八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

尼寺のような家を・・・・

2013-07-26 01:40:54 | ゲージツ

 

夏になると・・・・

 

家道楽 吉屋信子 という人を思い浮かべる。

Yoshiya_nobuko

  

吉屋信子 とは、

大正から昭和にかけて活躍した小説家。

『青踏』の平塚らいてう、伊藤野枝とも交流があったという。

 

吉屋信子 は、

生涯に8軒の家を建てたという。

 

その内3軒を、

建築家 吉田五十八 に設計依頼している。

 

終の棲家となった、

鎌倉長谷の家(昭和37年竣工)については、

D0016587_2251352

  

「尼寺のような家を・・・」 と

吉田五十八 に要望を伝えたという。

Yoshiyanobuko_memorial

 

吉屋信子 は、

50年来の恋人(同性愛)である 門馬千代 とふたり、

 

この家でひっそりと暮らし、 

昭和48年、結腸癌を患い77歳で生涯を終える。

 

 

そして、もうひとつの話・・・・

 

 

夏になるときまって聴きたくなる

吉田拓郎 の名曲 『せんこう花火』 の作詞は、

 

なんと・・・・ 吉屋信子 である。

 

 

  せんこう花火がほしいんです

  海へ行こうと思います

  誰かせんこう花火をください

  ひとりぼっちの私に

  ・・・・ 

 

中学の時から、

この詞の空間(=無常感)は好きだった。

 

『せんこう花火』 のリリースは昭和47年。

吉屋信子 が闘病の末、この世を去ったのが昭和48年。

 

 

  風が吹いていました

  ひとりで歩いていました

  死に忘れたトンボが一匹

  石ころにつまづきました

  なんでもないのに  あー 泣きました

 

 

ずっと連れ添ってきた 門馬千代 を残し、

ひとりで死への旅路に赴く 吉屋信子 の

無常感を思うと・・・・

 

尼寺物語みたいでグッとくるのだが、

 

吉田拓郎 と 吉屋信子 との接点が、

イマイチわからない???

 

 

今度、機会があったら、

鎌倉の 吉屋信子記念館(旧吉屋邸) を訪ねて、

由比ガ浜まで歩いてみよう。

 

 

津波がやってくる、

その前に。

 

  


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