けなかったはずだ。
なのに、どうして手紙文をあんなに雄壮な達筆で書けたのか、というと、祐筆がいたからとなります。
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余談ですが「モーセ五書」には、モーセ自身が死ぬ場面も記されています。
死んでいく人間がどうして自分のことを書けたかと思ってしまいますが、このあたりは、祐筆たちが書き足したのでしょう。
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<わかるわけないやないの!>
もう一つ余談を。
こういうことをしっかり踏まえていないと、我々は旧約聖書の聖句を誤って理解しがちになっていきます。
人間の自然の情でそうなるのです。
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関西風に言いますと~。
~だけどモーセは紀元前1500年頃の人だというやないの。
大昔の「世界が創造された様子」や、自分が生まれる前のことなど、知れるわけないやないの。
勝手に自分の頭でストーリー造って書いてるにきまってるわ!・・・というようなことになってしまう。
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大阪人でなくても、われわれは日常自然の情でそういう感覚になっていきますので、幻受信の論理はしっかり理解しておかねばなりません。
繰り返しますが、モーセは、幻をみたり声を聞いたりして書いています。
(他の預言者も同じです)
その際、送り手は、「自分は万物の創造神だ」といってメッセージを送っています。
モーセもそれを「信じて」受信し、書いている。
送り手が実際に創造神であったかどうかについては後に考えます。
が、とにかく彼は「そう信じて」記録しているのです。
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<旧約メッセージの二つの領域>
余談が多くなりました。
今回の本論は次のことです。
モーセ一人が書き残した分だけでも、その情報量は膨大です。
なのに、彼の後につづく預言者20人余の記述をあわせたら、もう目が回るほどの総量になります。
(聖書全体の中で旧約聖書の占めるページ数の割合は、4分の3になります)
加えて霊感受信した中身は多岐多様にわたっています。
こんな情報をそのまま読んでいったら、まるで、ジャングルの中に迷い込んだような状態に我々は陥ってしまうでしょう。
なんとか、それを整理する引き出しのようなものは出来ないものか。
そう思って、鳥瞰し続けていると、一つの区分線のようなものが浮上してきます。
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最初の預言者モーセの見せられた幻は、ほとんど自分が生きた時代より昔の「過去の幻」のようです。
対して、彼に続く二十余人の預言者たちは、みな自分より将来の、「未来の幻」を見せられているようです。
(それには、「将来救い主が現れる」という幻もありますが、それについては後に考えます)
いうなれば、モーセは過去の方を向いて幻を見ています。
後継の預言者たちは、未来の方を向いて幻を見ています。
この大枠は、聖書を把握するのに助けになると思われます。
(「キリスト教の正しい学び方」 第3回 完)
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