またしても野良仕事のお話で恐縮ですが、数日間逡巡した結果、やはり書かねばならぬと決心したことがあります。
草刈りの一幕で起きた、サッチョウ事件の話です。
ここに、かぼちゃを植えることにしたので、地主さんのお許しを得て草刈り機を操りました。
腰近くまで伸びた雑草がみるみるなぎ倒されて、私は有頂天になったのです。
仕事はサクサクと進んでいましたが、途中で「ズン!」という一瞬の衝撃。
それでも機械はびくともせずに前進しましたが、私は足元を見て息をのみました。
そこには、灰色の鳥の羽根が散らばってありました。
どうやらキジのようです。
すでに死んでいたキジを巻き込んだのかな・・・と思いたかったのですが、残念ながらたった今まで生きていたようです。
じっくり確かめる勇気も無く、2~3日もすれはカラスによってきれいに無くなるから・・・と慰められ、とにかく最後まで草を刈って終了しました。
しかし、帰宅後も、次の日も謎は深まるばかり。
なぜキジは逃げなかったのか。
だんだん近づく機械の音におびえて、身動き出来なくなってしまったのだろうか。
だとるすと随分どんくさいキジだ、逃げてくれれば良かったのに・・・と。
結局そのキジが気になり、翌日も畑に行ってみました。
果たしてそこに残されていたのは、羽とそして・・・・・・卵の殻。
そうです。キジは卵を抱いていたのです。
だから逃げなかったのです。
何とも言えない切なさがこみあげました。
農業は命がけなんだ、生半可ではないと、またしても思い知らされました。
人間が生き抜いていく・・・とは、こういうことなんですね。
自然界でも親はつよいですね。
子どもを守ることで親の命をなくしていいのか・・
はたして、そこが卵をかえすのに適切な場所で会ったのか・・
人間の世界でも同じことが考えるような気がします。
もしかすると全国でも似たような悲劇があるのかもしれません。
草刈りの前に事前調査も含めるようにしたいものです。
絶滅危惧種の「カヤネズミ」についても少しばかり見聞します。
どれどれと、歩いていくとキジの甲高い声が南側と西側から聞こえ、「今日も元気な奴らだ」と思っていたら、足下からは一匹逃げていきました。
農作業していた方にお聞きしたところ、「戦時中の食糧不足対策で放し飼いとなったが、近年増えている。そこら中に卵がある。野菜も芽が出たところで食べられてしまう。困っている。」とのこと。
農家から見れば、「キジもハクビシンもネズミも害鳥、害獣。」ということですが、人間も処変わればで、チキンもビーフも、まして鶏卵だとあらゆる形で「(命を「いただきます」と)食べている人々が、クジラ漁はダメ。なんだかナーというかんじです。
巣の中にはヒナがいたそうです。
翼があるのに飛び立つこともなく、鳥にとっては命とも言える翼を広げ、触られてもピクリとも動かず、母鳥は身を挺してヒナを守り続けた、との事でした。
結局知人はその姿に心打たれ、巣の撤去を諦めたそうです。
今回のキジのお話は悲しい事ですが、子を守る親の一途な気持ちについて、改めて考えさせられました。
農業と人生についての一気の語りエンド。
迷いながら登り坂を駆け上がって得た慰めの報酬でしょうか。
余裕ができたら、少し過去にタイムスリップして
この逸話を脚色し想い描いてもいいですね。
但し、現在の社会状況のマイナー面はこのまま過去へスリップ。
都市開発の波が進んできているが、
まだ多くの田園風景を残している郊外の小学校。
児童を前にして日常生活で起きたエピソードを題材に、
児童文学風に脚色して語る新任の女性教諭。
そしてかぼちゃ。
いろいろな心象風景とエピローグを描いてみよう。